肺がんと肝臓がんを患った89歳の患者が50日間で健康を取り戻す
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年11月13日】私の母親は89歳です。今年(訳注:2018年)8月のある日、母親は庭で自分が植えたインゲン豆を摘んでいました。思いもよらなかったことに足を滑らせ、地面に倒れました。母親の体はインゲン豆を支えている2本の竹竿の間に挟まれ、起き上がれなくなりました。この時、腹部に激痛を感じました。空はわずかに暗くなり、小雨が降っていました。母親は人を呼ぼうと思いましたが、声を出すことすらできませんでした。私の家の庭は大きく、その日家にいたのは母親1人だけでした。

 危急の状況で母親は「危険な目に遭ったら『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍はすばらしい』と心から念じてください」という私の話を思い出し、弱弱しい声で「大法の師父助けてください、真・善・忍助けてください、私はずっと真・善・忍が素晴らしいことを信じています」と言い続けました。このように念じていると、片足が少し動くようになり、頭も上げることができました。母親は念じながら外にはい出て、少しだけ竹竿の中から移動しながら、少しずつ家に向かて這って行き、頭をソファーの上に乗せると、そのまま何もわからなくなりました。

 目が覚めるとすでに夜中の12時半でした。全身に力が入らず、服と髪の毛が濡れていました。のどがひどく乾き、水を飲みたかったのですが、体が動きませんでした。そこで「真・善・忍、私はもう力が入れられません、水が飲みたい、のどが渇いた!」と思いました。そのように考え、少ししてから椅子につかまってテーブルのところまで進み、テーブルの上の水をついに飲むことができました。

 息子に電話をかけようと思い、電話を手に取りましたが、どうやっても電話をかけられませんでした。母親は心の中で「法輪大法、助けてください、家の中で1人で死にたくありません・・・」と言いました。そう考えながら、意識がはっきりしたり、ぼんやりしたりを繰り返し、気がついたら空が明るくなっていて、外はまだ小雨が降っていました。母親は椅子につかまって体を起こし、何とか傘と携帯電話を手に取り、心の中で「法輪大法、私を町へ連れて行ってください・・・」と言い、ゆっくりと壁に手をつき、傘を差し、町に向かって移動しながら、通りすがりの人に息子のところに電話をかけてもらうように頼みました。

 息子は電話を受けるとすぐに車を運転してきて、母親を県の病院に連れて行きました。

 検査の結果、肺に腫瘤があり、肝臓にも腫瘤があり、どちらも末期がんでした。さらに肝臓の腫瘤はすでに破けていました。おそらく前の晩に転んだ時に破れたとみられ「おなかの中が血だらけです」と言われました。医者は「ここでは治せません、急いで大きな病院へ転院しなければなりません」と言いました。

 母親が高齢で苦しい思いはさせられない、と息子と娘は相談し、お金を使って上級病院の専門家の立ち会い診察をお願いしようと決めました。立ち合い診察が終わった後、専門家は「止血するためにすぐに手術しなければなりません。しかし89歳という高齢なので、彼女は手術台から降りられないかもしれません。もしこのまま治療を続けるだけなら、何日も生きられないでしょう」と言いました。このまま治療を続けることしかできないと最終的に判断し、輸血をしてできる限り最大限の治療をしよう、と家族みんなは相談しました。

 私は急いで母親の耳元で「今は『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』だけ考えてください、私も一緒に念じます」と言いました。母親は弱弱しい声で「ずっと念じているわよ!」と言い、私は母親と一緒に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じ続けました。

 4日目に再度検査をすると、母親の血色素が再び下がり、医者は「出血が止まったのかもしれません。腹腔内に管を入れ血を抽出しました。残った血は吸い出しようがなく、彼女が自分でゆっくりと体内に吸収していくのを待つしかありません。しかし・・・(数日しか生きられないのでは、どうにもならないだろう、という意味だった)、彼女の幸運を祈りましょう」と言いました。

 6日目に検査の結果が出て、医者は「血が止まりました。退院できます」と言いました。こんなに重い病気なのにどうやって家に帰るのか、と私たち姉妹数人は相談しました。老いた母親がこのように去っていってしまうのを、なすすべもなく見ているわけにはいかないと、皆思いました。

 さらに2日入院し、医者は回診の時に「これまで、使うべき薬はすべて使いました。がん細胞が拡散し、我々ではどうにもできません。帰って葬式の準備をしてください」と言われました。私たちは医者に薬を出してもらうようお願いしましたが、医者は「役に立ちません。こんなに重症では、家に帰って何か食べさせた方がいいです」と言いました。

 どうしようもなく、母親を家に連れ帰りました。母親は重湯と水をほんの1口か、2口だけしか飲めませんでした。息子と娘たち全員がそばで見守っていました。次の日の朝、痰壺の中身を捨てて戻ってくると、私は驚きました。あらまー! なんと母親がベッドの上で起き上がっていました! 「どうやって起きたの?」と聞くと、母親は弱弱しい声で「真・善・忍を考えていたのよ! 家に帰ってからもう1日中寝っ転がってるから、いつまでも寝てるわけにもいかないし、子供たちも怖がるだろうから、起きたかったのよ。『真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい』と考えながら、手を使って起き上がったのよ」と言いました。

 私は感動して「師父にお礼を申し上げなければなりません!」と言うと、母親は「この数日間は誠心誠意、師父に10回叩頭の礼をしなければなりませんね」と言いました。それから母親は普通に座れるようになり、さらに数日たつと、ベッドから下りてトイレに行けるようになりました。5、6日経つと、母親はお椀半分のおかゆを食べられ、10日目には歩くのに人の助けがいらなくなり、自分で食事をし、1人でトイレに行きました。30日が過ぎるとすでに自分で自分の服を洗っていました。

 母親は義理の弟の妻に「『真・善・忍』とは他の人が嘘をついても、私は嘘をつかず、悪い考えを持って人のことを考えず、人のことを傷つけず、何があっても他の人のことを考え、ただ他の人に良くするだけです。何かあっても忍耐し、争わず、怒ってはいけません。私は心から法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいことを感じ、毎日考え、さらにその通りに行いました」と言いました。

 親戚と友人は母親を見て「二つの末期がんが良くなったの? 信じられない」ととても驚きました。そして、どうやってよくなったのかを母親に聞きました。母親は「私は心の中でいつも『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じて良くなったの、法輪功の師父が治してくださったのよ」と言いました。

 見舞いに来た人の一人一人に母親はこのように伝え、体は日一日と快方に向かいました。

 30日が過ぎると自分で部屋とトイレを掃除できるようになり、40日が過ぎると町に出て近所の人たちに、自分の身に奇跡が起きた話を伝えられるようになりました。

 やっかいなことが起こるのを恐れて、息子の嫁は母親に話させまいとしましたが、母親は「これは私自身のことで、誰もあなたに会いに来ませんから、心配しないでください! 私は一言もうそを言っておらず、すべて事実です。あんな重病で退院した後、薬も飲まず、注射も打たず、こんなに早く良くなり、早すぎて、あなた達を返って恐れさせてしまいました! しかし誰が来ても私は、この命は大法が授けてくださったものだ、と言い、法輪功のために本当の話をしなければなりません!」と言いました。

 これが89歳の私の母親の奇跡的に回復した話です。末期の肺がんと肝臓がんを患い、数日も生きられないと医者に診断され、11日間病院でベッドから下りられず、水抜き、食事抜きで7日の間寝たっきりで病院で過ごし、医者はおろおろするばかりでした。家に帰ってからも、死を待っていた89歳の老人が、家に帰った後は薬を飲まず、注射も打たず、12日目の朝になんとベッドから下りられるようになったのです。その後、日一日と変化し、毎日私達を喜ばせ、驚かすことが起きました。15日目には体はすっかり正常に回復し、生活をすべて自力で行えるようになりました。

 この話を聞いた人はみな信じられない様子でしたが、これは心から大法が素晴らしいと信じ、「真・善・忍は素晴らしい!、法輪大法は素晴らしい!」と心から唱え続け、我が家で起きた本当の奇跡の話です!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/2/376542.html)
 
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