明慧法会|ずれた全身の筋骨が4日で快復
■ 印刷版
 

文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2020年6月27日】私は1997年に法輪大法の修煉を始めました。2010年の前半に、私たちの地元の高齢の大法弟子が中国共産党(以下、中共)に不当に連行され、地元の留置場に拘禁されました。警察は長い間拘禁し、あらゆる手段を試みてこの大法弟子にぬれぎぬを着せようとしましたが、さらに多くのいわゆる「証拠」見つけることができず、それでも同修を家に帰す気はないようで、さらに高齢の同修を労働教養所に入れて迫害しようと試みました。

 留置場の近くに市場があり、私たち同修はこの市場を利用して近距離から正念を発することに決め、留置場による大法弟子への迫害のすべての邪悪な要素を取り除き、同修が留置場から出るのを助けることにしました。

 あの日は一生忘れられませんが、旧暦の6月6日は、地元のお祭りがありました。その日、私は電動三輪車に乗って近隣のいくつかの村に行き同修に知らせ、翌日市場に行って正念を発しました。

 一回りして、午後4時過ぎに家に向かい、急な坂道を下りると、正面に交差点が見えました。私は南から北に向かって走っており、北から南に向かう2両編成のトレーラーが見えました。運んでいるのは石のようで、車はとても大きく、ゆっくり走っており、積載量がかなり多いことがわかりました。トレーラーが南に行くのか東に行くのかわからないので、トレーラーを先に行かせるため、私は電動三輪車を減速させました。この時「大法のため、同修のため、私は不満もなく後悔もない」という言葉が頭に浮かびました。電動三輪車をゆっくり走らせ、交差点に着くと、同じように大きなトレーラーも交差点に到着しました。私の車はすでに西に向かう道路の北側に到着しており、曲がらないと、トレーラーにぶつかってしまうので、私は迷うことなく車を左に向け、その後は何もわからなくなりました。

 この交差点の路面から下の地面までの深さは2メートル以上あり、私は地面に投げつけられ、昏睡状態に陥りました。この時胸全体が赤くなるのを感じ、頭の中は真っ白で、まるでセメントの壁のように白く、脳の中央にある物質は脳の周りの白い物質より厚く、私は「松果体かもしれない」と思いました。しかし耳は道路上の人々(3人の道路修理業者)の話し声を聞くことができ、そのうちの1人が「この電動三輪車は本当に丈夫だ、こんなに強く倒れても壊れていない」と言いました。道路わきにとても高い木が並んでいて電動三輪車を遮り、電動三輪車は地面に落ちるのを免れました。もう一人が「なぜ壊れなかったのか? 電動三輪車の両側にある手すりは壊れてしまっているのに」と言いました。それを聞いていたもう一人が「倒れても大丈夫だったのなら、うまく溶接されているんだろう」と言いました。道路修理業者たちは誰も私に近づいてみようとせず、私はすでに死んでいると思われているのかもしれませんでした。

 ちょうどこの時、頭の上から声がし、とても明確に、またとてもあわただしく「師父にお願いして! 師父にお願いして! 早く師父にお願いして!」という声でした。私は呼吸がうまくできず、私の思惟は私の言うことを聞かず「師父にお願いして」とはどういう意味かを考えることができず、ただ「必ず頭を動かせるようにしなければならず、髪の毛に少しだけ感覚があったとしても、私の頭が私の命令を聞いていることを証明することができる」という一念だけがありました。この時、再び頭の上から「師父にお願いして! 早く師父にお願いして!」という声がしました。私はこの声の催促については気にせず、私はやはり自分の考えで行くことにし、必ず頭を働かせなければならず、一度でダメなら二度、二度でダメなら三度頭を働かせました。この時再び声が「師父にお願いして! 早く師父にお願いして!」と私を促しました。今回のは前の2回ほど急いではいませんでした。

 何度も努力した結果、頭が少し働いたように感じました(師父が私の考えを実現させてくださいました)。その時、誰が何(ニットのセーター用の針のように太くてとがったもの)を使用しているのかわからず、私の腹部を上に向かって切ろうとし、みぞおちに届くまで切ろうとし、そこは檀中のツボのところであり、私は心の中で「師父!」と叫びました。「サー」っと、切られた後のところから両側に向かっておなかの皮が開かれ、まるで二つの扉が開くように開かれ、私は深く息を吸って「師父!」と叫んで座りました。

 しばらく目を閉じて座っていると、道路修理業者の人が「ほら、座ってから立ち上がってください」と言いました。私は立ち上がり、両腕を伸ばして「大丈夫です」と言いました。大丈夫だと言いましたが、倒れた時、右の顔が最初に地面に落ち、顔がめちゃめちゃにこすれ、靴下とズボンはすべて破れましたが、その全過程でも痛みはまったくなく、師父が保護してくださったとわかり、心の中で師父に感謝しました!

 私は立ち上がり、顔をあげて、道路を見てから「どこから上がればいいですか?」と言いました。道路修理業者の一人が「畑に沿って西に行ってください」と言いました。道路修理業者の人に言われた通りに道に出て、道路修理業者の人とは反対の方向を向き、西の方を向いて左手の指で顔の右側の皮膚をこすり「私の顔のこの部分に擦れた跡はなく、傷があったのでは法を実証する助けにはならない」という一念を発しました。そして、電動三輪車の前に行き、道路修理業者の人に「電動三輪車を上げるのを助けていただきありがとうございました」と言いました。

 私が鍵で電動三輪車を起動すると、ライトは点灯しており、電動三輪車に乗って、同修の家に向かいました。同修の家まで100メートルの距離のところで、電動三輪車は動かなくなり、ライトも点かなくなりました。師父が私をここまで送ってくださり、以下のことは私と同修が解決しなければならない問題です。

 同修夫婦は2人とも修煉しています。同修の家に着くと、部屋は蒸気でおおわれており、女性の同修が私に「姉さん、座ってください、ご飯を炊いていますので、すぐに食べてください」と言いました。

 この時の私は全身が変わってしまい、首が腫れて回らなくなり、全身の筋肉と骨がずれ、腰椎椎間板がずれて腫れ、振り向くことができず、転んだ時に、右手の甲が石に触れ、今はすっかり腫れ上がり、小さな団子のようでした。私は全身に力が入らず、手首にも力が入らず、さらに電動三輪車を押していくことができませんでした。私たち3人は私の電動三輪車を同修のトラクターに押し付けて縛り、私を家に送りました。

 夫が仕事から戻って来ておらず、何を料理したらいいでしょうか? 私は少し考え、お米をゆでておかゆにするしかなく、なぜならおかゆなら難しいことはなく、米を洗い、圧力なべに入れるだけでした。この時夫が帰ってきて、私の様子を見て、茫然自失になり「どうしたんだ?」と急いで私に聞きました。私は穏やかに「大丈夫です、1台の車をかわし、道路のわきに落ちて、こすりました」と言いました。夫は「普段からゆっくり乗るように、ゆっくり乗るようにと言っているのに、聞く耳を持たないからだ」と不平を言い終わると行ってしまいました。

 夜寝ると、また難題が発生し、全身の筋肉と骨の位置がずれ、ベッドにも入れませんでした。腕と足を動かすと、全身の筋肉と骨がすべて痛み、どうすればいいでしょうか? 「法輪大法は全能だ! 大法の中で修煉してきた大法弟子も同様に全能だ!」と思いました。私は方法を考え、首の後ろの太い筋を右手で力を込めてつかみ、その太い筋をつかめば、全身の筋が緊張するので、こうして私はベッドの上にゆっくりと這い上がりました。ベッドに上がった後、まだ手を緩めることができず、ゆっくりと横になるまで、手を緩めることはできず、でなければ痛みに耐えることができませんでした。

 私は師を信じ法を信じる心を持っているので、恐れることはなく、師父のお言葉だけを聞き、法を学び、煉功し、正念を発しました。基準に達していないところもありましたが。私のゆるぎない心を師父がご覧になったのだと思いますが、奇跡が再び私の体に現れ、私はすぐに元気に快復しました。

 私が顔のことで何か思ったことが関係しているかもしれませんが、翌日に顔の皮膚が乾き、3日目、顔の軽いかさぶたが取れ、4日目、5日目、深いかさぶたの多くがはがれ取れました。

 奇跡はどこにあるでしょうか? このような外傷のかさぶたが取れた後は、黒い斑点や白い斑点が残るはずで、元の状態に戻るまでに長い時間がかかります。しかし顔のかさぶたが取れた後、皮膚は元の色とまったく同じで、深みのあるかさぶたはまだ血が残っているように見えましたが、触れただけで、かさぶたが落ちてきました。なんとすごいことでしょう! 私は驚きました。

 奇跡はまだその後にありました! 4日目、車の修理店に電動三輪車の修理に行き、私は電動三輪車がひっくり返ったことを言いませんでした。修理店の人はバッテリーのところを開けて「転倒しましたか?」と言いました。私は驚いて「どうしてわかるのですか?」と聞きました。私が前に進み出てのぞき込むと、三つのバッテリーが重なっており、コードのコネクターがすべて壊れていました。修理店の人は「コネクターを接続するだけで、費用は掛かりません」と言いました。ご存じと思いますが、事故の当日、私はあの道路から同修の家まで少なくとも1キロ以上電動三輪車を走らせ、私の電動三輪車には電気がなく、どうやってあそこまで走れたのでしょうか?

 本当に「修は己にありて、功は師にあり」[1]でした。私はまた命の借りを返し、私の命を救ってくださったことに師父に改めて感謝申し上げます!

 もし私に師を信じ法を信じる確固たる正念がなければ、私は恐れて病院に行き、病院で横になり、治るかどうかはわかりませんでした。病院にいくら支払いをしなければならないのか、それでも治るかどうかもわかりません。私には師父を固く信じる正念があるので、師父は私を救ってくださいました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/7/395502.html)
 
関連文章