師父は私に 法の内涵を見せてくださった
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本2020年6月14日】私は法を得てから22年になりますが、長い間、学法する時に他のことを考えたりして、心が静かにならず、また眠気にも絶えず妨害されていましたので、非常に苦しく感じ、大変焦っていました。師父はこう説かれました。「『轉法輪』を読むとき、考えが集中しておらず、ほかの事を考えてしまい、修煉に専念することができない人がいます。これは時間を浪費しているのに等しいのです」[1]

 学法がしっかり出来なかったため、着実に修めることができず、トラブルに遭遇すると内に向けて探すことが少なく、例えば、探したとしてもその根元まで届かず、何かが発生すると、いつも外に向けて探していました。家族に対する恨みも多く、また、その恨む心が非常に強く、自分でもこのままではダメだと分かっていましたが、なかなか改善することが出来ませんでした。

 振り返って見ると、私は長い間、たくさんの執着心を捨て去ることが出来ず、特に他人に対して寛容であるべきだと言うことを知らず、人に対して当たり前にこうであるべきだ、ああであるべきだと考えていました。たくさんの苦を舐めましたが悟らず、辛い思いをしただけで、それらの執着心を取り除くべきだということを認識できませんでした。他にもたくさんの執着心がありました。今になってやっと、師父の説かれた法に対して、少しずつ本当に理解できるようになりました。「人の心性の各方面を全面的に向上させて」[2] を読み、修煉は決していい加減にすることではなく、大法を修煉することは、この上なく厳粛なことだと認識できました。

 私は夫に対していつも、こうして少し良くなれば家庭の状況も少し改善され、子供をしっかり教育し、私のやっている家事を少し肩代わりしてくれたら、私の学法の時間も多くなるのになど、一言で言うと、夫に対していつも何かを求めており、たくさんの常人のことに執着していました。

 2019年の年末の大晦日の日に、私は残業するために定時以降も会社にいました。もうすぐ日が暮れるのに仕事が終わらず、慌てて残りの作業を片付けていました。夫がどんな大晦日の料理を作ってくれるのかな、と勝手に思っていました。しかし家に着き、ドアを開けて入ると、テーブルの上には夫と子供が食事をした後のカラの皿が二つ置かれており、2人はそれぞれ自分の部屋で携帯電話をいじり、私に声さえかけてくれませんでした。

 当時は内に向けて探すことを思いつかず、年越しなのにこんな状態なのかと思い、本当に背をむけて出て行きたかったのですが、子供のことを考えるとそうすることも出来ませんでした。そして私は非常に怒りを覚え、夫に二言三言、言い返しました。すると、夫が逆切れし、鬱憤を晴らすために子供に対して、手を上げようとしました。子供は理由が分からない様子でした。私は慌てて夫を止めようとしましたが、夫に押しのけられました。それを見た息子は、我慢できなくなりました。今回、私は息子の部屋のドアを閉めました。

 私はどうしてこうなってしまったのだろうか、と思いました。年越しのこのタイミングで、どうして普段発生しないことが起きてしまったのか、何かが可笑しいと感じ、恐らく自分が間違っているのだろうと思いました。

 数日間、心を静めて探してみて、やっと他人に要求すると言う心が、なかなか捨てられていないことに気づきました。自分を正してから、さらに、修煉者がもし常人に対して何かの執着を持っていれば、トラブルの中でその心を修めなければならず、隠されている人心や観念をすべて捨てなければならない、と言うことに気づきました。
 生々世々に輪廻して、やっと今の肝心な時期を迎えましたが、どうして、人心を捨てることがこれほど難しいのでしょうか。師父の詩を思い出しました。

 『断』

 「修難しからず 心去り難し 幾多の執着は何時に断つ 
 皆も知る苦海すべて岸無しを 意堅からざれば 関は山に似て
 如何にして凡を出づ」[3]

 今年の4月上旬のある日、私は友人に大法の真相を伝えてから、帰宅しました。その後、『轉法輪』を暗唱し始め、第一講の「異なる次元に異なる法あり」[2] の節まで暗唱した時、突然、何かが分かってきたような気がしました。続けて暗唱すると、まるで誰かが私に、「もう向上しないといけない。自分に対して、さらに高く要求しなければいけない。新しい基準ができた」と告げられているようでした。

 私は自分の次元で、「棒喝」と言う二文字が見えました。これは正に私に対する棒喝でした。弟子のことで師父は焦って仕方ないようでした。なぜなら、私が自分に設定した基準があまりにも低く、もう「棒喝」しないと、千万年に及ぶ待ち望みが一瞬にして台無しになるからです。「自分で悟れという意味です」[2] 、着実に内に向けて探し、すべてのことを自分で悟るべきで、何もかも同修と交流するようではいけません。私の周りにはいつも同修がいるわけではなく、このような依頼心があってはならず、ですから、すべてを自分で悟らなければなりません。

 「数百年も過ぎ去ったのに、まだ禅宗の理を固守している人がいます」[2] 。幾千万年が過ぎ去りました。輪廻の中、人間社会の辛いこと、楽しいことを舐めつくして、やっと師父が大法を伝えるこの時期を迎えました。しかし、私は人間のものを手に掴んで放そうとせず、自分の役割を正しく果たしていませんでした。この数フレーズの法で現れた明らかな法理は、すべて私の当時の状態を指していました。「釈迦牟尼は菩提樹の下で、功を開き悟りを開いた後、直ちに如来の次元に達したわけではありません。彼は四十九年間にわたる説法の間も、絶えず自分を高めていました」[2] 。師父は私を「棒喝」されてから、博大で奥深い法理の内涵を見せて下さいました。私は感動して泣き出し、涙を流しながら、絶えず、師父に感謝を申し上げました。千言万語で語りたい感動を「師父ありがとうございます」の言葉にすべて入れ込みました。

 師父はこう説かれました。「この法に従ってしっかり修煉すれば、何でも得ることができます。これは間違いありません。したがって、皆さんがしっかり学んでさえいれば、私が説法するのと同じです」[4] 。この体験を通じて、私は大法の中のたった数フレーズの中に、無限な法理が含まれていると悟りました。私の内心は震撼されました。もしさらに、多くの幾重にも続く法理を見ることが出来たなら、それは本当に言葉で言い表せないほど、どんなに素晴らしいことでしょうか。以前、同修が「師父からの恩は大きい、師父からの恩は重たい」と語りましたが、それでも、師父に対する私の感謝の気持ちを充分言い表わすことが出来ません。

 私はいつも良く出来ておらず、向上できるたくさんの機会を失いました。よく修煉できた私の一面が、私のために心配されている師父の気持ちを感じ取れました。よく言葉で言い表わせず、ただ、師父のことを思いながら号泣しました。私がしっかり出来ていないため、師父は私のためにたくさんの事を肩代わりされていたのだと思うと、涙が流れ出ました。ここで師父を懐かしみ、師父の詩を暗唱します。

 「師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す
 弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[5]

 師父、ありがとうございます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「断   元曲 」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/28/406447.html)
 
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