香港法会|修煉を始めてから法を実証するまで
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文/香港の大法弟子

 【明慧日本2020年4月7日】

 まず、私が幸運にも法を得たことについて、師父に深く感謝申し上げます!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私の夫は大法を修煉して何年にもなり、私はずっと夫が修煉しているのを見て注意を払っています。もともと夫は体が弱かったのですが、数年の煉功を経た後、変化が非常に大きく、数年来薬を飲む必要もなく医者に診てもらう必要もなくなり、私はこの功法のすばらしさと超常さを感じています。

 2009年私たち一家は台湾へ行き神韻を見て、幕が開いたとたんに震撼し、神韻の素晴らしさに引き寄せられ、ダンサーは神仙が俗世に下りてきたかのようでした。神韻の天景やステップ、音楽、それに服装の組み合わせは完璧でした。公演全体が精彩を放ち並外れており、比べられるものがなく、このようなすばらしい演出を生涯で見たことがなく、感動で涙が溢れました。

 神韻のすべての公演を見終わった後、体が軽く感じ、心もとても快適でした。以前人生で迷いや失望を感じ、自分がどこにいるのかわかりませんでしたが、神韻を見終わった後すぐに希望と素晴らしい未来が見つかり、今まであのような感覚はありませんでした。

 帰宅してから、精彩を放つ神韻のドラと太鼓の楽団の宣伝広告を家で再び見た時、突然、一つ一つの太鼓の音が私の心の中で叩いているかのように聞こえ、一つ一つの音がはっきりと真・善・忍の音として現れ、もう一度細心に聞いた時、一つ一つの音がすべて真・善・忍に聞こえました。私は不思議に思い、すぐに夫に伝えると、夫は私の天耳通が開いたのだ、私は大法と縁があると言いました。この時、私は心の中で「私も法輪大法を修煉しなければならない」という確固とした一念を発しました。

 修煉を始めることができて私は非常に喜び、家で心を静めて法を学び、学法が深まるにつれて次のようなことが起こりました、ある学法の時、すべての空間場が固定されたかのように感じ、ただ自分だけが学法しており、私一人だけのようで、突然『轉法輪』のすべての字が大きくなりながら金色に輝き、とても殊勝で美しく妙なるもので、すぐに私は完全に大法の佛恩に浸りました。夫と交流すると、夫は「お前の天目が開いたのかもしれないが、自慢してはならない。もしかしたら師父が励ましてくださっているのかもしれない」と言いました。私が考えたのも師父が励ましてくださっているということであり、師父に感謝申し上げました。

 五式の功法を煉ることを学び始めると、両足で坐禅ができ、痛いという感覚はなく、1時間煉功して体が軽く感じました。しかし、再び煉功した時、痛くなり始め、痛みがひどい時はいつも、足全体が黒くなり、黒い気が出ていくのが見え、業を消しているのかもしれないと悟りました。私の難関は動功を煉功する上で、特に抱輪(訳注:法輪を抱える動作)ですが、1時間堅持して煉功した後、難関も過ぎ去りました。

 もともと私の体は非常に滅茶苦茶で、1時間煉功して業を消した後、体の変化も大きく、全身に活力が満ち、完全に無病の感覚で、歩くのも軽く、階段を上がるのも誰かに背中を押されているかのようでした。師父に深く感謝申し上げます! 師父は健康な体を私にくださったのです。

 修煉の道を歩むのは容易ではなく、なぜなら自分が悟ると毎回業を消し、心性が試され、次元を向上させるからです。私の心性はずっと追いつくことができませんでしたが、そのため多くの魔難を経験し、体の関を乗り越え、最後に学法を通じて心性を向上させた後、師父が行なうように言われた三つのことをしっかり行ない、難関を一つ一つみな乗り越えました。

 一、病業の関を乗り越える

 修煉しておよそ半年後、突然咳がひどくなり、とてもつらく、一晩中咳で眠れず、修煉者の体の具合が悪くなった時は、すべて関を乗り越えているのだと気づきました。多く学法しなければならず、多く煉功し、多く正念を発し、最も重要なことは心性を向上させることです。毎日堅持して三つのことをしっかり行ないました。薬を飲まず医者に診せず、その心を放下したので、その執着心を相手にしませんでした。

 しかし、咳がだんだんひどくなり、私にとっても大きな試練で、「大きな関を越えているのだろうか?」と心の中で思いました。たとえどうであろうと、しっかり学法し、強く正念を発するべきです。

 家では咳がこんなにひどいのに私が医者に行かないのを子供が見ていました。子供たちは心配で慌て始め、一日中私に医者に行くように勧めましたが、私は堅持して行かず、子供は咳止めの薬を買い私に飲ませようとしましたが、私は堅持して飲まず、子供に「私たち修煉者に病気はなく、数日すればよくなります」と伝えました。

 その時私の正念はとても強かったので、恐れる心は全くなく数日が過ぎ、咳はすぐに良くなったように感じ、不思議なことに、咳など出なかったかのようでした。私は心の中で驚きとともに喜びを感じ、1カ月以上咳をし、医者に診せる必要もなく薬を飲む必要もなく、どうしてこのようによくなったのでしょうか? このようなことは生まれて以来初めてのことです。本当に不思議で、師父に感謝申し上げます! 

 二、正念で妨害を根絶する

 ある時、数人の同修が市の中心部で新聞を配るので、私たちがちょうど新聞を運ぶと、突然邪悪の団体のメンバー二十数人が、大音量のスピーカー4台を同時に鳴らし、私たち2人を完全に囲んで激しくののしりました。中国共産党の凶悪で残忍そうな陣容は、本当に人を恐れさせますが、不思議なことに、その時、私は少しも恐れず、邪悪の団体の1人が「こんなにたくさんの新聞を配ってどうするんだ?」と言いました。私は「法輪功を修煉して体がよくなり、共産党が私たちを迫害するのは間違っているので、私たちは新聞を配り、その真相を人々に伝え、人々に真相をわからせ、法輪功は素晴らしく、共産党が大法を迫害するのは間違っていることを伝えなければなりません」と言いました。邪悪の団体のメンバーは何も言えなくなりました。しかしかれらは同じように私たちを取り囲んで退こうとせず、その時、私は悪人に道を開けるよう大声で正念を用いると、メンバーたちは本当に道を譲り、私たちは新聞を別の場所へ持って行き配ることができました。

 この出来事を経た後、共産党を目の前にした時、もし心を落ち着かせて、心の中で恐れなければ、正念を起こすことができるのだと認識しました。師父が法の中で説かれたことを思い出します。

 師父は「汝に恐れ有らば 它は直に抓む」[1] 、「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2] と私たちに説かれました。

 三、真相を伝える

 真相を伝える面において、共産党がこの地区で狂ったように破壊したので、真相を伝えて衆生を救い済度することに対する難度が増し、いかに真相資料を衆生の手に届けるかを、ずっと考えており、私たちは人を救わなければならず、共産党は破壊しなければなりません。そこで、私たちは佛学会の協調の下で各地区が佛学会の総合的な手配に協力して資料拠点を広めるという形式を採用して資料を配り、効果がよかったのです。

 私たちの地区は修煉者数人が毎日異なる時間に資料を配り、週に一度大勢で配るスケジュールを立てました。このような真相を伝える形式は大道無形であり、共産党に破壊されることは全くありませんでした。異なる時間、異なる場所で弾力性に富んで資料を配ることを採用したので、固定した場所がなく、固定した時間もなく、共産党は乱す目標を失い、破壊のしようがなく、私たちは法の上から認識し、人心に焦点を合わせて人を救うので、法輪功の資料を衆生の手に渡すことができ、かれらは資料を家に持ち帰り、ゆっくりと見てこの迫害の真相を理解しました! もし真相を受け入れれば、その衆生は救われます。私たちのこのような弾力性に富んだ真相を伝える形式と方法は、とてもよい効果を収めました。

 四、三つの地区で配る

 その後同修と協調し、私たちは資料を配るグループを組み、毎回資料の配布に参加する人数は固定せず、ふつうは5人から10人で、主に配るのは「明慧週報」です。この三つの地区の人口は120万近く、全部で96カ所の真相拠点があり、私たちのグループは毎週2回午前中に配ることを選択し、この三つの地区の中で巡回して資料を配り、主に「明慧週報」を配り、遠い場所を含めると、だいたい3週間に1回巡回して配ることができ、すべての同修がうまく配っています。

 私たちは午前7時から10時までの時間に配り、主に配る対象はサラリーマンや早朝トレーニングをしている人、朝に飲茶(ヤムチャ)を食べている人、市場で買い物をしている人たちです。まず人々が必ず通る道を選定し、配る人の位置と人数をきちんと手配します。一般的に、配る位置にはすべて先に自分で行って数回配り、その時間にどれだけ人の流れがあるのか、どれだけの資料を配れるのかを掌握し、そうしてはじめて人を配分する位置と資料を準備する数量を準備することができます。

 新しい場所に行って配る時、最初は少しの人しか資料を受け取ってくれないかもしれず、なぜなら人々がまだ私たちの真相資料を理解していないからです。そこで、私たちは必ず心を穏やかに保たなければならず、まず心を落ち着かせ、微笑みを浮かべて通行人にあいさつし、それからその後に「明慧を見れば、福報があります」と言うか、あるいは「いつも明慧を見れば一家が平和になります」と言えば、道行く人がいつも資料を受け取りに来ることに私たちは気づくかもしれず、人々が家に帰って法輪功の資料を見る時、なんと法輪功は良いものかと気づき、中国共産党の迫害が邪悪であることに気づくのです。人々は真相がわかり始め、それから興味を覚え始めるのです。その後再び配る時、興味を覚えた人は資料を受け取りに来るかもしれず、顔見知りになれば、いつもあいさつして親指を立て、ある人は友人に渡すためにもう1部をさらに要求するのです。

 私たちのグループは週2回一緒に配る以外に、私たちもみんな既定のマスコミの新聞を配る仕事に参加しています。それ以外に、各人はさらに時間を節約して単独で異なる時間に異なった場所で資料を配り、特に遠い場所も、漏らすようなことはしません。

 中国から香港に来るフリーの旅行客は、深圳湾口岸(訳注:中国と香港の間に位置する出入境検査場)から屯門巿中心へ行きます。なぜならそこには四つの大型マーケットが連なっているからです。フリーの旅行客たちの大多数は日帰り旅行で、休日の時は旅行客が多く、おびただしい数の人で街がいっぱいになり、午後帰る人が多く、通常はバスを待つ長い行列ができ、私たちはバスに乗る位置で『共産党についての九つの論評』や『共産主義の終極の目的』、あるいはその他の資料を配ります。配り始めた時、1箱の『共産党についての九つの論評』をすぐに配り終え、少し配った後、少しずつ減っていきます。なぜなら多くの旅行客がすでに持って行ったからでした。何年も、私たちは空いてる時間があれば時間を節約して屯門巿中心で『共産党についての九つの論評』などを配り、大量の真相資料を配りました。

 その他に『明慧週報』は法輪功の真相を伝え、人を善に向かわせ、善行を積み徳を重んじるよい人になるように教え、真・善・忍に基づいてよい人になるように教えるので、良知がある善良な人は容易に受け入れ、そこで、辛抱強く配り続けていれば、資料を受け取る人がだんだん多くなり、全体の環境も少しずつ改善していきました。配り始める時いくらかの妨害を受けることがあり、怒鳴り散らされますが、少し配った後、これらのマイナス要素は消えてなくなり、環境が少しずつ改善し、大法に対する態度もよくなり、すべての真相拠点では真相がわかった旅行客がみな「大法は素晴らしい」と私たちを称賛するので、うれしくなり、衆生は救われ、私たちが費やした努力は無駄になりませんでした。

 五、心性の向上

 資料を配る過程で、同修の間にもいつも心性上の試練が発生し、時には場所を按排するとき、時には数量をどうするかで、いつも争いが起こり、みんな自分の考えがあります。他の人の様々な按排は良くなく、自分の按排が他の人にとってよいことだといつも思い、他の人の按排は自分のより悪く、いつもさまざまな問題でひどく争いが起こり、騒いでわだかまりができます。その後法に照らして内に向けて探す時、自分に強烈な闘争心や嫉妬心、顕示心などの執着心があり、まだ取り除かれていないことに気づきます。絶え間ない学法を経た後、細心に内に向けて探し自分の問題の源の所在を突き止め、少しずつ執着心などの良くない物質を修めて取り除き、法理はわかりましたが、まだ精進に精進を重ねなければなりません。

 結び

 私の心性の向上が遅いために、過去何年かの修煉過程で、体がいつもあれこれと具合が悪くなりましたが、このようにして、やはり歩んできました。

 師父は「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」[3] と説かれました。

 ですから必ず心性を重視して修煉しなければならず、心性が向上してくれば、体の良くない物質はそれに伴って取り除かれます。私たちは毎日三つのことを行なっていると思っているのに、なぜ体に病業が現れるのでしょうか? 実際は心性が追いつくことができないので、体の様々な悪い物質が取り除かれず、様々な悪い物質が病業の源です。そこで、心性を高めることで、はじめて体を正常な状態に保つことができます。

 少しばかりの認識ですので、もし不足の所があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします!

 師父に感謝申し上げます!

 同修の皆さんに感謝申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (2019年香港法会発表文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/1/388056.html)
 
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