大連の学習者・常学玲さん 酷く迫害され死亡
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 【明慧日本2020年5月11日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省大連市の法輪功学習者・常学玲さんは、二度の労働教養を強いられ、大連労働教養所と馬三家労働収容所で労役を科され、ひどく殴られ、残忍な拷問を受けたため、出所しても身体が回復せず、衰弱した。2015年、常さんは江沢民を告訴したため、また管轄区内の警官らにより、たびたび嫌がらせをされ、2020年3月9日午後8時頃に死亡した。55歳だった。

 常さんは大連市西岡区工人村に住んでいた。2000年の冬、常さんは戸外で煉功したため、炉礁派出所の警官に連行され、5時間以上拘束された。

 一、大連労働教養所で受けた酷い迫害

 2001年10月23日、常さんは工人村派出所の警官らに大連留置場に送られ、55日間拘禁された。2001年12月中旬から、常さんはまた大連労働教養所に移送され、そこで2年と9日間ひどい迫害を受けた。

 2002年の旧正月の期間中、警官は常さんに手錠をかけ、1日2回しか食事を提供せず、トイレも禁止した。ある日、警官らは常さんのシーツを引き裂いて紐にし、常さんを鉄製のベッドにしっかりと縛り付けたため、常さんは気絶した。警官は気絶したふりをしているだけだと言い、冷たい水をかけた。常さんが意識を戻した後、警官は窓を全開にし肌着だけにし凍えさせた。その日は、冬用のコートを着ていても寒く感じる寒さであった。

 2002年3月18日、常さんは鉄の柵の外で宙吊りの状態で「大」の字の形に縛り付けられ、1日2回しか食事を与えられず、トイレも許されなかった。鉄の柵の中には5人の法輪功学習者が拘禁されていた。

 二、馬三家労働収容所で殴打され拷問される

 常さんは2008年3月10日、大連市白雲新村派出所の警官らにより連行され、大連留置場に拘束された。2008年4月18日、常さんは馬三家労働収容所に移送され、身体検査を受けた時に血圧が180 mmHgまで上昇したが、警官らは1時間以上遅延して、最後にやはり2年間の拘禁を決めた。

 2008年8月28日、常さんは「パーセントテスト」にサインをしなかったため、活動室で警官・尤然に殴られ、常さんが手でそれをブロックすると、警官・尤然は「ああ、警官を襲った」と叫んだ。すぐ外から二十数人の警官らが入って来て、常さんを取り囲んで酷い暴力を振るった。

酷刑演示:暴打
拷問の再現:暴力を振るわれる

 2008年11月、常さんは書面に署名することを拒否したため、暴行を受け、家族との面会交流権を奪われた。

 2009年7月20日、常学玲さん、王金鳳さん、崔国華さんと他の5人の学習者は、食堂の入口で「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、一人ずつ「大掛」という残忍な刑にかけられた。警官は常さんの片手をベッドの上の段に手錠をかけ、片方の手をベッドの下の段にかけ、さらに靴で下の段の手を踏みつけた。常さんの頭が垂れ下がったため、警官は常さんの髪をつかんで引っ張ったり、腕の内側の肉を捻ったりした。1回捻る度に「まだ、叫ぶのか」と言い、結局は2時間以上苦しめられた常さんは、両手の感覚がなくなり、引っ張り抜かれた髪は地面にいっぱい散らかった。警官らはさらに残忍なこれらの拷問のことを誰にも言わないように、と常さんを脅した。

 常さんは2回の労働教養をさせられ、4年以上にわたり非人道的な残酷な拷問を受け、2010年には衰弱しきった身体で帰宅した。その後、2015年に江沢民を告訴したため、再度たびたび嫌がらせを受けた。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/2/404646.html)
 
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