青年大法弟子 煉功を重視すべき
■ 印刷版
 

文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2020年8月8日】私は、青年大法弟子です。以前私は、あまり煉功を重視しなかったので、長い修煉の間に1回だけ練習したことがあります。一つは怠けて、安逸を求めていました。もう一つは、師父の説法に対する理解が不十分であったため、煉功より、学法をして心性を修めるほうが重要だと思っていました。また、私は小さい頃から大法に触れ、あまり精進していませんでしたが、体はとても健康です。そして普段の関門は、みな精神面に関することだったので、煉功はあまり重要ではないと思っていました。

 法理上の認識がはっきりしていないし、なぜ修煉するのかも理解できない年齢のため、煉功を重視しませんでした。大法の修煉は体を変化させ、金剛不壊の体になることだとわかりませんでした。

 少し前から、私は煉功時間を増やしました。煉功した後、特に第二功法頭頂抱輪は、最初から最後までずっと気分が良く、疲れる感じは全くありません。煉功の快適さは分かりましたが、なぜ理性的に煉功の重要性が認識できないのかと、煉功しながら考えていました。

 その後、私は非常に学法したいと感じ、学法を始めました。『轉法輪』の本の中には無辺の法理があり、学法もとても好きですが、どう座っても体が不快に感じ、しばらくすると眠気も出てきて、「意識がはっきりしているときに読めば頭に入るのに、どうしてこの体が落ち着かないのか。体の不快感が原因で学法ができないのは、おかしいのではないか」と思いました。

 「学法と煉功はお互いに補い合って、全体に向上しなければなりません。煉功を重視せず行なわなかったので、全体を高めることができず、学法に影響してしまったのだ」と悟りました。師父は「人間を例にして言えば、道家は人体を小宇宙と見なしています。人間は物質的な身体を持っていますが、物質的な身体だけでは完全な人間を構成することができません。人間としての気質や性格、特性、元神を持って、はじめて完全な、独立した、自我の個性を持った人間になれます」[1]と説かれました。

 私の観念の中で、煉功はただ体を健康にさせる作用だけだと認識していましたが、高い次元へ修煉する人に対して、煉功しなければ物質的な体に転化できず、全体的には、不完全で独立していない状態であり、この大きい分子の物質もさらに高い次元への突破ができないのです。

 一方、中国共産党の党文化の教育体制の下では、教科書の理論と知識の勉強と得点ばかりを追求することが過剰に強調されているため、試験問題に対応する教科書の知識を勉強することが最も重要で、身体の鍛錬などの活動は、時間の無駄だと学生達に認識させています。私もこの思想に毒され、修煉上でも煉功は一番重要なものではないと認識し、重視しませんでした。

 また肉体と直接関係のある執着心や欲望も、煉功を重視しなかったことと関係があると認識しました。例えば、色欲、寒さを恐れること、疲れたり、食べ物に対する執着、安逸心、眠気などの執着心です。

 私は必ずこれらをはっきり認識し、よく煉功をし、よく学法をし、全体的に心性を高め、三つのことをしっかりと行ないたいと思いました。

 注:
   [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/31/395247.html)
 
関連文章