文/河北省の大法弟子
【明慧日本2020年7月28日】昨年の後半から、うちの商売の売上はずっと低迷したままで、資金繰りもなかなか大変です。これは旧勢力からの妨害だと考えて、私は正念でこのような妨害を取り除いています。
そして、内に向かって探してみると、色欲の心や名利心、そして、闘争心や嫉妬心など色々あり、それに商売への執着心もありました。私はこれらの多くの人心を意識して取り除こうとしましたが、商売の方は相変わらずうまくいきませんでした。
それでは、自分の心性は一体どこが足りないのか、と長い間、この問題はずっと私を困らせています。
ある日、私は『轉法輪』を読んでいた時に突然、ある念が頭の中に入り込んできました。それは「苦難に対して抵抗する」という念でした。一瞬にして、私は目が醒めました。今まで、私が執着心を探して旧勢力の按排を取り除いていたのですが、これは全て苦難に対して抵抗するために、やっていたわけです。私は自分の精神にダメージを受けないように、また、物質的にも損失が少ないように、楽な暮らしをしたい、そして、早く苦難から切り抜けようとずっと思っていました。「苦難に対して抵抗する」という考え方ですが、これが習慣的になっており、なかなか察知することが出来なかったのです。
常人ならば楽にできるし、そして幸せな暮らしを追求します。しかも、どうやって幸運な事だけを求めて悪い事を避けるか、どうやって物質の上でも、精神の上でも楽しみを味わうことが出来るかと考えていました。暮らしの中の苦しみやトラブル、そして、不運な目に遭うことは良いことだ、と考える常人は一人もいないかもしれません。
私達修煉者が苦難に直面するとき、良いことと思うか、それとも悪いことと思うか、大法弟子として、これは根本的な問題です。自分を修煉者と見なしているか、常人と見なしているかの問題になります。
長い間、この問題について、私ははっきり認識することが出来ず、苦難にあった時は、内に向かって探して自分を修め、そして旧勢力の按排を否定していますが、今になってわかったことですが、それは早めに苦難から抜け出そうという目的で、やっていたことです。「苦難に対して抵抗する」という変な考え方から解放されなかったからです。この根本的な間違いは未だに認識できず、多くの関を乗り越える時、ずるずると引き延ばしていました。当然、法の要求には達していませんでした。
これからは、苦難に抵抗しないようにします。生活上の様々な苦難は、私達の業力を消すことができ、人心を見つけることができ、歴史上の根源を解決でき、心性も昇華できるし、果位も向上できるのに、どうして喜ばないのでしょうか? 大法の中に生じた慈悲の心で、苦難に直面する衆生を救い済度しています。大法の標準に符合するのなら、旧勢力の按排も否定できます。旧勢力の私達への按排も消えてしまい、大法の中にいる大法弟子なら、誰もあなたを動かすことが出来ません。