明慧法会|法を実証する中で法の内涵を悟る(下)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年8月15日】(前文に続く)

 三、細微な法の粒子

 大法弟子として、誰もが自分の能力を使って師父が衆生を救い済度されるお手伝いをしています。師父がこんなに何年もの間私に本を拝読させてくださったのは、今日(訳注:2019年11月)法を実証するためであり、私は自分の責任を担わなければならないと思いました。迫害が発生してから、技術担当の同修が最も足りなくなり、その時から、私は技術面のことを行ない始めました。

 初期のころ、中国共産党(以下、中共)はネットを封鎖し始めました。師父の按排の下、ある地方の同修がメールボックスを利用して明慧ネットの文章を受け取る方法を私にマスターさせ、私はこの方法を地元の資料拠点の同修に教えました。困難な歳月の中、メールボックスはずっと着実に地元と明慧ネット間のコミュニケーションの架け橋を築きました。

 その後、私はネット封鎖の突破ソフトを利用してインターネットに入ることをマスターし、ネット封鎖突破ソフトやその使用方法を他の同修に伝えました。時にはインターネットは非常に困難で、さまざまな方法でやっと封鎖を突破でき、明慧ネットを見ることができました。私が知っている地域では、ここ数年来、明慧ネットの資料は基本的に断たれておらず、地元の同修はいつでも師父の新経文を手に入れることができ「明慧週刊」を通じて師父が法を正される進展に追いつき、また明慧ネットと単独につながる方法を確立していました。

 パソコンのシステムとシステムのセキュリティーは常に非常に重要です。初期にパソコンをインストールできる同修は少なく、私もできませんでした。初期のシステムのインストールは非常に面倒で、多くの用語がすべて英語であり、さらに各種のドライバーをインストールしなければなりませんでした。ある同修が私に「学ぶのですか」と聞きました。私は「そうです、こうしたことは私が引き受けなかったら誰が引き受けるでしょうか」と思いました。私はある同修に教えてもらい、全過程を覚えました。はじめてシステムをインストールした時、想像していたほど簡単ではなく、同修のパソコンは私がいじったせいで完全に動かなくなりました。第一回目の教訓を経て、私はノートパソコン1台を借りてきて、自分でまずしっかりと練習し、それから他の人のインストールに行こうと思いました。このようにして、夜通し模索と練習をし、3、4回繰り返してインストールを行ない、最終的にシステムのインストールの過程をマスターしました。それ以後、私は同修のためにシステムを構築し、システムの安全性を維持してきました。

 技術フォーラムは私たちに非常に素晴らしいサポートを提供し、すべてがみなそんなに難しくなくなりました。私は学びながら同修のシステムをインストールし、システムの純度と安全性を確保しました。私が接触した、パソコンを使う多くの同修が年配者であるために、パソコンにトラブルが出現しても同修が対応できるように、インストール後のシステムの操作を簡単に、シンプルに、保守しやすくする方法を模索しました。私は画像式の簡単なテキストを作成し、操作を簡単にしました。年配の同修たちに大胆に使ってもらうために、問題があれば、システムを復旧させました。私がインストールを担当したシステムは、基本的にみなシステムの有効期限が切れて別のシステムへの交換が必要になるまで使用することができました。

 システムの更新の必要があると天地行論壇が注意した場合、私はいつも積極的に同修のために安全性のさらに高いシステムに更新しました。ある年配の同修は、数年前私がその同修のためにWindows7のシステムをインストールし、現在(訳注:2019年11月)このシステムは廃止されるので、私はその年配の同修に会いに行きました。その年配の同修はとても喜び、私がその年配の同修のためにシステムの更新を行なった時、その年配の同修のパソコンのスペックが低すぎて、ハードディスクのデータの転送速度が非常に遅いことがわかりました。システムをインストールするすべての段階での障碍はとても大きく、最初のUSBフラッシュメモリーによる起動もうまくいきませんでした。私は心を静めて自分を探し、自分の焦る心と「自分はこんなにも多くのパソコンをインストールしてきた」という顕示心を見つけ出し、どんな問題にも対処できると思い、自分の経験を重く見ていました。この念が見つかると、私は急いで心の中で師父に「師父、私は間違っていました、弟子は間違っていました、私は『自我』を放下し、経験に執着してはならず、清らかに同修のために責任を負います」と申し上げました。師父はすぐに問題がどこにあるかを私に教えてくださいました。その後、システムのインストールはいつも比較的順調になりました。家に帰ると、同修のパソコンの運行には実際骨がおれると考え、私は自分のもう1台のパソコン(数年前に装備したハイスペックパソコン)にしっかりインストールした後、年配の同修に使ってもらうために送りました。年配の同修はシステムが非常にスムーズに運行するのを見て、とても喜びました。

 修煉はどこにでもあり、気持ちを込めている限り、自分の問題を見つけることができます。私と同修は協力して一つのプロジェクトを行ない、私の経験が本当に乏しく、この道を歩んでいくにあたって、いつも資料を探して技術を学びながら、プロジェクトの中ですぐに使いました。師父のご加持の下、さまざまな技術がまれにしか使わないとは感じませんでしたが、使ってみるとなんだか順調に運ぶスムーズさを感じました。心の中にひそかに歓喜心と顕示心が生まれました。その後同修に率直に指摘され、私はとても恥ずかしく感じました。それ以後、プロジェクトを行なう時、いつも「私は自分を表現しているのか? それとも純粋に人を救っているのか」と自分自身をまじめに観察しました。プロジェクトで協力する中で、問題があれば、それは修煉の良い機会です。さらに多くの人心がみな最終的に「私」や「自我」に落ちていることがわかり、これが多くの人心の発生地であることがわかりました。私が「自我」を放下した時、知恵がどんどん出てきて、心もますます純粋になり、物事を行なう効率もとてもよくなりました。

 同修は問題があると私に会い、私も同修のために最善を尽くして解決しました。ある同修はプリンターが故障し、ある同修は真相伝えの携帯電話、ある同修はMP3プレーヤー、ある同修は特別な資料を必要とし、ある同修は真相DVDを必要とし、ある同修は迫害の実態を伝える手紙を書かなければならないなど、さまざまな事情がありました。あることは私にでき、あることは私にはできず、できないことは資料を探して学び、それから同修のために問題を解決しました。時には必要に迫られ、いつも深夜まで忙しく、さらには昼夜ぶっ通しのこともありました。

 師父が按排してくださったことを行なうことに、私は少しも苦しいとは感じませんでした。私と接触した時間の長い幾人かの同修は「誰に何を頼まれてもあなたは行ない、いつもにこにこして、断わったことがない」と言いました。私は「これが私の責任ですから」と言いました。師父は私に能力を与えてくださり、技術の上で、プロジェクトの中で私を成長させてくださり、ゆっくりと成熟に向かわせてくださいました。私は大法の中の小さな一粒子であり、私が必要とされるならどこにでも行きました。

 四、魔難の中で思うのは人を救うこと

 私が職場に行った時は、まさに迫害が最もひどい時で、私は法輪功を修煉していることを職場のリーダーに直接伝えました。職場のリーダーは私の才能を考慮し、私を雇うと決めました。私は自分が大法弟子であると思い、大法を理解していない常人にとっては、私の態度と行動が大法を実証するための最高の証明でした。十数年の間に、私は自分が迫害されたとみなしたことがなく、終始笑顔をたたえ、堂々としていました。利益や功名のために争ったことがなく、リーダーと同僚は私のことを個人的に賞賛しました。

 江沢民を告訴したために、地元の警察が私の職場を探し、職場のリーダーは私を処分したがっていました。猛烈な魔難に直面し、私は窒息しそうな「恐れ」を感じました。これが「恐れる心」の仕業であることを私は知っていましたが、この「恐れ」の背後にはいったい何があるのでしょうか? 私はすぐに、私は警察に捕まることを恐れており、家庭に影響を与えることを恐れており、仕事を失うことを恐れており、同僚に違った目で見られることを恐れているなど、「恐れ」の背後に隠された安逸心、利益を求める心、顕示心などの多くの人心に気づきました。さらにこれらの人心の背後にさらに根があり、それこそ大きな「私」と「自我」であり「私」と「自我」は千変万化していました。師父は「以前の基点は『自分』のためですが、大法が造った全ては『自分』に執着しません」[2]と説かれました。師父が私に成就してほしがっておられるのは新宇宙の生命であり、完全な他人のための生命であり、私は「自我」を放下しなければならず、衆生を念頭に置かなければなりませんでした。この次元の法理がわかった時、頭がすぐにはっきりとし、絶えず正念を発して「私」を解体し、すぐに自分のすべてが小さくなって見えなくなり、思い出せなくなり、ただ衆生に対する慈悲だけが波のように周囲に向かって広がっていきました。

 私は人を救う純粋な心を持っており、職場のリーダーに長い手紙を書き、法輪大法のすばらしさと迫害の真相を述べ、そして人々が「善」か「悪」かの選択に直面していることを述べました。手紙の終わりに、私は「もし職場が私を処分することを主張するなら、私はその前に去ることができます。これは私が去りたいからではなく、私は皆さんによくないことをさせたくないのです。すべての印鑑とすべてのサインがみな善良な人を迫害している罪の証拠になってしまうからです」と書きました。2週間後、職場のリーダーは私を処分しないことに決め、仕事場が調整されただけで、すべていつも通りでした。私は後になってはじめて知ったのですが、市はもともと私を典型像としたかったらしいのですが、職場が私を保証してくれました。私は心の中ではっきりと分かりました。これは師父が私を加護してくださったのです。

 その後、保安局の職員が訪ねてきて、私も善意を以って保安局の職員たちに迫害の実態を伝えました。今年(訳注:2019年)、市の「610弁公室」が職場を通して私に会って閉鎖型の会話(後で実際は洗脳して「転向」させるとわかった)をしたがっていました。今回、私の心の中に恐れはなく、影響されませんでした。最初に、私は「『610弁公室』の人が真相を聞きに来たがっているのではないか?」と思いました。警備所の所長も「2人のうちどちらがすごいか見てみましょう、あなたが彼(『610弁公室』の人)を説得できれば、あなたはすごい」と私を誘惑しました。私はそれを聞いて「なんと、私には闘争心があるのではないか、急いで取り除かなければ」と思いました。「わたしは人と闘うことが嫌いな上、彼とは闘うまでもありません」[1]という師父の法が突然頭の中に現れました。中共のやりくちを私はすぐに理解し、これは私をだまして先に泥沼にはめようとしており、さらにその泥沼の中で私をおぼれさせようと試みていました。『610弁公室』の人が真相を知ろうとする方法は多くあり、この密閉した方法を用いるのは私を迫害しようと試みていたからでした。私はすぐに断わりました。警備所の所長は「それなら今度は市に対して話してみればよい」と言いました。

 私は家に帰った後「今回のことが私の身に起こったのは、私のどこかを修めなければならないからだろうか?」と考えに考えました。「自我」を徹底的に放下するには生死を見抜く必要があることを師父は私に悟らせてくださり、師父は「神も同様、循環しています。神は死なないわけではないのですが、死ぬことが分かっているのです。生まれることも分かっています。ただ、以前の記憶はありません」[3]と説かれました。私は「生命は不滅であり、生は喜びもなく、死は痛みもなく、生命はただ正法を得る大道を修煉して初めて本当の喜びがある」ことを悟りました。今(訳注:2019年)創世主が自ら救い済度してくださることを私は喜び、どれほど幸運なのか、生死に何の関係があるというのでしょうか。

 心の中で生死の観念さえ薄くなり始めた時、何もかもすべてが違ってきました。師父は「修煉者の場合、皆さんは人のため、公のための人間になるよう修め、正法正覚の生命になるのです」[4]と説かれました。私は急に「自分は大法弟子として、思いきり堂々と天地の間を歩み、それはすべての正の要素のために責任を持つこと」だと感じました。私は今回のことに関係している人を救う必要がありました。学法グループの同修も私のために正念を発してくれました。

 職場の書記と何度も接触し、書記が妨害されている核心を師父は私につかませてくださいました。それは「愛国」と「愛党」の区別がつかないことと「中国」と「中共」の区別がつかないことでした。人を救うことは確実に実行しなければならず、以前書記に渡した真相を書いた手紙は本当に中共の皮を取り除いておらず、今(訳注:2019年)見たところでは、この真相は明確に話さなければなりませんでした。私は5~6時間を使い、心を込めてとても長い真相を書いた手紙を職場の書記あてに書き、師父のご加護の下、さまざまな問題をすべて手紙の中ではっきりと明らかにしました。私は書記に手紙を渡した後、さらに真相のUSBフラッシュメモリーを書記に渡し、中にはネット封鎖突破ソフトが入っており、多くの法輪功の映像が入っていました。私は警備所の所長にも真相を書いた手紙を書きました。「610弁公室」のことには二度と話が及ばなくなり、師父が邪悪要素を解体してくださいました。

 職場の書記の態度が大きく変わりました。職場の書記はとても私を敬服し「1人の女性がこのような大きな圧力に耐え、さらに仕事の中で自分の信仰を実践し、自分の仕事をしっかり行ない、行ないがきちんとしており、正しく歩むことができるなんて」と言いました。少し前に、職場の書記は私に会い、「今は(中共の)70周年ではないですか、警察署があなたと話をしたがっています」と言いました。私は「私は本当に忙しく、もし断われるなら断わり、もしだめだったらその時は彼と話します」と言いました。私は心の中で師父に「私が警察署と接触することを恐れていなければ、もし縁のある人であれば、彼は来るし、そうでなければ、会いません」と申し上げました。結局書記はこのことを断わりました。

 その後、警察署の警官が私のことを知っているのであれば、これも一つの縁だ、と私は思いました。私は警官たちに真相を書いた手紙を書き、私は真相と慈悲をみなこの小さな便箋に注ぎ、この手紙が迷っている生命を救い済度するように希望を託しました。

 五、同修間の大法の縁を大切にする

 生命の間には縁があり、さらに大法弟子の間にはもっと神聖な大法の縁があります。ここ数年、ある同修と一時期頻繁に接触しましたが、プロジェクトが終わった後、再会することができませんでした。ですから私はすべての大法弟子と過ごす日々を大切にしています。私たちはみな協力して美しい天国から世に下り、一緒にいる時は互いにアドバイスし、互いに促進し、互いに精進します。

 グループの中の1人の同修は、私とのつながりが深いのかもしれません。十数年前、その同修のことをまだあまりよく知らず、私を知っているおばさんが発正念の時、その同修の状況が非常に危険であることが見え、よくないいくつかの生命によって黒い泥沼でおぼれ死にそうになっていました。私は頻繁にその同修に会いに行き、その同修に会った後、その同修が同性愛者(実際には深い要因があった)であることがわかりました。そのため私はその同修と何度も交流し、その同修も努力して正しました。2年前、その同修の体は危機的状況に陥り、子宮筋腫がだんだん大きくなり、顔色がなくなり、全身が無力になりました。

 ある日、その同修が私に会い、その同修自身のこの数年の経験と心の中の考えを私に伝え、そこで私ははじめてその同修の状況が極めて危険であることがわかりました。いつでも旧勢力によって命を失う可能性がありました。その同修と交流した時、その同修の生命はなすすべもなくどうにもならなくなっており、心の最も深い部分で助けを求めていることを私は実感しました。私は法に則ってその同修と交流し、引き続き正念を発しました。その後、他の同修も一緒にその同修のために正念を発しました。私は全身に痛みと悪寒があり、邪悪が解体されていることを知りました。家に帰った後、高熱が出始め、全身が骨まで痛くなり、ベッドに横になりましたが、頭はとてもはっきりしており、ずっと正念を発し続けました。このようにして3~4日痛みましたが、正念はずっと中断せず、旧勢力による同修に対する邪悪な按排と試練を承認しませんでした。私は自分の体のつらさを考慮したことはなく、まるで自分と同修が一体であるかのように、共同で邪悪を消滅しました。5日目になって、体の痛みはだんだんと和らぎましたが、頭は痛くて切りさいなまれるようでしたが、私はまったく屈服せず、依然として絶えず正念を発し、夢の中でも正念を発しました。体はどこも痛くなくなり、邪悪は徹底的に解体されました。

 再びグループ学法を行なった時、グループの中で、私は今回の正邪の大戦の体験を交流しました。私はその同修に「師父はあなたのためにこれからの道を改めてくださいました、あなたは修煉しますか、それともやめますか?」と言うと、同修は大声で「修煉します!」と言いました。その同修が「修煉」という言葉を言い終わった途端、すぐに体を起こしてトイレに行き、二つの腫瘍が排出されました。時が1年以上過ぎ、その同修の修煉状態は上下し、精進しないために、旧勢力がその同修をつかんで離さず、子宮筋腫も再び大きくなり、それどころかさらに大きくなりました。少し前のある日、その同修は再び私と会い、再び私に心の声を打ち明け、まるで遺言を言い残しているかのようでした。その同修を見ると、私の心はきしみ、そして悲しみました。修煉の道は一人一人が自分で歩まなければならないのです。家に帰った後、私はずっと「私は他に何ができるだろうか?」と考えました。私は少し混乱しました。

 すると師父が「大法弟子は一つの全体である」と私を悟らせてくださいました。ちょうど師父の『カナダ法会へ』の新経文が発表され、「旧勢力は炎と血に満ちた邪悪をもって大法が乗り越えられないようにするつもりでした」という最初のお言葉を私が読んだ時、師父の法が深く私を震撼させました。この時師父は「大法弟子」ではなく「大法」とおっしゃり、私は自分がどのようにすべきなのかが急にわかりました。私たちはみな師父が選ばれた生命であり、すべての大法弟子は唯一無二であり、なくてはならないものであり、すべての大法弟子が歩む道で、正しく悟ったすべてが、ともに組み合わさったものが大法のこの世間での体現であり、すべての大法弟子は一体なのです。旧勢力が大法弟子を迫害する慣用的な手法は、まず同修を分離し、それから一人ずつ迫害し、その邪悪な目的を達成するのです。

 法理がわかった後、私はすぐにその同修に会いました。私がまだ話さないうちに、その同修が先に、最近その同修を大法弟子のグループから引きずり出そうとするエネルギーがありさらにその同修はだんだん誰とも接触したくなくなった、と私に伝えました。それは、私が法理を悟ったその日とほとんど同時期でした。邪悪は同修を閉じ込め、死に至らせようと考えていました。続いて、その同修の家で、その同修の母親と一緒に、私たちは3日間連続で毎時間正念を発しました。旧勢力の策略も私たちによって絶えず見抜かれ、旧勢力が按排した同性愛は悪縁にかこつけて同修を破滅させようとしており、今の女性の体で前世の借りを同修に返済させようとしており、同修に出生後の性別意識の混乱を引き起こし、多くの誤ったことをさせたのでした。私たちはすべてを徹底的に否定し、さらに上から下までこのことを按排した関連するすべての生命を解体しました。3日後、同修はずっと楽だと感じ、また以前のように学法や煉功をしたがらないこともなくなりました。私も同修が修煉しているかしていないか、精進しているかしていないかということに目を向けなくなり、私は旧勢力が按排したすべてを徹底的に否定し「同修は師父の弟子であり、誰も足を踏み入れることはできない」と、時間がある限り私は正念を発しました。

 またグループの中のある同修は、孫と孫娘を世話するために地方に行き、娘との間で激しく論争した後で地元に帰り、修煉状態が悪くなり、体はほとんど危篤状態になりました。その同修が私に会った時、歩くのも大変そうで、修煉者が常人の中で迷う苦しみ、精進したくても人間のことを放下することができない苦しみを私は体験しました。私はゆっくりとその同修と交流し、その同修が修煉の自信を取り戻し、本当の自分を見つけ出すように助け、さらにその同修と一緒に正念を発して旧勢力の干渉と妨害を除去しました。

 いつも正念を保つために、インターネットで明慧ネットを見るように私はその同修に提案しました。私はその同修のためにパソコンを買い、システムをインストールし、さらにその同修に段階的に使い方を教えました。その過程で私は背中が斧でたたき割られたかのように、特別痛く、寝る時に寝返りを打つのがとても困難で、発正念の時に腕を上げるのも骨をおりました。私の心はとてもはっきりしており、旧勢力は同修に修煉させまいと思っており、私は引き続き正念を発して邪悪を解体し、さまざまな人心や観念、業力などで組み合わされその同修をコントロールしている邪悪生命を解体しました。すぐに、同修の状態は調整され、とても精進し、毎日学法し、発正念をし、真相を伝えました。先月(訳注:2019年10月)、その同修の娘が2人の子供を連れて帰ってきて、娘がどのように困らせようと、その同修は自分の心性を守ることができ、娘と衝突しませんでした。この数カ月の着実な修煉を通して、その同修は「以前こんなにも長年にわたって内に向けて探すことを知らず、何事も他の人のあら捜しをし、他の人が私を傷つけていると思っていましたが、今私はやっとどのように内に向けて探すのかわかり、すべては私自身の問題であり、今私の一思一念をみな見逃さず、何か人心を見つけたら、すぐにその人心を消します」と言いました。同修が自信満々で、精進し着実に修煉しているのを見て、私は心からその同修のために喜びました。

 私が参加している学法グループには、年配の同修が比較的多く、年配の同修たちは落ち着いて「三つのこと」をしっかりと行ない、感動的な多くの体験に私は感動しました。これらの感動的な出来事を書いて、明慧ネットに投稿するように私は年配の同修たちを励まし、また明慧法会に積極的に参加するように勧めました。年配の同修たちは話すのはとてもうまいのですが、書く内容はわずかに一歩及ばず、ある文章は基本的に改めて整理して校正する必要があり(年配の同修たちが話す時、私はいつも真面目に聞いているので、話の過程はすべて理解している)、私は心を込めて校正した後、明慧ネットに投稿しました。時には文章一編を校正するのに何日もかかりますが、私は喜んで行ないました。年配の同修たちのわずかばかりの小さな物語はみな、同修が着実に修煉した後に得たものであり、みなとても貴重であると私は感じました。年配の同修たちの文章の中でいくつかの文章は明慧ネットにすぐに発表され、同修たちは励まされました。

 振り返ってみると、この二十数年はこんなにも貴重であり、私の一歩一歩にはみな師父の限りない慈悲とご加持が含まれており、師父に申し上げたい感謝の気持ちはあまりにも多すぎます。師父は「実は私は皆さん自身より皆さんのことを大事にしています。なぜなら、皆さんは師父と共におり、未来の最も偉大な神であり、新宇宙の模範、人類の未来の希望だからです」[6]と説かれました。

 法の中の限りない内涵は、私たちが着実に修煉する過程でのみ、その中のわずかなものを理解することができるのです。自分は法のためだけにここに生きているのではなく、もしかしたら私の最初の生命は今回の法を正すために生まれ、作られ、形成されたのだということを私は知っています。ゆっくりとした時間の大きな流れの中で、師父はいつも見守ってくださり、法を正す時期に鍛えられ成熟しました。弟子には恩返しする方法がなく、法の中の一微塵として、この人生で衆生を救い済度することを願っています。

 以上が私の個人的な次元における小さいわずかな経験ですが、次元に限りがありますので、妥当でないところがありましたら、ご指摘をお願いいたします。

 師父に感謝申し上げます!

 同修の皆さんに感謝いたします!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『カナダ法会へ』
 [6] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/6/395464.html)
 
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