文/陝西省の大法弟子
【明慧日本2020年8月3日】私は今年77歳になりますが、学校へ通うことが出来なかったため、修煉する前は字が読めませんでした。ある日、『明慧週刊』を読んだとき、法を写すことについての交流文章がありました。文章には「法を写すことで法に溶け込むことができ、法に対する認識と修煉の境地の向上の助けになり、心性も迅速に向上できる」と書いてありました。感慨深いと感じた私は羨ましい気持ちがありました。なぜなら、ペンを手に取ったことがなかった私にとって、法を写すことはやりたくても無理だと思っていたからです。
ある日、偶然街で両手がない常人の障がい者が足で字を書いているのを見かけ、とても驚きました。私は「彼は足でも字が書けるのに、両手があって、しかも大法弟子である私は、今までどうして字を学び、法を写すことを決心できなかったのだろうか? 夢の中でもどうやって法に溶け込むのか考えて、模索していたのに」と思い、本当に恥ずかしく思いました。
そして、私は「師父、私は法を書き写したいです! 輪廻転生して何世もの間待って、やっとこんなに素晴らしい大法を得たのですから、法に溶け込みたいです。法を写さなければ夜も眠れません。字は書けませんが、明日から法を写し始めます」と心の中で師父に話しかけました。この一念は堅く強烈なもので、「自分のすべてを師父にお任せし、何としても大法に同化し、師父について本当の家に帰りたいのです!」と師父にご加持をお願いしました。
そして家族に「これから法を写そうと思っている」と話すと、「字すら書けないのに、法を写すなんて」と冗談だと笑われました。しかし、翌日から私は本当に法を写し始めました。
法は右から左に写すのではなく、左から右に写すのが正しいやり方です。私は『論語』から写し始めました。まず「論」の字をじーっと見つめ、やっと手を動かしたのですが、ペンが言うことを利かず、歪んで格好の悪い字になってしまいました。しかし、私は気を落さずに書き続けました。数行ほど書き写して眺めて見ると、歪んでいる字や背が高い字や背が低い字、大きい字や小さい字、太い字や細い字、字の一部がどこかへ飛んでいる字などさまざまで、自分でも吹き出してしまいました。字を書いているのではなく、字を描いていると言ったほうが近いと思いました。
しかし、私はやる気を失わずに興奮しながら、夫に見せに行きました。夫がそれを見てあざ笑いました。「どうして右から左へ写すのか? 本当にバカだね」と言った途端に、私が元々字を書けない人だと気づき、「写すときは、左から右へ写すものだ」と注意しました。また、形になっていない字を見て、「字を書くときには横の画は左から右に、縦の画は上から下に書き、点は最後に書くことが多く、囲みは外が先で中が後だ」と夫は字を書きながら優しく教えてくれました。「字を書くのも簡単ではない」と思いながら、書き方をしっかり覚えていきました。
師父は「わたしの本の一文字、一文字はみなわたしの姿かたちと法輪で」[1]とおっしゃっているので、私は敬虔な心で師と法に向かい合い、一文字一文字を丁寧に書きました。丁寧に一画ずつ法を書き写すことを続けると字の形が整い、以前よりもずっと文字らしくなってきて、コツが徐々につかめてきました。
1ページほど書き写して、また夫に見せると、夫は目を大きく開けて私を見て、「すごいじゃないか。きちんとした字になっている」と褒めてくれました。それから、また私に字の書き方をさらに教えてくれました。
このようにして、私は毎度書き写した法を夫に見せては、知らない字の書き方を教わりました。どうしても書けない字がある時は師父にお願いし、繰り返し練習して書いているうちに良く書けるようになり、「師父、ありがとうございます」とお礼を言いました。
このようにして、私はますます法を写すことが大好きになり、時々時間を忘れて食事や睡眠も忘れ、さらには夢の中でも法を書き写していました。ある日、夫が部屋に入って来て、集中して法を写している私に、「暑くないか」と聞いてきました。「暑くないよ」と答えましたが、その日の気温は37℃もありました。
現在、私は第四講の手前のところまで書き写しました。同修は私が最初書いた字と今書いた字を見比べて、「進歩が早い。4、5年生の子よりもきれいな字が書けている」と言って驚きました。私は微笑んで心の中で、「それはそうだよ。私は大法を書き写しているんだもの。師父に字を教えてもらい、大法が加持してくださっているのだから、進歩が早いのは当然だ」と思いました。
法を書き写しながら、法に導かれる
私は真摯に法を書き写しながら法に溶け込むことによって、法に導かれて向上することが出来ました。
法を写すとき、書きにくい文字に出会うと、別の紙に何度か練習して書けるようになってから、法を写すノートに清書しました。 「佛」と「道」の二文字は、「道」は書きやすかったのに対して、「佛」は50回以上も練習し、それでもうまく書けませんでした。私はペンを止め、「『道』を書きやすいと感じたのは、大法を修煉する道を正しく歩んでいるからで、では『佛』はどうしてこんなに難しいのだろうか? 『佛』は私が修めているので、上手く書けないということは、私がまだまだ修めなければならない事が多くある、ということを暗示しているのではないか」と考えました。50回以上練習してもうまく書けないということは、修行の道のりが長く、各方面を修めなければ円満成就できないのだと悟りました。50回も上手に書けず、書き写し続けなければならないのは、さらに精進して修煉し、まだよく修めていないものを修めていかなければならないのだ、と気づかせるためだとわかりました。
簡体字の「过」(「過」と同じ)を書く際に、ふと「寸」に目が止まりました。 「寸」は、「何をするにしても、適切な尺度(中国語の「分寸」と同じ意味で、話や行為のけじめ、程合い、限度をいう)をつかまなければならない。やり過ぎてはいけない」と口から出ました。「 大法弟子として適切な尺度、つまり限度を把握し、同修や家族の不足に対しても強引ではなく、傷つけないように指摘すべきなのに対して、しばしばやり過ぎてしまうことがあるため、『寸』は私にこの面をよく修めるようにと啓示している」と思いました。 師父は私たち修煉者に、人のことを第一に考えて無私無欲になって、あらゆる面で良い人になるようにと教えてくださいました。良い人になるという教えの深い意味を改めて認識できました。法を書き写し、法を学び、法に溶け込むことで、本の中の一文字一文字が私を導き、修煉の素晴らしさを感じ取ることが出来ました。
法を書き写すことにより、体が浄化される
法輪大法は生命双修の功法です。法を書き写すことで私は深く法に溶け込み、体にも変化が起きました。『論語』を2回写した後、つまり法を写し始めて3日目に両腕が痛くて上げられず、骨が折れたかのようでした。痛みに耐えながら、「これはいいことだ。気にしない、気にしない」と思いながら、どんなに痛くても法を書き写し続けました。しかし翌日には腰に激痛が走り、さらには五臓六腑も痛み出し、ご飯も食べられなくなりました。「食べられないなら食べない」と思い、法を写し続けました。師父は「世間法修煉の過程において、人間の身体は絶えず浄化され、絶えず浄化されていき、世間法の最高形式に達しますと、身体は完全に高エネルギー物質に取って代わられます」[1]と説かれました。これは師父が私の体を浄化し、整えてくださっているのだと認識しました。修煉して二十数年、数えきれないほど大小さまざまな体の浄化を体験してきました。しかし、今回のように強烈なものは初めてでした。心でこれはとても良い事だと分かっていても、やはり非常に辛かったのです。もうこれは限界だと思った時に師父にお願いしたり、発正念や坐禅をしたりして耐え抜きました。
法を書き写し続け、体の苦痛に耐え続けて3日目に、体は依然として痛みがあるものの我慢できる程度になり、少し粟粥が食べられるようになりました。その状態が2週間続き、やがて痛みが消えて体が軽くなりました。今回の業を滅することで師父は私のためにどのくらいの苦痛を受け持ってくださったのかと思うと、本当に言葉に言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
師父は「自分を修めることと衆生のために行う他ありません」[2]とおっしゃっています。私は法を書き写して法に溶け込み、体の浄化は自分を修めていると理解しています。しかし、大法弟子として衆生のことを忘れてはいけません。師父は「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません」[3]とおっしゃいました。私はいつもこの経文を読むと、確実に自分を修めて、「三つのこと」をよりよく行なうように、奮い立たせてくださいます。同時に、師父がこの説法をされるのは、大法弟子たちの最後の円満成就のためだと痛感しました。
法を書き写して以来、学法の仕方が少し変わったものの、いつもの通りに「三つのこと」に努めています。唯一違うと感じるのは自分が法に溶け込んでいるため、大法の真実を伝えるとき、師父がいつもすぐそばにおいでになり、私を加持され、知恵を与えてくださっている、と感じるようになったことです。法輪功の資料を配る時は空間場がとてもきれいで静かで、妨害が非常に少ないのです。「三退」を勧めるときも、友人と交流しているように私の口調は自然で流暢です。そのお陰でほとんどの人が「三退」してくれます。
時間を無駄にしないように、衆生を救い済度することを頑張って行なっていきたいと思います。少しでも師父にご心配をおかけしないように頑張りたいです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『音楽と美術創作会での説法』「音楽創作会での説法」
[3] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』