明慧法会|着実に修煉し隔たりを消せば 多くの衆生が救われる
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2020年8月1日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私は大法の中で恩恵を受けた生命です。師父は私に返本帰真の道を歩ませてくださいました。今(訳注:2019年11月)第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の機会に、22年間の修煉において内に向けて探し自分を修めた一部について交流したいと思います。

 私は子供のころから病気がちで体が弱く、さらに夜歩くのが怖かったのです。私は結婚した後、姑の家の中庭の向こう側に住んでいましたが、夜になると、私の家から姑の家に行く勇気はありませんでした。最も深刻なことは、夫が外出する時、娘と私は家にいて、一晩中眠れず、目を閉じた時、めちゃくちゃなものと戦い、通常私の後ろにいる何かが私を脅すのを感じました。法輪功を学んで7日目、下痢になりましたが、おなかは痛くなく、師父が私のために業を取り除き、体の浄化をしてくださっていると知りました。それ以来私は顔に笑みを浮かべ、無限のエネルギーに満ち、もう恐れず、敢えて夜道を一人で歩きました。

 家族は私の変化を目にし、舅、姑、夫、子供、親せき、同僚も法輪功を学び始めました。

 一、内に向けて探し自分を修める

 1、党文化を取り除く

 子供のころから無神論、進化論、党文化の教育を受け、毒が深く、4カ月間法輪功を学びましたが、法輪功が人々に返本帰真を教え、修煉を教えるものだとはわかりませんでした。夫は『轉法輪』を読み「これは佛を修めるものだ」と言いましたが、私は当時夫をあざけり「何の佛を修めるの、私は佛の存在など信じません」と言いました。法を深く学ぶにしたがって、無神論の思想を打破し、神や佛の存在を信じるようになりました。

 大法を学んだ後、心身は大きく変わりましたが、何もわからないまま、法を学んでいた時、私と法の間に何か隔たりがあるのを感じ、法に溶け込めないと感じ、それがなぜだかわかりませんでした。法を暗記してもこの隔たりを取り除くことはできず、内に向けて探しても見つけることができず、この状態は何年もの間私を悩ませてきました。2010年、法会の原稿を書いた時、すぐに見つけました。

 修煉を始めた初期のころ、党文化のものを抱きながら大法を学んでいました。私は政治を教えており、大学に行った時は、政治を専門に勉強し、党文化の毒がたくさん注入され、意図的にまたは無意識的に、政治を教えることと良い人になることを混ぜ合わせながら法に則って同修と交流し、党文化の言語体系と思考習慣を利用しており、私に駆り立てられた同修は法を学ばず人に学ぶようになり、さらに「私の悟性はよい」と言い、自分でも意識せずに得意になり、雄弁さや文才に執着し、顕示心と歓喜心に操られました。師父は私がこの隔たりの原因を見つけ、この隔たりを一掃するのを助けてくださいました。それ以来、再び法を学び、この隔たりがなくなり、私は別人のようになりました。

 ある時「明慧週刊」の修煉体験と私の舅(同修)の体験がとても似ており、私はその修煉体験を舅に見せました。舅は見なかっただけでなく、突然激しくののしりました。舅は人を叱ったことはなく、今日は何が起こったのでしょうか? 私はすぐに「私が間違っていました、すぐに自分をきれいにいたします。しかし私の何が悪いのでしょうか?」と師父に申し上げました。師父は「人に押し付け、人を変えている」と私に悟らせてくださいました。正念を発した後、同修が私に用があり、私は外出しなければならず、私は怒っている舅に「お父さん、私は出かけます」とあいさつしました。その時に舅の怒りも消え、舅は「行ってらっしゃい」とそっと言いました。私を変えたのは大法で、他の人とトラブルがあれば、自分のどこかが間違っているのだと思いました。

 党文化の思考習慣と言語体系のために、他の人を上から指導し、自分のいわゆる正しい認識を他の人に押し付け、他の人を変え、もし他の人が自分の認識に従わずに行なったら、他の人を非難し、文句を言い、表面上は相手を思っていますが、実質的には自我と思い上がりでした。

 私は他の人から指摘された不足を受け入れることを学びました。ある時、私が何かに触れるのを恐れているとか、修煉中にそのある物はあまり動かないとかと同修が私を指摘し、同修もそれが何であるかを言うことができませんでした。私は内に向けて探し、情が少し重いことを見つけましたが、それでも根は見つかりませんでした。ある日、本棚を整理している時に『共産主義の最終目的』を偶然目にし、二度読んだところ、自分の根が十分に純粋でないことを見つけ、さらに恨みや憎しみもありましたが、簡単に見つけることはできず、表面的な善によって覆い隠されていました。根を見つけ、再び自身の空間場を整理した時、中の黒い部分が見え、驚き「どうなっているのか?」と思いました。以前自身の空間場を整理した時、執着などの老廃物はすべて体外にありましたが、今回は体の中にあり「中国共産党(以下、中共)が私に押し付けたこの根を、ずっと認識しておらず、体の中に隠されていた」ということがすぐにわかりました。それは執着の根であり、根の整理に時間がかかり、体内の黒い物質は上から下へと動き、ついに取り除かれました。

 以前党文化の毒素が体内に存在した時は、自分の善の心が足りないと感じ、文句を言うことが少し減りましたが、完全に取り除かれておらず、共産主義の邪悪さを十分に認識していませんでした。今回「共産主義の最終目的」を読み終え、共産主義の邪悪さを認識し、共産主義が憎しみによって構成されていることに気づき、それ以来自分の生来の性質を取り戻し、善を守ることができ、善でない心と言葉に気づくことができました。

 ある時同修の不足を指摘した時、口調に善の心が足りず、同修を傷つけました。話し終わるとすぐに、自分が間違っていることを知り、すぐに同修に謝罪しましたが、心の中からのものではないものもありました。同修は不快に感じた後、背後で私の不足を話し、さらに私がスパイであると疑いました。別の同修がその同修の話を私に伝えましたが、私はその同修に文句を言いませんでした。自分を深く探してみると、なんと私はその同修に対する観念を持っており、その同修の言行は私の観念と一致せず、その同修の言行が気に入らず、私はその同修に対して慈悲が足りず、包容力がなく、善ではありませんでした。
その同修に対する観念を見つけた時は、安心し、再びその同修に会った時は、私はその同修に「すみません、本当にすみませんでした」と心から謝罪しました。

 2、私のための角度を放棄し はじめて感謝の気持ちを知る

 ある時、姑(同修)と交流して内に向けて探し、舅や姑に感謝していない心を見つけました。私は舅や姑のために尽くしてきたような気がしていましたが、それは私の個人的な視点で考えていたことでした。振り返ってみると、舅と姑は私を助け、私のために献身的な提供をしてくれました。ここ数年、私が商品を売るのを手伝ってくれ、子供の学費の支払いに協力してくれ、安定した修煉環境を提供してくれ、私は心配することなく、法を実証することに全力を尽くしました。修煉上で向上するたびに、舅と姑なしではどうしようもなく、そして私の周りにはたくさんのよい同修がいて助けられています。

 以前、本屋さんで本を売りたいと思ったのですが、舅と姑は同意せず、私は舅と姑と口論し、さらに私には一理あると思っていました。このことについて同修と交流すると、同修は私に「恩知らずです!」と言いました。その言葉を聞いて私はショックを受けました。私は親孝行なはずでした! 私は親不孝ではありません! なんと私は自分の正しさを強調しているだけで、舅と姑の提案に耳を傾けず、自分は理にかなっていると思い、舅に向かって大声で話し、けんかしました。同修に指摘されたことは正しく、党文化の影響で、自分が親孝行でないことに気づきませんでした。もし同修のアドバイスがなければ、まだ自分が正しいと思っていたでしょう!

 翌朝、舅に会い、私が何かを言う前に、舅は私に「寒いので、ワンタンを食べに行こう」と笑顔で言いました。私は朝市で商品を売っているので、食べ物は買いたくないのですが、時々蒸し焼きパンと漬物を買うことがありました。舅の話を聞き、舅はとても親切だと私は感じ、以前舅とけんかしたのは私のせいで、私は人に対して凶悪であり、さらに自分が法に則っていると感じていました。

 ある時、お金のために姑と対立しました。支払ったお金を自分で数えたところ、姑がこっそり私のお金をチェックしており、屋台を出し終わった後400元少なくなっており、姑は私に「お金を隠した」と言いました。私は嘆き、涙が出て、なぜなら私は必要以上にお金を使ったことがなく、服を買う気もなかったからでした。私は内に向けて探しましたが、どこが間違っているのかを見つけることができず、その場に座って正念を発して自身の空間場を清め始め「咎められた時に心が動くかどうか」とすぐに悟りました。私の心にはまだ頑固さが残っていましたが、表面的には放下しており、姑にはまだ少し不満がありました。この法会の原稿を通じて、執筆中に内に向けて探し、姑に対して善ではなく、人にあれこれと言われたくない心を見つけました。他の人が私にくやしい思いをさせるのは私が業を消し、私が向上し、メンツや名などの人心を私が修めて取り除くのを手伝ってくれているのであり、なんとよいことでしょう、しかし私は外に押し出してしまいました。

 3、迫害者に対する恐れの心と恨みを取り除く

 中共に長い間迫害されて住居を追われていたので、私は身分証明書を持っておらず、どこに住んでいようと身分証明書をチェックされるのは困ることでした。近所の人が張り紙を貼ることがあり、身分証明書のチェックかどうか私はいつも見に行きました。ある日、警察が姑の家に身分証明書を登録するために来て、私は驚き、怖くて心臓が縮まりました。

 正午に正念を発した後、私は法を学び、正時に再び正念を発しました。午後4時になり、私は「これは何をしているのか?」とわかりました。私は誰かを傷つけているでしょうか? 恐れている考えは「身分証明書を持っているかどうかを尋ねる警官を想像している。持っていない場合は連行され、どこにあるのかと尋ねられる」ということでした。「捕まる」その「恐れ」の思考がすべてであり、それは考え求めているのではないでしょうか? 求めれば本当に逮捕され、私を捕まえた警官を傷つけることになるのではないでしょうか? 恐れる心は人を害しているのではありませんか? このように考えると、身分証明書の確認を恐れる心がなくなりました。師父は「あなたが劫難に遭遇したとき、その慈悲心がこの難関を乗り越えるのに力を貸してくれますし、同時にわたしの法身もあなたを見守り、あなたの生命を守ってあげますが、難は必ず通らなければなりません」[1]と説かれました。

 私はいつも私の迫害に加わった警官に憤慨し、正念を発することは悪と恨みを発することであり、警官たちに現世で直ちに報いを負わせることであり、慈悲深い救い済度ではありませんでした。ある時、清華大学の学生だった劉志梅さんがひどく迫害され、私を憎み、夜夢を見て、私を迫害した国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の隊長の首を刺し・・・。目が覚めた後、なぜ私はこんなにも悪いのかと思いました! なんと私はこの邪悪な迫害を人間に対する人間の迫害とみなし、私を迫害した国内安全保衛部門の隊長を敵とみなしていることがわかりました。党文化の毒害を受け、敵を厳冬のように扱い、恨み、悪、残忍さで扱い、師父は「修煉者には敵はおらず」[2]と説かれました。私は大法の求める要求からかけ離れていました。

 ある時、国内安全保衛部門の隊長に私はオートバイで追いかけられ、私は自転車に乗っているという夢を見ました。隊長が私に追いついた時、最初の言葉は「何年もの間どうして私を救ってくれなかったのですか?」と言いました。目が覚めた後、私は「これは師父が私を悟らせてくださっているのではないのか、慈悲深く彼らを救い済度しなければならないのではないのか!」とショックを受けました。それ以来、私は国内安全法会部門に対する恨みを完全に変えました。

 二、同修と協力する過程で内に向けて探す

 1、「非難」と「不満」を取り除く

 ある時同修が連行された後、救助の責任を負う同修は弁護士を雇い、さらにもう一人雇う必要がありました。私の考えでは一人で十分であり、大法の資源を無駄にすることはできませんでした。ところが、2人の弁護士がやってきたのを見て、私は突然怒り、腹が立って顔色が悪くなり、全身が冷たくなり、正念も発することができず、ただ怒って、心の中で責め立て、弁護士を雇った同修を責めました。私が怒っているのを他の同修が見て、私が間違っている、と言いました。

 私は落ち着き、師父に「私はこの『非難』と『不満』はいりません」と求めました。「非難」と「不満」はセメントのような灰色で蝙蝠のように長く二つ重なっているもので、体に付着しており、その二つが協力すると、私を操ることができるのでした。私は師父に「『非難』と『不満』は私ではありません」と求めました。私が「非難」と「不満」がいらなくなると、師父が大きな手で「非難」と「不満」をつかみ、私の体から引き離されたのが見えました。「非難」と「不満」は離れたくなかったので、風船ガムのように私にくっついてきました。師父が「非難」と「不満」を取り除いてくださった時、私は瞬時に全身が軽くなり、顔色がよくなり、体も熱くなり、落ち着いて正念を発することができるようになりました。

 2、嫉妬心と「自我」を片付ける

 修煉では常に法に則って厳格に自分に要求できなかったため、一部の執着が取り除かれなかっただけでなく、多くの執着心が追加されました。同修は連行され、弁護士に無罪の弁護をしてもらうように頼みました。ある時弁護士が来ると、同修は私が上に上がって弁護士と交流することを許さず、私は階下で待っており、考えれば考えるほど気分が悪くなり、立ち上がって出て行き、歩いてすぐのところで「間違っている」と思い、戻って来て再び座りました。

 同修は私が嫉妬していると言い、私はそれを認めず、私は「私には嫉妬心はありません」と言いました。同修は「自分のことについてよく考えてみてください」と言いました。「そうです、同修が行なうことは私の観念と一致していないが、必ずしも法に符合していないわけではない」と静かに考えました。私の同修に対する言動は、私の測定基準を使えば法に則っていないことと認められ、同修の言動は一つ一つ心に記憶され、多くの恨みが同時に起こって溜まっていき、旧勢力の按排に基づいた考え方で考え始め、同修がもしこうだったら中共の迫害を受けることになるなど、旧勢力とこのネガティブ思考が同修を傷つけているのではないでしょうか? 全体の中でわだかまりを作り、物事をかきまぜ、足を引っ張り、これはどれほど強い嫉妬心でしょうか!

 夜の12時に発正念を終えた後、これは本当に強い嫉妬心であると私は気づき、師父に「嫉妬心は私ではありません、嫉妬心は要りません、嫉妬心は状況を悪化させようとしています。師父、どうか私のために早く取り除いてください」とお願いしました。これらの汚物が黒い砂のように変わって落ちるのを見て、黒からはっきりと明るくなり、夜中の2時、これらの黒い物質は完全に落ちました。師父が私のために片付けてくださる過程の中で「嫉妬心」は私に不快感を与え、本当に心をえぐり骨にまで突き刺さるようで、嫉妬心は死にかけていますが死にはせず、嫉妬心は私に苦痛を感じさせ、この「嫉妬心」の重さを見ることができました。

 翌日、まだ取り除かれていないものがあると感じました。何の心でしょうか? 明慧ネットに上がり、同修の交流文章を読み、同修は「(大体の意味において)長年にわたり家族や友人の彼女に対する印象は特によく、知らないうちに自我が形成され、自分を実証し、法を実証せず、それは天の功を自分のものにするということでした!」と語っていました。同修の体験は私を悟らせ、私は長い間知らずに形成された自我を見つけ出し、何事も自分が望む基準を満たしていなければならず、法に則って悟った私の基準に到達すれば、他の人は私の法に符合しており、もし法に則って悟った私の基準で行なわなければ、他の人は私の法に符合していないというこの考えはなんと恐ろしいことでしょう! 大法には無辺の内涵があり、この無辺の大法の中で、自分が悟ったその理は小さすぎました!

 私はこの観念を取り除こうと決心し、夜に12時の正念を発した後、自身の空間場をかたづけ始め「私はこの『自我』はいりません」と師父にお願いしました。2時間後、その汚物の多くが片付けられ、心は穏やかでした。

 3、同修の利点を見る

 それ以後、私は同修の利点を見ることができるようになりました。師父は私に他の空間で同修の体がピカピカと光っているのをお見せになり、蓮の花の上に座って、業力と後天的な観念で構成された体は、すでにとても小さく、大体1尺(訳注:37.88cm)くらいの高さでした。

 同修の不足を見ると、同修の観念と業力を自分が業力と後天的な観念によって構成したその体の中に入れ、その体を増大させ、魔性が大きくなり、同修との隔たりを作り、衆生を救うことを邪魔します。もし同修の利点を見れば、その業力で構成された体は減少し、善の心と慈悲心が出てきて、同修間の隔たりが消え、より多くの衆生を済度できるのです。

 ある日の朝、自分と対立している3人の同修のことを考え、同修たち一人一人の利点を考えました。同修のAさんは尽くすことができ、Bさんは勇気を持って取り組み、Cさんは協力でき、考えているうちに、多くの衆生が無限にいることだけが目に入り、果てしない海の潮のように私の空間場に湧いてきて、私の頭の中に「佛の恩は広くて大きい」という声が聞こえました。

 私は心の中でこの上もなく震撼し、師父の洪大な恩恵に感謝しました。私は人心を放下し、師父はあんなにも多くの衆生をお救いになられたのです。なんと同修の利点は衆生を救うことにあったのでした! 自分をしっかり修めることが本当にとても重要であることを真に感じ、自分をしっかり修めなければ、あんなにも多くの衆生を再び破壊してしまうでしょう。

 4、隔たりを消し さらに多くの衆生が真相を理解する

 弁護士を頼んだ同修が不当に懲役4年6カ月の判決を下され、他の2人は迫害されて住居を追われました。さまざまな教訓の中で、私は無条件に内に向けて探し、闘争心、嫉妬心、顕示心、名を求める心、人にあれこれ言われたくない心、自我、口を修めないなどの人心を見つけ出しました。人心は取り除かなければならず、さまざまな人心を修めて取り除くと、同修との隔たりが打開されました。その後、再び弁護士を雇い、同修が集まって相談し、意見が合わなければ内に向けて探し、弁護士を頼む根拠を正し、同修を救うという形式を利用して広く衆生を救いました。

 ある時、市外の同修からメッセージがあり、私たちの地域の周辺の同修が市外で連行され、不当な裁判に直面し、メッセージには、私たちが同修の家族を探すことができるかどうか、と書かれていました。同修が私に「家族に真相を伝えに行くことができますか」と聞いてきたので、私は「できます」と言いました。

 以前、同修たちは家族を探すのに苦労し、異なる市の同修2人が一緒に300キロ近く運転し、同修の故郷のJ町まで行って家族を見つけました。雪に覆われた凍てつく中で長い時間探しても見つからず、同修がいつも地方でアルバイトをしていたので、町の人は同修の家を知らず、父親の名前は不明でした。戻ってきてから、同修たちはそれでもあきらめず、ある同修の家族の援助の下で父親の家を見つけ出しました。今回、私一人で市外に行って同修と合流し、車を走らせてJ町まで行き、連行された同修の両親と子供に会い、また持って行った旧正月の贈り物を同修の家族に渡しました。同修の家族は私たちを少し警戒しましたが、私たちはやってきた経過と目的を一通り説明しました。同修の両親は感動しました。私は「私たちは息子さんに会ったことはありません。しかし、同修が迫害されれば私たちは関わらなければならず、家族はさらに関わらなければなりません」と言いました。

 私たちは弁護士を頼む手続きを完了し、その場所の裁判所は家族が裁判所に出頭しないという状況下で、同修を不当に尋問し、市外の裁判所は有罪の弁護を行なうために援助弁護士を同修のために任命し派遣しました。私たちは戻って来てもまだあきらめず、再び何度も同修の家族に会いに行って真相を伝えました。同修の父親と私たちは他の市からの同修の協力を得て、裁判所に行き、裁判官に電話を掛けましたが、会ってもらえず、どの裁判官が対応しているのか確認できました。私たちは再び同修の援助弁護士に会い、相談するという形式でこの援助弁護士に真相を伝え、その後再び援助弁護士に真相資料を郵送しました。

 私たちは連行された同修のために無罪の弁護を行なう弁護士を雇い、同修は一審ですでに不当に2回開廷され、私たちは「この2回の不当な尋問はカウントされない」と認定し、いわゆる案件はこれ以上進めず、二審は認められず、案件は差し戻されるべきで、同修は家に帰されるべきでした。裁判官は私たちに会わず、私たちは申立書をさまざまな部門に郵送することに決め、この機会を借りて衆生を救い済度しました。同修は申立書をしっかりと書きましたが、同修の父親は郵送しませんでした。警官の報復を恐れたのでした。

 私たちは家族の態度を見ず、私たち自身のどこが悪かったのかを内に向けて探しました。それは家族に真相を伝えることの深さに欠けていたことでした。同修の父親は基本的な真相を知り、大法が素晴らしいこと、同修の父親の息子(訳注:同修)がよい人であることを知っていましたが、なぜ法輪功を修煉することが法に違反していないのか、法輪功を修煉する人を迫害する人が法を犯していることを、あまり理解していませんでした。私たちはこの方面の法律知識を父親に伝え、さらに江沢民が法輪功を迫害していることを全国で告訴していることを伝え、江沢民への告訴状を同修の父親に見せると、父親は正念を持ちました。

 私たちは同修の父親の息子(訳注:同修)が法輪功を修煉してよい人になった経過を父親自身に書いてもらい、父親は1日真剣に書きました。私たちは校正した後、法輪功を修煉することは違法ではないという十数条の法律条文を付け加え、父親はサインしました。今回同修の父親は喜び、郵便局に行って各部門に郵送し、すべての申立書に父親の電話番号を書き留め、私たちも何も起こらないと思っていました。

 ある日、法律援助センターから電話がかかり、法律援助センターが裁判所と連絡を取り合い、同修のいわゆる案件の一審は改めて審理する必要がある、ということでした。私たちがこの知らせを弁護士に伝えると、弁護士は驚いて「まったくありえない、全国でこのような例は一例もない」と言いました。市外の同修がこの知らせを聞き、喜んで泣き出しました。同修の全体の協力がよく、師父が奇跡を起こしてくださったのでした。その後同修への不当な尋問の時、私たちは援助弁護士を辞退せず、法廷で話をしないように弁護士に伝え、援助弁護士は一言も話さず、ただ聞いていただけで、一人の衆生がまた真相を理解しました。裁判官と検察の態度はとてもよく、すべての過程が穏やかでした。15日間の不当な尋問の後、同修は戻ってきました。

 その後裁判官がこの同修の父親に電話をかけ「もう訴えないでください、私たちのところに来てください、あなたを夕食に招待します」と言いました。
救う過程で同修がみな無条件で協力したことを知り、地域の区別もなく、大法弟子はどこにいようと一つの全体でした。師父は「これらのことに大法弟子の寛容、善良と和やかさを表すべきです。相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」[3]と説かれました。

 この修煉過程を歩み、同修の全体の協力がよく、同修を救い、衆生を救い済度する効果が良かったのです。しっかり協力し、自我を放下し、自分をしっかり修めることが鍵です。同修たちの無私な協力の下で歩み、すべてがみな師父が秩序立ててくださった按排でした。

 返本帰真の道を歩み、師父の慈悲深いご加護に感謝申し上げます! 周りの素晴らしい同修の皆さんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「世間に向かって輪を回す」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/6/395463.html)
 
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