文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年7月3日】私は80歳過ぎの年配の大法弟子です。修煉する前に、私は肝炎、胃潰瘍、前立腺炎など多くの病気にかかっていました。高校生の時、検査で肝炎が見つかりました。若いのに「薬缶子(病気で常に薬を飲んでいること)」と言うあだ名で呼ばれていました。薬を飲み続けていた末、家が貧しくなり借金だらけになりました。私はまだ若いのにとても年に見えました。その後、縁があって私は法輪大法に出会い、修煉してから半年も経たないうちに、師父は私の身体を浄化してくださいました。身体にあった病気の症状がすべて消えました。腕にあるたくさんの老人斑もなくなりました。それ以来、薬を飲んたことがなく、病気にかからず全身が軽くなり、まるで別人になったように感じました。
現在、私はすべての家事ができるようになりました。もちろん、家族たちは私に負担をかけないように家事のことを配慮してくれています。しかし、私はとても元気なので、時々、家事を少し手伝っています。このことを通して、家族のみんなに法輪大法の素晴らしさを知って貰いたかったのです。ある時、25Kg の米袋を背負って1階から5階まで上がって行き、この時私は「法輪大法好、真善忍好」(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)と、九文字の真言を心の中で念じていましたので、重い物を背負っている感じはまったくなく、身体がとても軽くて、本当に不思議に思いました。現在、私はこのような年になっても、自転車に乗り街へ出かけ、若者よりも速いのです。大通り、路地、賑やかな場所、僻地を通りかかっても、少しも怖くはありません。事情を知る人たちは皆感心しました。ある時、高校時代のクラスメートに出会い、数人から「若い頃、あなたは色んな病にかかっていましたが、今はすっかり元気になりましたね」と言ってくれました。この時私はいつも「私の師父は偉大で、法輪大法も偉大なのです!」と答えました。
以前のことを振り返ってみると、多くの想いが浮かんできました。当時、中国共産党(以下、中共)および江沢民グループは法輪功に対して残酷な迫害を始めた後、私は強制連行され、留置場に拘禁されました。1年中、特に春と夏は、夜になると、蚊を叩く音が絶えず聞こえていましたが、蚊が私を怖がっていたようで全く刺されることはなかったのです。ぐっすり寝ていた私の様子を見て、同部屋の人はみな驚いていました。師父が私を見守ってくださり、さらに精進するようにと励ましてくださっているのだと深く感じていました。
その後、私は刑務所へ移送され迫害を受けていました。家族たちが私の着替えを持って来てくれた時、面会は許されなかったのです。2番目の孫(当時7歳)がその話を聞いて、私が家に戻れなくなると感違いをして泣き出して止まらなかったのです。その場にいた人たちは皆が泣き出してとても悲しい場面になったそうです。90歳になる義父母も心配してくれて、食欲をなくし夜も眠れなかったと後で分かりました。私の冤罪で家族たちも酷い目に遭わされました。
刑務所に居た時、私は刑務官の要求に協力せず、転向に応じなかったために、暗くて湿気が多い臭い部屋に入られ、刑務所のごく普通の食事も与えられませんでした。私は煉功したため、数回、バスケットボールのスタンドの下に手錠をかけられたまま、朝まで外されませんでした。刑務官らは交代で色んな手段を使い私に転向させようとし、転向すれば彼らの功績となり、賞をもらえることを狙っていました。そのため、彼らは毎回私に「『転向同意書』を書け、そして私に渡すのだ」と言っていました。私は「あなたたちの思う通りにはならない」と心の中で言いました。
刑期が満了になると新しい服を着て刑務所から出ます。その意味は今後、出所者は新しい人生に向き合うと言うことです。しかし、私だけが刑務所に入った時の服を身につけ刑務所から出ました。今後とも、法輪大法を一生修煉し続けていくことに揺るぎないことを示しました。周りの人たちからは羨ましがられ、尊敬するまなざしで私を見送ってくれました。その辛い日々の中でも、私は師父を信じ、『轉法輪』、「論語」、「堅定」、「圓満成就に向かって」などを暗唱していたお陰で、やっと乗り越えてきました。
私は刑務所から出て家に戻りました。家族たちは迫害で体がとても弱くなった私の様子を見て、1日1本の牛乳を注文してくれました。しかし、私は「修煉は正常に戻り、しばらくすれば体がきっと回復できる、家族に経済的な負担をかけてはいけない」と心の中で決めました。師父は「宇宙のあらゆる空間を構成する物質が、ほとんど全部この功の中に含まれています」[1]と説かれました。大法弟子としては大法のみを実証し、いかなる物質をも実証してはいけません。私は1本の牛乳を飲んだだけで注文を断りました。煉功を通じて体は間もなく元気を取り戻りました。家族や親戚、友人らは法輪大法の素晴らしさを理解し、法輪大法に希望を託しています。
妻は私と同じ年です。同時期に修煉を始めました。彼女は学校へ行ったことがなく、まったく字が読めませんでした。しかし、妻はむさぼるように法輪大法を勉強していて、純真な心で一生懸命教えて貰っています。現在、妻はほぼ『轉法輪』を読めるようになりました。そして数回の病業を乗り越えました。顔の皺は少なくなり、老人斑もなくなり若返ったのです。
息子は法輪大法の修煉に戻ってきました。息子は師父の『轉法輪』の録音テープを聞いて、真・善・忍の理念に従って良い人になる道理が分かりました。逆境の中、師父を信じ、法輪大法を信じて、法輪大法の理念に基づいて良い人になれるよう頑張ってきました。私が強制連行された時、息子は直ちに私が持っていた法輪大法の書籍を丁寧に保管してくれました。そして不当に刑務所へ拘禁され迫害を受けていた時、息子は数回も私の様子を見に来てくれ、「得るのは易しい、だからと言って、容易く失わないように修煉を続けるように」と励ましてくれました。息子の商売はずっと繁盛しています。ある時、ある会社の社長が代金を6000元多めに支払い、息子は相手に全額を返金しました。その社長は非常に感動して、周りの同僚らに息子を紹介しました。公平に商売をして、信用を守っていたため、息子の商売は非常に繁盛し収入も増えました。息子はある都市で700平方メートルの一戸建ての家を建てました。このようなことは、昔は考えもしませんでしたし、田舎から大都市へ引越して生活をする、なんと大きな変化でしょう! 事情を知る人たちはみな感心して称賛していました。
2番目の孫は入学する前に、自宅が煉功場なので大法の学習者たちの『轉法輪』の勉強会を真面目に聴いて、『論語』を読めるようになりました。そして、『轉法輪』の文字の読みかたを、一文字一文字を携帯電話のメッセージで祖母に教えていました。彼は中学校の1年と2年生の時、二等賞の奨学金600元を獲得しました。望んでいた大学にも進学できました。卒業の時、会社側が学校に来て面接と試験を行ない、その結果、孫は楽に自分の好きな仕事を手に入れました。現在、孫はある大都市で仕事をしています。
ひ孫の女の子たちも大法と縁があります。特に、2番目のひ孫は私たちの家に来ると、まず師父の写真に向かい礼をします。そして「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、師父、ありがとうございます。大法、ありがとうございます」と、語りかけています。人懐っこい笑顔で、現在幼稚園に通っています。幼稚園の先生たちはひ孫のことをとても可愛がってくれています。
師父は私たちに数え切れないほど、恩返ししても返しきれないほどの恩恵を与えてくださいました。私たちが唯一できることは、さらに精進して、より多くの人々を救い、師父にかける苦労を少しでも減らすことを願い、師父に安心していただけるように努力したいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』