明慧法会 | 拷問と黒い闇の10年を乗り越える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年6月27日】私は小さい頃から特に趣味もありませんでしたが、常に弱い者の味方をして、人と喧嘩していました。大きくなると兵隊になってから、また武装警察官を勤め、その後一般の会社に入りました。会社に入ってから、暴力団の人との付き合いがあり、そこには、社会の悪い習慣が全てあり、癇癪持ち、人を罵ったり、殴ったりすることもよくあります。家族や会社で、私は問題の人物でした。

 しかし、私は子供の頃から、佛を信じ、多くの佛教の経文を読んだことがあります。そして常に太陽を見て、自分が太陽の中から来たと思っていました。小さい時、常に立っている佛を見ていたので(普通の人は見えない)いつか出家すると言う考えがずっとありました。

 法を得て、生まれ変わる

 1998年、私は30歳になって、中国共産党(以下中共)の腐敗が気に入らないので、毎日不平不満を感じ、出家しようと思っていました。1999年3月、数回にわたって私に大法を紹介した同僚は、私を連れて師父の説法ビデオを見に行きました。その時、彼は他の同修に私を指差して、「この人は魔性が非常に大きいのです。今回が最後で、法を得ればいいのですが、得られなければ仕方がありません」と言いました。

 私は師父の説法ビデオを見て、師父が大手印を打つ場面を見た時、突然、全部分かったと感じ、これが佛だと固く信じました。『轉法輪』を借りて、朝10時から次の日の午後2時まで一気に読み終えました。気功は修煉ということ、どのように修煉するか全部分かりました。「真・善・忍」を見て、「真」の意義が分かり、「善」の意義も分かり、「忍」を見て、これが最高の佛法であると分かりました。

 このようにして、私は法を得ました。私は毎日にこにこして、心から幸せだと感じました。足が固くて坐禅できないので、自分の足を踏むように、毎日人に頼みました。約1カ月経って、私は坐禅が出来るようになりました。法を得て心から嬉しくて、一切の悪い習慣がなくなりました。会社の指導者たちは法輪功が私を良い人に変えたと言いました。

 法を得てから1カ月の時、1999年4月25日、私は数人の修煉者と一緒に北京に行きました。帰って来てから、同修達と一緒に資料を持ってあちこちで大法を宣伝し、自転車に乗る時、ペタルを踏まなくても、自転車は猛スピードで走りました。

 修煉は心性を向上させることです。ある日、私は自転車に乗っていて、普通乗用車とぶつかって、自転車の車輪が変形しました。もし修煉してない時であれば、私は必ず手をあげて喧嘩しますが、その時、これは修煉するため、心性を向上することだと思い、我慢しました。大法は私を変えました。

 師父を固く信じ、大法を守る

 1999年7月20日、中共は大法に対して迫害を始めました。私は多くの同修と一緒に県政府に陳情に行きました。途中で警察官に止められて一人一人、引っ張られてバスに乗せられ警察学校に着きました。警察学校で私たちは登録するように要求されました。私は武装警官の仕事をしたことがあります。情報を登録すると、警察官に情報を把握されることが分かっているので、登録しないで、タクシーで家に帰りました。

 次の日、煉功点へ行き、その様子をみて寂しくて、数人の年寄りの同修達はこのような煉功点を見て、涙を流し、私も悲しくてたまりませんでした。その後、出られる同修と連絡して、「集団学法と集団煉功が途切れてはいけない」と伝えました。その時、本(『轉法輪』などの修煉の本)を没収された人がいて、保証書などを書いた人もいました。文化広場(煉功点の場所)に多くの私服警官が居て、多くの同修もいました。同修達はどうすればいいか分かりませんが、私は同修達に、「師父は私たちに善に向けて心を修めるよう仰っておられます。修煉の本を引き渡すことはできません。保証書なんか書けません。修煉することは間違いではありません。自分の信念を守って、中共の言う通りになってはいけません」と言いました。

 その後、私は数人の同修と一緒に大法を守るため北京に行きました。北京へ行く前に、私は天目で師父が白い袈裟を着て手を立てておられる姿を見ました。師父は私に、『洪吟』の中の「法に助く」、「威徳」、「何も残らず」と、『精進要旨』の中の「師を拝む」、「誰のために修めるのか」、「誰のために存在するのか」を読むように言われました。

 北京に着くと、江沢民は99%の法輪功修煉者が法輪功をやめたと言っているという噂を聞きました。私は心で「まだ多くの人が引き続き修煉していることを証明しよう」と考えました。その後、いろいろの地域の修煉者は自分が修煉を続けていることを証明するため、連署していました。私は同修と一緒に、これらの署名を真相CDにして作成し、国連の係員に送り、中国にはまだ多くの修煉者がいることを証明し、江沢民は噓をついていると暴露しました。

 その後、60人あまりの同修が天安門広場で真相の横断幕を掲げて、集団煉功し、全世界に中国で、まだ多くの人が法輪功を修煉していることを実証しました。同時に、私は警察官に北京朝暘派出所に連行され、また北京の地方事務所に送られ、最後に地元の大広留置場に27日間、拘束されました。

 その後釈放され、私は再び北京に行きました。北京で安徽省の同修と出会いました。安徽省の同修は金がないため、安徽省から歩いて北京へ来て、夜、戒台寺の外に泊まっていると聞き、私は彼らに蒸しパンを買ってあげました。その後、警察官は情報を得て、山を封じ込め、捜査して、私と数人の同修は崇文門派出所に連行されました。当時私は黄色の服を着ていましたが、警察官は赤い色の服を着た人を探していて、警察官は私のことに気づいていないと見て、同修が捨てた電話カードを拾って行きました。

 2000年4~5月ごろ、皆が出てきて、北京で大法を実証して、師父の名誉を回復し、修煉の環境を回復し、すべて違法に拘束された大法弟子を釈放するよう求めました。

 2000年5月、私は再び北京へ行きました。北京で最初に見た真相CDは、世界を驚かせた「中国の法輪大法記者会見」です。中にデータや写真があり、外国の記者の「弾圧」というタイトルの記事があり、江沢民は99%の人が法輪功をやめたと言ったのは嘘で、中国本土でまだ多く人が法輪功を修煉していると書いてあり、江沢民の嘘を暴露しました。

 警察官は悪魔になり、狂ったように拷問を実施

 2000年11月20日、北京と地元の警察官は連合して、地元の公安局に、私と妻を含め数人の同修が強制連行され、第一留置場に1年7カ月間、拘禁されました。

 拘束された期間に、私を含む多くの同修は拷問や夜の尋問を受けました。2001年1月18日午後3時頃、私の手足は鉄の椅子にしっかり縛られ、また腹部を丸い鉄で腰掛けに固定され、足首も足かせをつけられて、全然動けない状態になりました。夜9時頃、数人の警官は私に拷問を始めました。1人の警官はメモをして、2人の警官は私を腰掛けから鎖を解いて、またナイロンロープをつけた手錠で後ろから両手をロックしました。私の両手を後ろで組み、1人の警官は私の頭から前にナイロンロープを引っ張って、2人の警官は私の両肩を強く押し、私は一生懸命あがきましたが、服が引っ張られその服で頭を覆い、背中が出ました。1人の警官は高圧スタンガンで私の首から腰まで繰り返して電気ショックを与え、両手が強く引っ張られ、関節に強く押し込まれ、大変苦痛でした。

 私は何も言わず、数分が経ち、全身汗だらけになりました。警官はまた他の人に命じて私に拷問を実施しました。1人は私の両腕を押し込んで、冷たい水を背中にかけて、同時に繰り返しスタンガンで電気ショックを与え、暫く経って、私は痛みで意識を失いました。また、冷たい水を私に浴びせて起こし、1人の警官は私の両足を動かしていました。その時、私は全然動けなくなり、全身の感覚がなくなりました。警官は、「この体勢は問題ない、何とか慣れた。供述しないと『上縄』(上縄:きわめて残酷な拷問)する」と言いました。

 三つ目のロープ(縄)をつけた時、2人の警官が力いっぱい引っ張って、私の両手を後ろから頭に持って行き、頭が太ももに付きました。警官はまた2人の警官に足かせの上に立って強く下に押し込むように命じました。その2人は「これでいいですか? 体を壊すよ」と言いました。私は全身の力を使ってあがき、この時左足の足かせが壊れました。その時私の足が骨折しました。私は意識を再び失いました。目が覚めた時、頭から冷たい水をかけられて、両腕の上部が黒くなっていました。警官たちは汗だくになったので、入浴しに行きました。

 警官たちは休み終えて、私にもっと残酷な拷問を実施しました。スタンガンで私の首や生殖器に電気ショックを与え、また受刑者に命じて、スタンガンを私の口の中に入れて電気ショックを与えました。このように数回繰り返して、彼らが欲しい供述を私に言わせようとしました。

 24時間以上続いた午前中の拷問によって、私は留置場で4カ月、体が動かなくなりました。拷問を受けてから、私は刑務所に戻って3日2晩寝ました。肋骨骨折、左足の左側の骨折、骨が曲がり、血圧が高くなったり低くなったりして、呼吸が困難で、両腕、両足が瘀血によって黒くなり、胃は引きつって痛くて耐えられませんでした。そして常に吐き戻し、左足の骨折した所の位置がずれたまま癒着しているので、歩く時痛くて足を引きずっていました。

 拷問を受けた同修は多くいました。警官は夜中から大法弟子の拷問をしました。鉄椅子に座らせて、足かせをつけ、老虎凳(刑具の一種.:細長い腰掛けの一端に両足を伸ばして座らせ、膝を縄で固く縛りつけてからかかとの下にレンガを挿し込んでいき、レンガを増やして高くするほど苦痛が大きくなる、トラのように恐ろしい腰掛けの意味)にして、大法弟子の両手を後ろで縛り上げ、力いっぱい引っ張って、また背中に冷たい水をかけてスタンガンで電気ショックを与え、さらに、警官は鉄棒で同修の腹を切り分けるなどです。

 ある警官は、「もし、○○(大法弟子の名前)が供述しなければ、割ったビール瓶を彼の肛門に入れる」と言いました。その後、この手段を同修に使いましたが、同修は声がかれても、何も言いませんでした。

 懲役13年の判決を受け、刑務所で迫害に反対

 2001年の秋、地元の裁判所は、私を含む12人の同修に違法に裁判をしました。当日約1000人の大法弟子は裁判所の外で正義の声を出し、この違法な裁判を止めました。当日、裁判所の建物の中にも多くの大法弟子がいて、廊下や、ドアの所に大法の真相資料を貼り付けていました。私たちは裁判所からパトカーに乗った時、外の大法弟子は、「法輪大法は素晴らしい、法輪大法は正法です」と叫んでいました。

 2002年3月6日、地元の裁判所と検察庁は私たちに第2回目の裁判を行ないました。私は法廷で真相を伝え、また警官が私に実施した拷問を伝えました。そして、法輪大法を学んでから私がより良い人になり、師父が伝えた心を修めて善に向買わせることは間違っていないと彼らに伝えました。休廷の間に、警官は私に話させないように、暴力を振るい、スタンガンで電気ショックを与えました。

 2002年3月8日、再び裁判を行ない、私は13年の実刑判決を言い渡されました。

 私は刑務所に送られ、4人の受刑者が私を24時間監視しました。私はその受刑者に、「もし私に何かあったら、君たちは責任を取れるのかしっかり考えてほしい、もし責任を取れるなら、やればいい。もし取れなければ、早めに警官に伝えて」と言いました。それらの受刑者は心配して、警官に伝えました。警官は私に聞き、私は逆に警官に、「受刑者は私を監視する権利がありますか、どこに行っても後ろについていて、これは人権侵害ではないですか? 私は犯罪を犯すことはないし、何故私を監視するのですか?」と聞くと、警官は答えられなくなり、監視をやめました。その後、拘束された修煉者が多くなり、私は同修たちと協力し合って、刑務所内の迫害を外に暴露して、法を学ぶ環境を切り開きました。刑務所の中で、私たちは小さいサイズの『轉法輪』と師父の新しい経文を読むことができました。ある日、私は刑務所の指導員に真相を伝え、その指導員も『轉法輪』を読んでいました。その指導員は学習者を迫害せず、「法輪功をやめるなどの保証書を書かなくてもいい、何かあったら、私が何とかします」と言いました。

 刑務所の中で、ある日私が同修たちと一緒に集団学法をしたことがバレました。刑務所は強制的に「転向」を行なわせ、「五書」(法輪功をやめる保証書、悔過書など)を私たちに書かせました。ある同修は、固定して体を伸ばす床という拷問で迫害され、五馬分屍(5匹のウマに人の首と四肢を縛りつけて体をばらばらにすること)のように、彼は耐えられず、いわゆる保証書を書きましたが、書いてすぐ後悔しました。私は彼に正しい信念を確固として持つように励ましました。その後、警官からの問い合わせのチャンスを利用して、彼は以前書いた保証書を廃棄すると厳正に声明して、「法輪大法は素晴らしい」と書きました。そのため、彼はもっと残酷な拷問を受けました。

 その後、また多くの修煉者がこの刑務所に続々と送られてきました。ある男性の同修には生殖器に拷問を行ない、私は同修と一緒に警官に迫害をやめるように強く要求しました。またテレビ番組に迫害の真相を挿入することを参与したある同修が迫害によって死んだことを聞いて、私たち全体の大法弟子は絶食して迫害反対を行ないました。これによって、刑務所の各方面で生産が3日間止まりました。このことによって、2003年2月23日、私を含む数人の同修は別の刑務所に送られました。

 信仰をはっきりさせ、「転向」を拒否

 別の刑務所に入ったばかりの時、家族が面会できます。その後、刑務所の警官は強制的に「転向」させるため迫害を実施しました。ある日、私を含む数人の大法弟子は廊下で直立不動の姿勢を強制させられました。省の610弁公室の人員4人の邪悟者を連れて来て、私たちを転向させようとしました。その4人は、全て私の知り合いです。私は女性の邪悟者に、「いつ転向したの? 君は教師ではないか? なぜ裏切り者になるのか?」と聞くと、彼女は一言も答えられませんでした。4人の中の1人は私の過去を知っているので、私に、「君は暴力団の人でしょう、なぜこれを学びますか? やめましょう。まだ法輪功を見通していないのですか?」と言いました。私は、「昔、1日師として仰げば、一生父として慕うといわれる。私は今法輪功を学んでいるが、以前、君は私にこのように話す勇気があったのか?」と言いました。彼は黙っていました。引き続き、「私が修煉するかどうか君と何の関係があるのか? 『轉法輪』を持って来て、君の意見が正しいかどうか確認しましょう」と言いました。彼は『轉法輪』を持ってきました。その時、私は『轉法輪』の「論語」をまだ完全に暗記していなかったので、ちょうどこの機会を利用して確認しようと思いました。私は午前から午後3時まで暗記して、彼らが気づいたら、私は完全に「論語」を暗記していました。

 彼らの邪説を、私は完全に断わり、夜9時頃、私は独房に連れて行かれました。帰ってから、私は刑務所の労働にも参加せず、同修が殴られた場面や、また一部の同修がいわゆる「五書」を書いたこと、さらにある同修が「転向」して邪悟したことを見て、私の心は辛くて耐えられませんでした。同修に正しい信念を固めさせようと思って、独房の廊下で、「法輪大法素晴らしい!」と大きい声で叫びました。叫んだ直後、私は殴られました。その時から、私を厳しく閉じ込め、誰も私と話すことを許さず、私を見ても話さず、家族との面会もできませんでした。

 その後、もう1人の同修がこの刑務所に送られてきました。送られて来た当日、警官はベルトでその同修の背中を強く叩くと、その同修はすぐ「師父助けて!」と叫び、刑務所のどこにいても聞こえました。その警官はすぐやめました。次の日、警官は受刑者に、その同修の世話をするようにと命じました。同修は受刑者に真相を伝え、毎日『九評』を話しました。その同修は年寄りだから、皆がその同修に「高爺」(尊敬するため)と呼んで、その同修の話を聞きたがっていました。

 610弁公室の人員は北京に行き羅幹の指示のファイルを持って帰りました。そのファイルの中に、私を含む3人の「転向」しない同修の3人の名前があり、羅幹の指示によって私達3人を撃ち殺しても責任がないと書いてありました。3人の中の1人に、正念が非常に強い同修がいました。冬、警官はその同修に塩水をぶっかけて彼に「君は罪を認めていない、では、なぜ、囚人服を着るのか」と言うと、その同修はすぐに囚人服を脱ぎました。同修は寒さで震えていました。彼は寒くても囚人服を着ませんでした。警官はまたスタンガンで彼に電気ショックを与え、彼の体が傷らだけになると警官はトイレットペーパーを傷に貼り傷が乾いたらまた引き裂きました。このようになっても彼は人を救い済度することを考えています。彼を世話した人は復員兵で、その復員兵は三退をしました。

 この同修は「三書」を書かないため、ある日警官は八つのスタンガンでこの同修に電気ショックを与えました。同修の背中に電気ショックを与える様子が酷くて見るに耐えられない状態でした。私は心が痛くて、独房の中で、「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶと、警官は「畜生!」と罵ってきました。警官は受刑者に私を殴るように命じました。受刑者は私の顔を蹴って、私の歯を蹴り落とし、鼻から一鉢ぐらいの血が流れて、頭が腫れて大きさが倍になって、物が見えないくらい目が腫れました。この状態では家族の面会も許可されないので、妻は一カ所一カ所と政府の官吏を尋ねて、最後にやっと面会ができました。私は妻に迫害を受けたことを伝えると、妻は私に「論語」を暗唱するように勧めました。

 厳しい環境の中に師父からの啓示

 妻は毎月面会に来ています。最初の頃、妻は赤ちゃんを抱っこして来て、徐々に子供が大きくなって、最後は学校に入った息子を連れて来て、10年が経ちました。10年間、妻は以前よりも、もっと困難に我慢強く耐え忍ぶようになりました。同修たちも外で発正念をしていました。

 拘禁されて9年目の春、その時すでに1年間くらい私は誰とも話したことがありませんでした。警官はもっと邪悪な方法を考えて、私を毎日壁に向かって立たせ、誰に対しても話すことを許しませんでした。この極端な寂しさの中で、私の心に極端な辛さと絶望が溢れて来て、窒息するように感じていました。長い間、法が見えず、師父は私を見捨てるのか、いつ終わるのか、ここの人がこんなにも邪悪で、早く終わらせようとか、いろいろな考えが出て来て、精神もおかしくなりました。

 私はもっとも絶望し、もっとも怖い時、妻が面会の時に「論語」を暗唱するようにという話を思い出しました。200回暗唱しようと思って、「論語」を暗唱し始めました。私は毎日壁に向かって、他のことを考えずに、心を落ち着かせて、一回一回「論語」を暗唱しました。ある日、暗唱しながら、1999年の前に出版した壁に掛けられる大きな「論語」の絵が壁に映って来ました。縦書きの文字で、列が左から右へ並んで、暫くすると、文字が丸になって回り、徐々に法輪に変わりました。また人の姿が現れて、その人は石門を開いて、中に入って飛び、香港の大嶼島のほうに行き、大嶼島の大佛の下に着いて合掌して跪きました。私はこの場面を見て、師父の励ましだと分かってとても嬉しくなりました。その日の夜、私はベッドで横になった時、魔が現れました。その魔は、「すでに10年になり、君は佛になることができない。君は圓満成就できない。この10年間はここで無駄になり、いくら苦しみをなめても君は圓満成就できない」と言いました。私はひやりと感じ、「圓満成就できなくても、李洪志師父が教えてくださった善にむけて心を修め、真・善・忍に従って行なうことは間違いではない。何といっても、修煉することはやめない」と考えました。

 ある日私は布団を畳んだ時、天目で、下から上に、「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」という文字 [1] が現れ、最後は「境界」でした。私が一文字一文字を読んでいくと、布団の上に青い法輪の図形が映し出されました。私は布団を畳みながら、手で法輪図形を描いているので布団を畳む時間が30分ぐらいかかりました。皆が私の様子がおかしいと思っていましたが、私はただ笑っているだけでした。ご飯を食べる時、碗の中にも法輪図形が現れ、私はスプーンで真似て描いて、描きながら、頭の中に、「食しても味わざれば 口その執着を断つ 做して求めざれば 常に道中に居る」[2]を考え、また師父の声も聞こえました。師父は私に「境界」のように自分を要求するように教えてくださいました。私はやり遂げれば漏れることないと悟りました。

 ある日、警官は私に番号を号令させる時、私は返事せず、殴られても、私の舌が上顎にあてがって黙り、誰に勧められても黙り、ただ法を暗唱するだけでした。しかし、心の中に憎しみの気持ちが溢れ、慈悲の気持ちはありませんでした。私は「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」[1]まで暗唱した時、天目で、私の歯、舌、心臓、肝臓、肺などの中に多くの鬼が隠れているのを見ました。法を暗唱する時、一文字を暗唱すれば、一つの鬼が消え、また孫悟空も助けに来て、すべての受刑者の後ろに白骨があり、孫悟空が乾坤袋を持ち、受刑者の頭から足まで、一杯に白骨を纏めて乾坤袋に入れていました。これらの鬼は受刑者の口を通して、彼らをばらしたと言いました。

 私は師父の法身も見ました。師父の法身は白い袈裟を着て、何度も私を黒い洞窟から持ち上げました。午後、私は天目で隷書の経文を見ました。「法輪大法の法理はいかなる人の修煉に対しても、宗教信仰をも含めて、すべてに指導作用があります。これは宇宙の理で、従来、講じられたことのない真の法なのです。過去、人間が宇宙の理(佛法)を知ることは許されませんでしたが、それは常人社会の古今のあらゆる学術と倫理を超越しているのです。これまで宗教の中で伝えられたもの、人々が感じたものは単なるうわべのものであって、現象に過ぎません。その博大で奥深い内涵は、修煉者だけが真に修める異なる次元の中で体験して悟ることができ、目の前に現れてくるもので、そうして初めて真に法とは何かが分かるのです」[3]という一文字一文字を私は暗記していました。暗記していた時、以前勉強した法が頭の中に現れました。

 警官は体操をさせる時、私は法輪周天法を煉功していました。しかし長い間、煉功していないので、動作が正しいかどうか自分でも分かりませんでした。警官がテレビの洗脳番組を見せる時、ちょうどその中に師父の動作の解説があり、それを見て私は煉功の動作を思い出しました。師父はいろいろな形で弟子を守り、啓示してくださいました。

 ある日の朝3時頃、私はイエスが十字架に付けられた場面が師父にボックスの中に置かれた場面を見ました。私は、神を迫害することや、修煉者を刑務所で迫害することがこれからないようにと悟りました。師父はこの迫害を認めておられません。

 師父は私に、3時50分に全世界の煉功場面を見せてくださいました。また神韻の創世の演目や、カナダの同修は白い服を着てキャンドル・ビジルをしている場面、法を正す進捗なども私に見せてくださいました。

 ある日、私は印を結ぶ時、白いエネルギー団が手のひらで回っているのを見ました。また私の頭の中に一つの蓮花が青い法輪を持ち上げて回って、徐々に1冊の本に変わり、『轉法輪』の第四講と第六講が現れました。また『九評共産党』の黄色の本も見え、天上から一連、一連の法輪が私の頭の中に入り、多くの法理を見せてくださいました。時々、法輪が腹から心臓まで回りました。法輪が頭の後ろに回った時、師父は私に「心に真善忍を懐き 己を修し民に利す 大法、心を離れざれば 他年に超人たるは定まれり」[4]を見せてくださいました。

 私は元神が黒い堅いダイヤモンドに包まれているのが見えました。師父は私の元神を持ち出して洗い、一回また一回洗って悟らせ、法理を示して、法の意義を見せてくださいました。私は異なる空間、異なる時間に生成した異なる生命が見えました。すべての物質が互いに転化できますが、最も純粋な状態には戻れません。しかし、大法の中で、思想を良い方向へ変えれば、体が良くなります。物質は運動の中で、自分の本質を変えられません。汚染された水はいくら浄化してもそもそもの純粋な状態に戻せません。しかし師父はすべての良くない物や、汚染された物をもっともよい状態、もっとも純粋な状態に戻すことができます。

 内に向けて探し発正念ができた

 法を得る前、私は怒りっぽく、短気で、戦い好きで、相手が誰であっても怖くありませんでした。1999年3月、法を得て、内に向けて探し、自分を修めることができました。しかし、師父の説法をまだ多く読んでいませんでしたが、その後、4.25事件や7.20事件があり、私はすぐ法を実証することに参与して、不当に拘禁されました。刑務所の中で長い間、法を読めず、同修との交流もできないので、多くの場合内に向けて探すことが分かりませんでした。

 かつて、ある入ったばかりの同修Aは、私と同じ部屋に拘禁されました。毎日彼は『洪吟二』を暗唱し、大法弟子の歌を暗唱し、そして私に発正念の口訣を教えてくれました。しかし、私たちを監視していた受刑者に見つかり、同修Aを殴りました。毎日刑務所の中で厳しく監視されて、誰とも交流できず、私の心の中に恨みと憎しみが溢れていました。ある日、労働に参加した時、一つの道具が見つかりませんでした。最後にある布の中にあったのが見つかりました。私はこれが師父の啓示だということが分かりました。師父の啓示によって、私は内に向けて探すことができました。

 ある日、私は突然脳血栓の症状が出て、両足が言うことを効かず、1日目に両足が動かず、2日目は両足が痛くて、足を地面に置いて、頑張って歩きました。3日目には完全に回復しました。

 またある日、私は一つの正義の剣を見ました。その剣は邪悪を認識できます。修煉者は坐禅する時、この剣は修煉者の身を守ります。修煉者は嫉妬心、色心、顕示心が要らない時、この正義の剣は修煉者の体を浄化します。これは師父の啓示だと分かり、これらの人心は要らないと悟りました。私は内に向けて探し、これらの人心を捨てると決心した時、自分の元神が上に上がって、すべての神が私に合掌しているのを見ました。次の日、私は経文の『法正』と『聖者』を暗唱した時、自分の元神が突然飛び出して大きくなり、最後には銀河系が自分の足下にありました。

 ある日の午前10時頃、刑務所で体操をやる時、私は法輪周天法を煉功していました。警官は私を小さな部屋に連れて行き、八つのスタンガンで同時に私に電気ショックを与えました。私は床に横になって、師父の経文の中の「生死は大げさに語るものではなく行なえるかどうか真相を見る」[5]を読み、電気ショックによって、私の体が振動していましたが、痛いという感覚が全然ありませんでした。後に私の体が水ほうだらけで、皮膚も火傷になりました。警官は「君の師父はいいのか、帰ったらまだ煉功するのか」と聞いて、私は返事せず、警官の頭上に金色の師父の法身を見ました。これは師父が私に発正念をさせようとしておられると分かり、警官が再び私に電気ショックを与えた時、私はスタンガンが発した青い光をピカピカ放って警官に戻していたのを見ました。警官は「なぜ効かないのか?」と言って、スタンガンを捨てました。私は警官に「法輪大法は素晴らしい、帰ったらまた煉功します」と言いました。警官は「青菜に塩」の状態になり、私を帰らせました。私は初めて発正念の威力を体験しました。

 その1年半、私は毎日笑って、常に額と目は真・善・忍で構成され、法輪が回り、また天女散花(てんにょさんか)、天女飛天、鳳凰女(上半身は少女、下半身は鳳凰)が太鼓を叩くなども常に見えます。これは師父の励ましです。

 このように、一つの難関、また一つの難関を乗り越えて、私は大法への信念がもっと固くなりました。邪悪は私を滅ぼしたいのですが、師父は業力だらけの私を救い済度してくださったと悟りました。

 師父は常に私に悟らせるようにしてくださっています。どんな状況においても、どんな時でも他人のことを先に考えれば、本当の修煉になることを教えてくださいました。如何なる状況でも先に内に探してから、発正念をします。イエスは偉大な神で、多くの生命のために、多くの苦難に耐え、自分のことを考慮せず、いつも他人のために考えました。

 その後、私は毎朝起きたら煉功して、発正念をしてからご飯を食べます。全体の空間場を清浄にして、夜2時間だけ寝ます。夜一晩中、師父は私に説法し、功を演化し、また私を悟らせ、法を示して、私に法を暗記させられました。

 2011年、私は釈放されて家に帰りました。

 結び

 邪悪の環境で、私は10年1カ月にわたって迫害されました。最も苦しく、最も辛い時、私は恨み、絶望したこともあり、怖がった時もありました。しかし、100%師父を信じれば、乗り越えられないことはないと信じています。肝要な時、李洪志師父の弟子を選択して、他の物は一切要らない、法だけがほしいのであれば、師父は法を展示してくださいます。師父は法理を展示し、私に悟らせて、私を自信満々にさせてくださいます。

 以上すべて身を持って経験したことです。身を持って師父の慈悲と守りを感じて、大法の慈悲と済度を感じました。私が同修に伝えたいことは、法を得さえすれば、以前の自分がどうだったかは関係なく、心が法に則って念が正しいければ、どんな難関に遭っても、師父を信じ、大法を信じれば、慈悲なる師父は私たちを守ってくださいます。

 私達は、必ずこの万古の機縁を大切にして一緒に師父に従って、本当の家に帰るようにします。

 以上は本人が口述し、同修が整理した内容です。もし不適切なところがあれば、ぜひ慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道の中」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「博大」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「圓明」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「心自明」

 (明慧ネット第15回中国本土大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/6/376410.html)
 
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