明慧法会|圓圓の修煉物語
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文/中国の大法弟子 圓圓

 【明慧日本2020年4月14日】私は圓圓といい、今年(訳注:2019年)16歳になります。幼いころから先天性の病気があり、ここ数年さまざまな併発症が相次いで現れ、体の状況はますます悪くなりました。私の叔母が法輪功を修煉しており、叔母は私を自分の家に連れて行き一緒に法を学び、煉功しました。こうして私は法輪大法の修煉に入り、今(訳注:2019年11月)すでに修煉して2年が経ちました。

 一、叔母が法を暗記することを教えてくれた

 私は目が見えないので、一人で法を学ぶことができず、聞くことしかできません。叔母が法を読み、私はとても焦りました。しかし私は熱心に聞きました。しかし叔母はいつも私に付き添えるわけではなく、出勤しなければなりませんでした。私は広州、済南、大連の師父の説法の録音を何度も拝聴し、明慧ネットで大法の子ども弟子の交流を聞き、大法の子ども弟子と一緒に『洪吟』、『洪吟二』、『洪吟三』を暗記し『明慧週刊』と正法修煉交流編集を聞きました。

 私は「もし他の同修と同じように『轉法輪』を暗記でき、頭の中に入れることができれば自分の修煉を指導するのにどんなに良いだろう」と思いました。私の考えを聞いた叔母はとても喜び、法を暗記することは長年の願望であると言いました。私たちは今年(訳注:2019年)の3月から法を暗記し始めました。毎回叔母がまず法を1回読み、その後私が同じように読み、一文字も間違えずに覚えられるまで、何度も熟読し、私たち2人はともに暗記し、再び次の法を読みました。一句ずつ暗記し1段落暗記した後再び通して暗記しました。

 叔母が出勤すると、私は前日学んだ法を、再び1回暗記し、時には小見出しの順序通りに1回暗記しました。法を暗記した後どうしてまた忘れてしまうのだろうか、と叔母は言い、「どうしてそんなにすらすらと暗記できるの? 師父が目の前に黒板を置いて、あなたにお見せになっているの?」と言いました。私は「精進したいという願望があることを師父がご覧になり、私の知恵を開いてくださった」ことがわかっていました。

 眠る前にベッドの上で、私はやはり静かに1回暗唱することにしています。私が夢の中でもまだ法を暗記しているのを何度も聞いたことがあると叔母は言いました。夢の中で師父が私に法の暗記を教えてくださり、頭の中に入れてくださっているのだと私自身も感じていました。私は叔母に「法を学ぶことは形式的なことにしてはならず、語呂合わせのようにしてもならず、伝統文化の物語の中の字と同様に(それは書聖王羲之の字だと叔母は言う)奥の深いものですよ。何回もたくさん暗記しなければならず、心に刻み、そうしてはじめてしっかりと覚えることができ、そうしてはじめて中の法理を悟ることができます。そうでなければだんだん記憶が希薄になり、だんだんぼやけていってしまいます」と言いました。

 叔母は以前ずっと暗記することを堅持していなかったと言い、法を覚えることを助けてくれたことに対して私にお礼を言いました。時に叔母と交流するとき、私はすぐに師父の法を思い出し、さらに的確に思い出すことができます。私が法を暗唱するのを聞いて叔母はとても楽しそうでした。

 ある日の朝、叔母に机を拭いてもらい『轉法輪』を持ってきてもらって「私は法を学ばなければなりません」と言いました。私は本を開いた後、本を読み(目は見えていない)、第一講第一節の「本当に高い次元へ人を導く」を暗記し始め、私はゆっくりと暗記しました。私は「真・善・忍という特性を持った宇宙空間は本源的に善良なものであり、人間も生まれた時は、宇宙と同じ特性を持っています。しかし、生命体が多くなると、その集団に社会的な関係ができてきます。その中の一部の者が、利己的になっていったために、次第に自分の次元を下げ、ついに自分のいる次元にいられなくなり、それより低い次元へ堕ちていきました。ところが、つぎの次元においても、まただんだん悪くなり、そこにもいられなくなって、下へ下へと堕ち、最後には人類という次元にまで堕ちて来たわけです」[1]という段落まで暗記しました。

 私は暗記しながら絶えず涙をぬぐっていました。流れた涙は、師父のご慈悲にお礼を申し上げる涙であり、法理を理解させてくださったことに対する涙でした。三界は法を正すために切り開かれ、私たちはただ大法と同化し、ただ最大限にこの次元で形成された執着と観念を放棄すれば、常人から飛び出せるのです。しかし少しばかりしっかり行ない、少しばかり犠牲を払い、師父に修煉の値引き交渉をし、師父にいろいろ要求するのではなく、それではあまりにもなっていないと言わざるを得ません。

 叔母は私のそばに立ち、私が法を学ぶのを見て、さらに私が読んでいる法の位置に私の手を置いてくれました。暗記し終わり、師父の写真のページをめくると、師父のお写真を見たくなりました。師父は金色の袈裟をお召しになり、私を見ていらっしゃいました。師父はいつでも弟子のそばにいて弟子を守ってくださっていることを私は知っています。すぐに、師父はいなくなられました。

 私と叔母は現在(2019年11月)第四講まで暗記しました。叔母が出勤しない時、私たちは朝早くから4ページ暗記することができます。しかし叔母が忙しい時、1日に1段落しか暗記できません。私たちはさらに『精進要旨』、『精進要旨二』、『精進要旨三』の中のいくつかの経文を暗唱し『洪吟』、『洪吟二』を私たちはみな暗記し『洪吟三』、『洪吟四』の中の詩はまだ暗記できていません。『洪吟五』が出た後、私たちは再び暗記し始め、すぐに多くの詩を暗記しました。

 ある日、叔母が仕事から帰ってきて「どうして卵を食べず、牛乳も飲んでいないの?」と私に聞きました。私は「私は今日覚えた法をみな1回暗唱し、それから煉功し、同修の交流文章を聞いて、食べる暇がありませんでした!」と言いました。私が修煉の時間を大切にしていることを叔母は絶賛し、私は絶賛されても歓喜心が生まれないように自分に注意しました。

 現在(訳注:2019年11月)食べることに対する多くの執着はみな法を覚える中で取り除かれ、叔母が私におやつを買ってきても、毎回の食事でおなかがいっぱいになればそれでよく、さらに多くの時間を遅らせることはしません。以前は食事をするのが遅く、のどに何か物がつかえているかのようでした。今(訳注:2019年11月)のどは円滑で、食事の速度が速くなりました。

 以前、私は夏を過ごしたくなく、私の体は甲冑を着ているかのように熱を発散できず、汗が出ないので、暑くてたまりませんでした。今年(訳注:2019年)、私の体は汗をかき、汗腺が通り、正常に代謝することができ、体内が暑く感じませんでした。お風呂に入った時、私は「どうして水がしょっぱいの」と言うと、叔母は「それはあなたの汗ですよ」と言いました。この時私は生まれて初めて汗の味を知ったのでした。

 二、一思一念で私の肉体に対する旧勢力の迫害を否定する

 私はひざの骨の関節が腫れて変形しこぶができ、両足が内側に湾曲し、立ったり歩いたりできなくなり、手の甲のこぶで10本の指が湾曲し、腕を伸ばすことができませんでした。ベッドから起き上がるたびに、私はひじをついて支え、足を下に向けて力を入れてやっと座ることができました。体の痛みは、私の成長に伴っており、わずかな時間でしたが、痛みは私の修煉の最大の人心と魔難になり、服を着ることからトイレに行くことまで、いつでも直面し突破しなければならないものでした。私は毎日椅子に座り、トイレに行くのは自分で両足を滑らせながら動かしてやっとトイレに行くことができます。家ではやはり母親や父親が私を抱いてトイレに行きます。ですから、私の体の状況で煉功するのは難しいのです。

 ある日、ある念が私の頭に入って来て、私の頭の中に入ってきたものは私が法を覚えるのを食い止めることはできませんでしたが、私を煉功できなくし、私を痛くし、私の体を変化させるのが難しくなるようにしました。それが私に対する旧勢力の迫害であることに気づき、すぐに正念を発して解体し、さらに行為の上で旧勢力を否定しました。足は立ち上がれず煉功できないので座りながら煉功しました。腕が痛く、まっすぐに伸びず、それでも私は無理やり伸ばしました。法輪大法は性命双修の功法であり、修煉し、煉功もしなければなりません。痛みを恐れたり、怠けたり、安逸は私が修めて取り除かなければならない人心でした。

 第一、第三、第四式の功を煉り、始めた時はやはり途中で止めて休まなければならず、一度にやり通すことはできませんでした。その後は途中で止めて休んだりはしませんでした。現在(訳注:2019年11月)私は時には1日に何度も煉功しますが、法輪を抱える煉功と坐禅はまだ続けて煉功できず、これも私が突破しなければならないものです。煉功を続けることは、旧勢力に対する全般的な否定です。

 ある日の正午、私は全身が痛く感じ、ベッドに寝転んで休みたいと思い、寝転ぶとすぐに眠り、突然あるエネルギーが魔物のようにあっという間に布団を引っ張り私の頭はぽかんとなってしまいました。私は叫ぼうと思っても声が出ず、動こうと思っても動けませんでした。私は心の中で師父を呼び続け、正念を発しました。その後だんだんと意識がはっきりとしてきました。師父は「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか」[2] と説かれました。師父は私たちに肯定的に法理の教訓を得させようとなさっているのだと思い、そこで行なうべきことを行ない、正念正行しました。その後「私のその安逸をむさぼろうとする心が魔を招いたのであり、神の一面が抑制されているのだ」と悟りました。

 師父は「本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです」[3] と説かれました。

 このような後天的に形成された観念が修めて取り除かれておらず、神のようにふるまえないのです。いつもしっかりと厳格に自分を律することができず、一思一念を修めなければ、関を乗り越える時に神の一面が発揮されません。それ以後、私はできるだけ安逸心を克服し、昼寝を少なくしました。大法の修煉において、私たちは大法によって自分を律し、心性を向上させ、旧勢力と何らかの関係があってはなりません。

 私は歩くことができず、目が見えませんが、自分を障がい者だとみなしたことはありません。私はすでに返本帰真への道を歩んでおり、師父は私の主であり、異なる次元における私の業を消してくださっているのです。師父が説かれた異なる次元での法理を私は体験し会得することができます。ある時、ある人が吊るされて殴られているのがかすかに見えてきて、私の心は悲しくなり、師父が弟子に代わって受け持ってくださっているのを感じました。師父は「この数年の修煉の中で、わたしは皆さんのためにあまりにも多くのことを受け持っただけではなく、同時に、皆さんの向上のため、絶えず皆さんを悟らせ、皆さんの安全のために皆さんを見護っていて、皆さんが圓満成就できるよう、皆さんが異なる次元で造った借りを片づけているのです。これは誰に対してもできることではなく、常人にしてあげられることでもありません」[4] と説かれました。

 私は「大法弟子は衆生を救う中で正念正行しさえすれば、思うがままに神通を運用でき、また自分が正念を発する時雑念が多く、念ずる力が十分に強くないことを認識したので、功能と神通においてさらに大きな威力を発揮することができず、これもまた旧勢力が業力を利用して私の体に対して迫害を行なった原因で、それは私の不足であり強化して突破しなければならない」ということを悟りました。

 大法の中で修煉することができ、なんという幸せでしょうか! 現在(訳注:2019年11月)私は自分の体の変化に関心を持つことはなく、毎日法を学び、法を聞き、心身全体が法の中に溶け込んでいると感じ、宇宙大法を頭の中に入れたいと思い、いつも法に則って自分の一思一念を正しています。同修との交流も同じですが、法を学び煉功することは食事したり、寝たりすることのように自然で、毎日欠かせないことです。自分の生命の一部ではなく、全てなのです。

 ある日の夜、私は「私は起き上がり、ゆっくりと歩くことができ、さらに歩けば歩くほど穏やかになる」という夢を見ました。もし私の目が回復したら、師父は必ず私にその目を用いてしっかりと修煉させてくださるでしょう。私の体が受け持つこの程度の苦は何でもなく、今の人々こそかわいそうなのであり、人々はかつてみな高い次元の生命であり、みな師父の身内ですが、中共に変異させられ、このように堕落してしまい、さらには真相を理解せず大法と大法弟子に対して罪を犯し、大法の救い済度の機縁を失ってしまったことこそ悲しいことなのです!

 第16回明慧法会の応募原稿を私は叔母に頼んで代筆してもらい、大法の真相と師父の広大な慈悲を多くの人に知ってもらいたいと思います。師父は弟子たちに対して三つのことをしっかり行なうよう要求なさっており、私は速やかに追いつかなければならず、師父の要求に達し、合格した大法の子ども弟子になり、より多くの縁のある人を救い済度いたします。

 師父の慈悲なる済度に感謝申し上げます!

 私とともに向上することを助けてくださった同修に感謝いたします!

 子ども弟子は合掌いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/8/395500.html)
 
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