明慧カレンダーを配った瀋陽の蘭立華さん 迫害死
■ 印刷版
 

 【明慧日本2020年5月4日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省瀋陽市蘇家屯区の法輪功学習者・蘭立華さんは、明慧卓上カレンダーを配布したという理由だけで連行され、留置所でひどく迫害された。また、乳癌を患っているにもかかわらず、懲役3年10カ月の実刑判決を宣告され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。女子刑務所で、蘭さんはまたB型肝炎に感染して重症になり、2020年4月23日に亡くなった。49歳だった。

 蘭さんは2015年6月、迫害の首謀者である江沢民を告訴したことが原因で、蘇家屯地裁から懲役14カ月の実刑判決を言い渡され、遼寧省女子刑務所に拘禁されたことがある。遼寧省女子刑務所で蘭さんは危篤状態に陥ったが、刑務所は依然として解放せず、2016年8月25日に刑期が満了し、ようやく帰宅することができた。

 2018年11月6日、蘭さんは野菜を販売する年配者に、「明慧卓上カレンダー」を配ったという理由だけで、蘇家屯区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らに連行され、罪に陥れられた。その後、家宅捜索が行なわれ、一部の私有品が押収され、蘭さんの夫も警官らに連行され、5時間後に解放された。

 蘭さんは瀋陽市留置場に連行され、灌食された。また、「大挂」という拷問により、吊るし上げられた。その時から、蘭さんの左胸に卵サイズのしこりができ、乳がんと診断された。蘭さんの妹は姉の居場所を探すために、国内安全保衛部門、派出所、検察庁、裁判所の間を駆け回り尋ねたが、すべての部門は責任をなすりつけたため、妹はあちこちに騙されて真実な情報を知ることが出来なかった。

“上大挂”酷刑
拷問イメージ図:「大挂」にかけられる

 蘭さんの案件は2018年11月19日、蘇家屯区公安局により蘇家屯区検察庁に提出された。蘇家屯公安局と国内安全保衛部門は、蘭さんを罪に陥れるように蘇家屯検察庁に強く働きかけた。検察庁は二度もこの案件を差し戻したが、公安局は相変わらず蘭さんを解放しなかった。そして、「証拠が補足された」後、蘇家屯検察庁の李愛成は蘭さんに懲役5~6年ぐらいの量刑になるだろうと言った。

 2019年5月5日午前10時頃、身体が衰弱して顔色が真っ青な蘭さんは、手錠と足かせをかけられて入廷し、その状態のままで開廷された。蘭さんの弁護士は法廷で無罪を主張した。 当日、判決が下されずに裁判は終了した。翌日、蘭さんに懲役3年10カ月の実刑判決を宣告した判決書が、家族の手元に届いた。

 2019年5月7日、瀋陽市留置場4監区の隊長・趙英と蘇家屯裁判所の裁判官・曲寧は、家族を呼び出して蘭さんの治療方法について話し合った。手術を行なうため、家族は心配し付き添いたいと願い出た。しかし、裁判官・曲寧は「私は医者ではないし、付添いの必要があるかどうかわからない」と答えた。隊長・趙英は「本案件は裁判所に渡されたので、裁判所の同意を得ない限り、ここで無断に判断できない」と言った。蘭さんは入所した時に元気だったため、家族は治療の際の責任の所在を明らかにするためのサインを求めたところ、両者ともサインしなかった。その時、家族は「人はすでにこのように衰弱し、しかも法を犯しておらず、なぜこんな酷い判決を下すのですか」と聞くと、曲寧は「酷いのは、これからだ」と言った。

 2019年9月26日、蘭さんは遼寧省女子刑務所に移送され拘禁された。身体が非常に衰弱し、さらに「B型肝炎」までうつされた。しかし、刑務所側は「保釈の可能性の有無は分からないが、ここで看病するなら費用が必要である。どうするかは、家族で決めてもらう」と電話で家族に告げた。

 蘭さんは入所した当時は健康であったが、残酷な迫害を受け続けて病気になった。解放されず治療もできない状況下で、蘭さんは刑務所で1年6カ月の間、絶望的な辛い日々を送った。刑務所側は、蘭さんが亡くなる前の夜中に、家族に危ないと連絡しただけだった。

 2020年4月22日に家族が739病院に駆けつけた時、蘭さんはすでに昏睡状態に陥り、早朝の6時に亡くなった。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/26/404358.html)
 
関連文章