同修は私の修煉向上のための鏡である
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 文/中国吉林省の大法弟子 

 【明慧日本2020年7月9日】私は58歳の定年退職した女性で、1998年に幸運にも法輪功と出会って修煉を始めました。次に最近経験したこと、病業の関に遭った高齢の同修をどのように助けたかを、皆さんと分かち合いたいと思います。

 同修を助けることは、自分を助けること

 ある日、団地の中である女性に真相を伝えると、女性は「私もかつて法輪功を勉強していたのです。今はやっていないけど、時には『轉法輪』を読んだりします。母は正真正銘の修煉者ですが修煉状態が良くなくて、車椅子生活を10年も送ってきました」と話しました。女性は私にいくつか法輪功に関する質問をして、私の電話番号を聞いて帰りました。

 2019年12月、女性は電話をかけて来て「お姉さん、母の様子がおかしいです。家に来てくれませんか?」と言いました。私はすぐ行って、女性の母、年配の同修Aさんと初めて会いました。Aさんは青白い顔をして、目を閉じて嘔吐していました。女性(Aさんの娘さん)は情況を説明しました。Aさんは体調不良で1日入院して、注射を受けても薬を飲んでも効き目がないので、退院して家に帰りました。帰ってから栄養食品を食べて、そして嘔吐しました。私は「大丈夫ですよ、師父があなたの体を浄化してくださっているので、すべて吐き出したら良くなりますよ」と言って、Aさんに心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じるように言い聞かせました。暫くしてAさんはだいぶ元気になって、師父のご加護の下で関を乗り越えました。

 Aさんは1996年、62歳の時に修煉を始めて、今年もう86歳です。修煉する前に多くの病に苦しめられて、修煉してからすべての病気が無くなって、肌も白くてつやつやになり、62歳の歳で生理も来ました。当時、Aさんはとても精進していて、大法を積極的に広めていました。しかしその後、腕時計1つの問題で心性を守れなくて、修煉が後退しました。経緯は下記のようです。ある日、Aさんは3000元(5万円相当)で買った腕時計を付けて、バスに乗って集団学法の場所に向かいました。何故かバスの中で、腕時計が無くなりました。怒りを抑えて周囲の乗客にまず聞いてみようと思ったのですが、口を開いた瞬間に「誰が私の腕時計を盗んだのか」と罵声を出しました。罵声を吐いたと同時に腕は突然の激痛に襲われました。しかしAさんは何も悟ろうとしませんでした。

 集団学法の場所(同修Bさんの家)に着いたら、Bさんの息子が「バスの利用者をだいたい知っているので、みんなに聞いて、何とか腕時計を返してもらうことは可能です」と言ってくれたのに、Bさんはそっと息子に目配せして、息子を止めました。Aさんはたいへん腹を立て、学法もせずに帰りました。今でもまだBさんを恨んでいます。またAさんは「幼い時から家が貧乏で生活は苦しく、多くの苦しみを嘗め尽くして、稼いだお金は全部子供たちにあげて自分は贅沢もしていないのに、歳を取ったら子供たちはあまり見舞いに来ません」などと話して、涙を流しました。最後に「どうしてもこの人たちに対する恨みを解消できません」と言いました。様々な人心に纏われているAさんを見て、私はとても複雑な心境になりました。

 しっかり学法したため、Aさんはとても速く回復して、2回目、彼女の家に行って一緒に学法した時、Aさんは車椅子を押して自力でトイレまで歩いて行けるようになりました。私は週、3回Aさんの家に行って一緒に学法をして交流します。昔のことを思い出してAさんは「長年ずっと学法を続けていましたが、うわべだけの学法なので、10年の時間を無駄にしてしまいました。昔、私たちの学法は形だけの学法なので、読み終わったら、何を読んだのかも分かりません。そして交流もしないし世間話ばかりして、人の悪口を言ったりします。孫娘でさえ『人の悪口ばかり言うなんて、あなた達は修煉者らしくありませんよ』と注意してきますが、私たちは悟らなくて、『向こうに行って、子供に何が分かるのか』と孫娘を追い出しました」と痛恨しました。

 また、「かつての学法チームにいた同修たちは、不法に逮捕された人もいて、病気になった人もいて、違う都市に行った同修もいて、学法チームはそれで解散しました」と話しました。遠方に行ったその同修にとても会いたいと言って、Aさんはまた泣きました。

 私はAさんに『轉法輪』を読み聞かせました。「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです。もっとも、これをいっぺんに断ち切るのは容易なことではありません。修煉は長い道のりで、徐々に自分の執着心を切り捨てていく過程です。とはいえ、自分自身を厳しく律しなければなりません」[1]

 読み終わって、自分の言行を大法の法理に照らし合わせてみようと私が言うと、Aさんは何も声を出しません。その時娘さんは、お母さんはとても強い人で、何事もお母さんの言った通りにしなければならない、間違っても人の意見を受け入れられなくて、同修たちもお母さんに従わなければならない、思い通りにならないと怒り出すので誰もお母さんと言い争う度胸がない、と言いました。私もAさんの恨む心、嫉妬心、顕示心、闘争心、心のバランスを取れない、強引に弁解する心、指摘されたくない心、名利心、人を軽蔑する心、独りよがりな心などの人心を発見しました。善意を持ってAさんに話したら、Aさんは「周囲にあれだけ多くのことが起きて、それを知ったかぎり、放下できるわけがないだろう」と悪いと思わずに強い口調で言いました。私は何の言葉も出ませんでした。

 Aさんの執着をどうして私が見たのですか、しかもまるで演劇のように私の前で上演したのですか、きっと私自身にも似たような執着心があるからです。

 例えば、誰かと交流した後に、相手はきっとほかの同修に私の修煉状態の良さを言うだろう、背後で私を褒めるだろう、とよく1人で考えて自惚れていました……それは何という執着心ですか、名を求める心でしょう、褒め言葉しか聞きたくない心でしょう。また一つのシーンを思い出しました。学法する時、私はよくAさん、Bさん、Cさん3人より高いところに座っていました。あの時私が考えたこととは、なんと「私は彼女たち3人より修煉が良くできたから、私の次元が高い。だから自然的に高いところに座れるのだ」と言うことです。それは他人より優れていると自惚れて、他人を見下す心ではありませんか。また、何か物が見つからない時、きっと夫や子供たちが散らかしたために見つからなくなったのだと思って、人のせいにします。これは疑念ではありませんか。ある日、私は高いところに立って、何人かの同修は低い場所に立って私を見上げているという夢を見ました。目が覚めて、これはきっと自分は彼女たちより修煉が良くできている、次元が高いことを意味する夢だと嬉しく思いました。今になって考えると、自分には自惚れる心、同修たちを見下す心があることを教化してくれる夢ではないかと思います。

 Aさんが持っている執着心を、私も同様に持っていて、特に顕示心です。ずっと悟らなくて自分の執着心に気づかないため、師父はAさんを私の近くに現れるように按配して、私に目覚めさせたのです。ここまで思うと、私は赤面して、師父の苦労に感謝しました。

 これだけの人心は自分の心より魔が生じること、邪に悟ることではありませんか。怖いですね。師父は『轉法輪』に「いま現在、この講習会にも、うぬぼれている人がいて、ものを言う態度まで違います。自分のことをいったいなんだと思っているのですか。佛教においても、このことは強く忌避されているのです」[1]と説かれました。どうして自分にはこれだけ不潔な心がまだあるのですか。また色欲心などもあって、今日は全部掘り出します。Aさんが鏡のように私の執着心を映し出さなかったら、自分の修煉が良くできていると私はきっと自惚れ続けていきます。

 自己を放下して、すべてAさんのために考える

 Aさんは年を取って修煉状態が不安定で、良い時もあり悪い時もある、修煉の本質を知らなくて、自分の悪いところを取り除くという道理が分からなくて、このような心性では……と考えるたびに私は動揺して、Aさんの家に行きたくなくなります。また、Aさんの健康状態ではいつ亡くなってもおかしくないという怖い考えが時々頭に浮かびます。ほかに、Aさんの家の付近の監視カメラに撮られることも恐れています……一方、難に陥っているAさんを助けないといけないと思う正しい一念もあり、このように時々動揺して、時々正念が私心に勝ちます。

 2020年の旧正月から中国で武漢肺炎が流行して、我が家の辺りもロックダウンされました。団地ごとに閉鎖され、出入りには許可証が要ります。一世帯に許可証を一つしか発行しないため、夫は会社に行く時に許可証を持っていくと、私は団地の外に出られなくなります。その時、団地の中で会える人に真相を伝えていました。

 Aさんは今、元気にしているのかと時々心配もして、同じ団地に住んでいるため、Aさんの家に行けないことはありません。しかし中共ウイルスが流行っている時期やはり面倒なことは避けたいと思いました。経文を勉強しようとし、本をめくって目に移ったのは「本当の慈悲にはいかなる私心もなく、誰に対しても、衆生に対していつも正念をもって問題を見ており、慈愛に満ちています」 [2]でした。これは師父からの教化ではないかと驚いて、どうすべきかが分かりました。午後、Aさんの家に行くことを心に決めました。

 世の中に偶然なことはありません。心を決めた数分後、Aさんの娘さんから電話がかかってきて、「お姉さん、時間がありますか? 母の様子がおかしい……」と言いました。Aさんの家に行くと、Aさんは口を開いて息が荒れていました。私の心はとても落ち着いていました。少しの雑念もなく、Aさんに「大丈夫ですよ、我々に師父のご加護がありますから」と言って、発正念して、『轉法輪』を開いてAさんに師父の写真を見せて、『論語』を暗唱しAさんに聞かせました。そして、私はAさん、娘さんと一緒に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じました。Aさんは突然号泣して、「師父よ、助けてくださって、ありがとうございます。申し訳ございません、私はまた師父にご迷惑を掛けました」と話しました。私は「また何かの出来事に怒り出したので、こうなったのではありませんか?」と聞くと、Aさんは頷いて、「今回の教訓をしっかり覚えましょう。どんなことに対しても怒らないでください、心性をしっかり守って内に向けて探しましょう」と話しました。Aさんの回復を見て家族はみな喜びました。

 そのような大きい関は4回もありました。ある日Aさんの娘さんから「このように繰り返して関を乗り越えるのは苦しすぎて、もう諦めたいと母は言いました。棺に入る時に着る服を私に買わせました」と話しました。私はAさんに「そういう悪い一念を持ってはいけません。あれはあなたの本当の考えではなくて、旧勢力があなたの頭にそのような一念を注ぎ込んだのです。師父は私たちの円満成就を待っているので、諦めてはいけません」と言いました。Aさんは「あなたは心から私を助けようとしている気持ちが、伝わってきましたよ、私は感じ取りました」と言って、「それは私の使命で、やるべきことだからです」と私は答えました。

 どうしてAさんは命を諦めたがっているのか、私は内に向けて自分の至らないところを探してみました。ああ、見つかりました。辛い時、私自身にも諦めようと思うことがあり、Aさんに話したことはないけど、その正しくない一念の持つマイナスのエネルギーはきっとAさんに悪影響をもたらしました。頭の中の正しくない念を除去して、自分の空間場をきれいにすることの大切さを切実に悟りました。

 今、Aさんは以前よりだいぶ良くなって、事が起きても心性を守って内に向けて探すこともできるようになりました。以前、Aさんの家に行くたびに気が重くなりプレッシャーを感じますが、今、楽しくて心が軽やかに変わっています。本当に考え一つで世界も変わる、その通りです。

 Aさんの娘さんはずっと修煉を止めていた状態だったのですが、今、私たちと一緒に学法するようになっています。以前、大法を信じない息子と息子の嫁もAさんの変化を見て、大法を信じるようになり、もう1人の息子は師父の説法録音を聞き始めて、一家は和気あいあいとなっています。私はAさんに「あなたは修煉者なので、あなたが正しく行なえば、周囲の環境もあなたによって正されて、良くなるのです」と話しました。

 Aさんと一緒にいる数カ月の中、「修は己にありて、功は師にあり」[1]を改めて感銘しました。同修を助けることは、自分自身を助けることと同然です。この数カ月の中で、面倒だと思う心、焦る心、結果を求める心、恨む心などを放下しました。

 Aさんを私の近くに出現させて、私に容量を拡大させて、多くの執着心を放下させるという師父の苦心な按配に感謝しています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/9/407351.html)
 
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