90歳近い私が大法を修煉し 健康になり 家族も受益
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 【明慧日本2020年5月6日】私は今年で89歳で、ごく普通の年配者にしか見えませんが、以前には真っ白だった髪の毛と眉毛がだんだんと黒くなってきました。最初はもみあげに黒い髪が生え始め、その後は、頭のてっぺんと後ろの首すじのあたりから徐々に黒くなりました。

 私は子供の頃から身体が弱く、成人になると肺や肝臓、胃などの病気にかかり、発症すると全身が痛くてとても辛く、薬を飲んでも一向に治らず入退院を繰り返していました。当時、中国の国内で気功がブームになり、数種類の気功を練ってみましたが、一つも効果がありませんでした。それに、方向音痴の私はしょっちゅう道に迷ってしまい、どこに行くにしても傍に付き添いの人が必要でした。

 1997年に私は法輪大法の修煉を始めました。学法してから3日で全身が軽く感じ、その後、すべての病気が治りました。それ以来、私は家事や孫の子守り、他にも山に登って薪を拾って来たり、畑や田んぼの仕事をしたり、一家の中心的な労働力となりました。

 学校に行ったことがないため、私は字が読めませんでした。学法グループで、他の同修が大法の本を読む時に、隣の同修が一行一行指してくれました。当時、1日で三つの学法グループに行って学法し、とても精進していました。しかし、2年後の1999年7.20、中国共産党が法輪功への残酷な迫害を引き起こしました。

 ある日、私達が集団煉功をしている時に、大勢の警官らが突然やって来ました。私達は全員連行され、そして1人ずつに2000元(およそ3万円)の罰金を科せると脅されました。私は「俺たちは身体を鍛えているだけで犯罪を犯していない。2000元どころか2元も出さない」と言いました。警官に「誰の指示で、集団煉功をさせられたのか?」と聞かれ、私は「誰でもない。皆が自由に煉っているだけだ」と答えました。もう1人の警官が私に「誰か1人だけ名前を言えば、すぐに家に帰らせる」と誘導尋問されましたが、私は決して応じませんでした。

 しかし、警官から繰り返して自白を強要されたため、私は「知っている人が多すぎて、書いて置かないと」と言うと、すぐに紙を1枚持ってきました。私は「これでは紙が小さくて、みな書けない」と言って拒否しました。警官は改めて大きな紙を持って来ると、私は「これでもまだ足りない」と言って動きませんでした。今度は大きな紙を3枚持って来ました。私は「町のすべての人の顔は知っているが、名前までは分からない。あんたらは私を1日中尋問したから、あんたらとも知り合いになった。それなら30人ぐらいかなあ、これから全部書き出すぞ」と言うと、警官らは激怒して、私を北大荒に送ると脅しました。私は「どこの土も人を埋めるのは同じで、怖いことなんかないさ」ときっぱりと言いました。今度は私を北大荒に移送するとさらに脅しましたが、私は「かまわん、ちょうど俺も家事から解放されるのでいい」と淡々と言いました。それを聞いた警官らは諦めるしかなく、夜遅くなったと言って、私を家に帰らせました。

 集団学法の環境が失われて、私は自分で学法するしかありませんでした。しかし、字が読めないため、息子にいちいち聞きながら読み続けました。ところが奇跡が起こり、1年も経ったないうちに大法の書籍『轉法輪』を読めるようになりました。

 ここで私は皆さんに、法輪大法が家族や親友にもたらした奇跡を紹介します。

 長男の妻が肝臓病を患い、肝がんの末期で身体全体がむくんでお腹にも水がたまって、幾つかの病院からも治療を拒まれました。私が長男の家に見舞いに行った時には、すでに全身が腫れてお腹が大きく膨らんでいました。大家族が集まって見舞いに来たのを見て、嫁は人生の最後と感じて悲しくなり、泣き始めました。ひ孫は「おばあちゃん、泣かないで、ひいばあちゃんから法輪功を習ってね」と言いました。そこで皆が帰った後、私だけが残りました。当時、嫁は煉功どころか、大法の本も数行しか読めない状態でした。私は長男と長男の4人の子どもを呼んで来て、皆で一緒に煉功することにしました。すると、6歳のひ孫まで参加し、大家族が一緒に法輪功の動作を習って煉功しました。長男の妻はベッドから起きられませんでしたが、皆の煉功をずっと見ていて、子どもたちに良く習うようにと言って促しました。

 その日から、親戚や近所の人が見舞いに来ると、私達が煉功しているのを見て、その場で習う人が多かったのです。その状態が3日も過ぎると、一緒に煉功する人が増えて一部屋では場所が足りなくなり、皆が広い庭で集団煉功をやり始めました。嫁はベッド脇の窓からその光景をじっと見つめていました。

 翌日の午後3時頃、嫁がトイレに行きたいと言い出し、私は支えて連れて行きました。その後、10分ぐらいおきにトイレに行って排尿するようになり、翌日の早朝まで続きました。大量の排尿後に、嫁はよく眠ったようでした。朝起きると、嫁は私に自分が正常に座れるようになった、と言いました。「良かった。それならさっそく学法しましょう」と促しました。すると、6日目から嫁は庭に出て行って、皆と一緒に煉功するようになりました。私は長男の家に半月ほど居ましたが、庭で集団煉功をする人がなんと16人にも達し、その光景はとても見事でした。帰る際に、嫁に「くれぐれも学法と煉功を続けるように」と言い聞かせました。その後、嫁の肝臓病は法輪大法を修煉して完治しました。

 もう一つ例があります。義妹が肝臓病にかかったと知り、私は見舞いに行きました。病気で苦しんでいる義妹は私に「姉さんはまだ大法を修煉できて、羨ましいわ」と泣きながら言いました。私は以前、義妹に大法の本『轉法輪』をあげました。それによって義妹が法輪大法の修煉に入りました。しかし、中国共産党による法輪功への酷い迫害が起きてから、義妹は脅かされて修煉を放棄してしまいました。現在、衰弱している義妹はまだ大法を修煉したい気持ちがあり、私はもう一度、師父の説法の録音テープと大法の本『轉法輪』を義妹に手渡しました。新たに大法の修煉に戻った義妹は病気が治っただけではなく、曲がっていた背中も真っ直ぐに伸びて、元気になりました。

 また、ある同修の親戚Aさんが心筋梗塞にかかり病院に搬送されましたが、治らずに家に戻されました。同修はこのAさんを私の所へ送って来て、一緒に学法と煉功をさせようと思いました。そこで私の同意を得て、朝になるとAさんを私の家に担架で運んで来て、夜になると、運んで家に連れ帰ることになりました。Aさんは来た当初はとても痩せて弱々しく、足の皮膚が薄くて紙のようでした。最初、Aさんは坐禅を習う時、細い足が上手く組めませんでしたが、徐々に良くなりました。

 3日目には自分でトイレに行くことが出来ました。田舎にある我が家のトイレは室外にあり、しかも250メートルも離れた所でした。担架で運ばれて来て、自分の身の回りのことが全く出来なかった重症患者のAさんが、たった3日で、自力で往復500メートルも歩いて、トイレに行けるなんて信じられないことでした。さらに奇跡だと言えるのは、そんなAさんが40日余りで完全に回復し、家に帰った後、姑の介護まで出来るようになりました。当初、Aさんの修煉に反対した家族も、法輪大法の奇跡を目の当たりに見て、心から信じるようになり、法輪大法の素晴らしさを人々に伝えることが出来ました。

 私の実家は都市にあります。実家に行く度に、私は向こうの同修から大法の真相資料とお守りを田舎に持ち帰り、自分が配るほかにも周辺の同修にも手渡していました。

 ある日の夜10時頃、私は大法の真相資料を配りに出かけました。あと2冊の小冊子が残っていました。そこで、1台の車が止まっているのを発見し、車内の人に配ろうと思いました。開いていた窓から小冊子を渡すと、車内には1人の警官が座っており、私をじっと見ていました。それに気が付いたら、それがパトカーでした。周囲が暗かったので、私は不意にパトカーの横にある溝に落ちてしまいました。年配者が自分のパトカーのせいで溝に落ちた責任を恐れ、警官はパトカーを運転して逃げました。人影もない真っ暗な夜道で、私を助ける人は誰もいませんでした。「私は修煉者だ。私は必ず無事に歩いて家に戻るのだ」と自分に言い聞かせながら、師父に助けをお願いしました。こうして私は自力で立ち上がり、溝から脱出し、背筋を伸ばして家まで歩いて無事に帰りました。師父はまた、私を守ってくださいました。

 今、90歳に近い私は、心性をよく乗り越えられない時に、転ぶことがよくあります。手首や足の骨にずれが生じるなど、けっこう大変でした。しかし、私が自分の間違いを悟ると、次に転んだ時にずれた所が正常に戻りました。とても不思議に思いました。

 師父は私に第二の命を与えてくださいました。私の体験から家族も法輪大法を信じるようになり、3世代に渡って法輪大法から受益しました。師父、本当にありがとうございます!

 現在、私の髪の毛が少しずつ黒くなっています。それだけではなく、足もますます軽くなったように感じます。ある時、私が市場に行く途中、ある30代の女性が自転車に乗って後ろから追いかけて来て、私に「お年寄りですが、足が軽くて速いですね。自転車も負けるぐらいですよ」と笑いながら言ってくれました。私も笑顔でこの話題から大法の真相を伝え、大法のお守りを渡しました。

 縁のある人が追いかけて来て、大法の真相を聞くことは、師父の慈悲なるご按排だと思いました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/19/404000.html)
 
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