文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年3月21日】私の孫娘は昨年大学を卒業し、教師の資格を取って地元に戻りました。就職するために、彼女の身上調書を関連部門に提出しなければなりませんでした。その個人履歴書の「政治状況」の欄に「団員」と書いてありました。当時、彼女はすでに「三退」を済ませていたので、「きっと大丈夫だ」と思って何の注意もせずに、そのまま提出させました。
2020年1月18日に、孫娘の同僚の1人に酷い咳が出て、彼女もうつされました。私はそれを知ったあと「大法を信じれば、大丈夫」と孫娘を慰めました。ところがその日の夜に、彼女は熱を出し、咳が出ました。友達に病院まで送ってもらいましたが、医者は確診できずに、ただ「大丈夫だろう」と言うだけでした。しかし、孫娘は熱で汗をびっしょりかき、咳が出て話せなくなりました。家族はみんな焦りました。私も電話越しで、彼女に「法輪大法は素晴らしい」を心を込めて念じさせるしかありませんでした。
彼女は小さい頃から私達と一緒に大法を学び、人助けをして、大法の良さをよく理解していました。
私と夫は「真・善・忍」を信じ続けているために、幾度もひどい迫害を受けました。孫娘も小さい頃から散々苦労してきました。学校ではクラスメートからいじめを受け、幼い心を傷つけられました。私達の言うことを信じ、普段はお利口さんでした。こういう事もあって、内心では名、利、情に惑わされており、自分の感情を抑えきれなくなりました。自分を厳しく律することが出来ず、甘い態度を取り、それで災難を招いてしまいました。
当時、孫娘は帰省するつもりで、すでに21日の電車のチケットを購入していました。1月20日、熱はなかったのですが、咳が酷く出ました。孫娘は友達と一緒に「法輪大法は素晴らしい」と念ずると、状況が少し回復しました。しかし、21日にはまた咳が酷くなり、帰れなくなりました。当時、外はコロナウイルス感染者を検査するための検問が、設置されていました。孫娘は成都にとどまることが心配で、心の中で師父に助けをお願いしました。
22日、孫娘は高額を出してヒッチハイクをして、その日の夜に、家に帰って来ました。帰宅後も咳が続きました。嫁は、孫娘の日常生活を家族みんなと別々にするようにしました。私は修煉者だから、あらゆる毒は私を犯さない、彼女の日常の世話は自分がやると決めました。
師父の広州の説法を孫娘に聴かせましたが、何日経っても咳の症状は良くならず、孫娘に「心を込めていないでしょう」と叱ると、泣き出しました。ふと、孫娘の政治状況が書かれた個人履歴書の事を思い出し、きっとそれが悪さをしていると思いました。すぐさま訳を話し、孫娘に誠心誠意で師父にお願いをし、履歴上の「団員」を取り消し、今後それと縁を切ることにしました。ミスを認識したらすぐに正すべきで、これからはきちんとすれば良いのです。
孫娘がそのようにすると、咳をしなくなりました。
私が今回悟ったことは、修煉は大小に関係なく、常に自分を厳格に律し、どんなことでも内心から非を探し、「真・善・忍」を基準にして、自分を修めるようにします。地元の団地や市場の閉鎖期間中でも、私の人を救うことには何の影響もありませんでした。毎日のように面と向かって、法輪功の資料やお守り、それにUSB、メモリーカードなどを配り、「三退」をして身の安全を守るように進言しました。街には人が少ないのですが、私はお構いなく縁があって受け取る人達に配ると、皆が「ありがとう」と言ってくれました。「偉大な大法の師父に感謝すべきです」と言うと、皆は「李先生ありがとう」とお礼の言葉を口にしました。
ある日、州政府で仕事をする人に出会いました。彼は自分が政治法務委員会の人間だと言いました。私は彼に法輪功の資料とお守りを渡しました。彼は受け取ったあと、両手で持って「ありがとう」とお礼を言いました。私が「大法の師父に感謝してください」と言うと、彼は「大法の師父、ありがとう」と言ってくれました。別かれてから少し経って、USBがまだ1個あることに気付き、彼を追いかけて行き、渡しました。彼はちょっと感激して、何回も感謝の言葉を口にしました。ふと感が働き、彼に「『富強』の仮の名前で党団隊から退きましょう、あなたの同僚にも法輪功学習者を迫害しないように伝えて下さいね」と言うと、彼は「はい、はい」と返事をしてくれました。私は、感動のあまりに涙が出ました。
普段は、大法の真相に抵抗感を持つ都市管理員たちも、今となっては「三退」に同意してくれます。また、私に法輪功の資料やUSBなどを求めてきます。
私は、自分がしたことがいかに凄いかではなく、これらすべては師父が用意して下さったことです。師父がおっしゃっていたように、私達は人を救う心さえあれば、道がどんどん開けます。大法弟子は自分を修めて神の道を歩む人であり、一切の不正な悪い要素は私達に近づけなくなります。
ここで言いたいのは、「三退」は誠心誠意で行なうことであり、軽く見てはいけません。神の目は鋭く人の心を見ておられます。
師父、私の孫娘を助けてくださって、ありがとうございます。
同僚たちの無私の助けと支援に、感謝いたします。