年配同修の大きな慈悲の心を感じとる
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文/中国の大法弟子 清蓮

 【明慧日本2020年8月19日】2020年を迎えて以来、私は自分の修煉はシンプルになったと感じています。いつも、頭の中には雑念がなく、ただいくつかの文字があります。それは「多く学法し、しっかりと自分を修める。そして、たくさんの人を救う」ということです。

 数カ月前に、私は明慧ネットのある文章を読みました。ある年配の同修が警官により派出所まで連行されました。派出所で年配の同修は「すぐに、ご飯を用意してください」と警官に頼みました。警官は「他の者は派出所に来て何も食べないのだが、お前はどうしてご飯を食べたいのか?」と不思議そうに聞きました。年配の同修は「お腹が一杯になったら、人々に法輪功迫害の実態を伝えに行こうと思います」と笑顔で答えました。

 この同修の文章を読んだ後、しばらくの間、私の気持ちは平静ではいられませんでした。この年配の同修はどんな度胸があるのか? 警官を自分の親戚と見なし、派出所は自宅と見なすことが、なぜ出来るのか? 恐怖心や怨恨心も全くなく、自分のこの状況下でさえも思っていないのかも知れません。このような危ない境地に置かれていても、衆生のことだけを考えています。警官に連行されることは悪いことではなく、お祝い事のように見なしています。この同修は大法を学ぶことを通して慈悲心が生じて、無私無我の境地に達し、衆生の身の安全を最優先に考える偉大な生命になったのです。

 年配同修の慈悲なる心、そして、苦境に迫っている時の正しい念と正しい行ないを見て、私は自分と同修との間に、巨大な差があることに気づきました。その晩、私は夢を見ました。夢の中で年配同修の純粋な笑顔が再び浮かび上がりました。同修の笑顔を見て、私はこの同修は大法に基づいて修煉する中で、慈悲心が生じたためにこんな高い境地にまで達することができ、修煉者としての私はこのような慈悲心を備えるべきである、と考えました。その途端に私の体内では爆弾が炸裂したような轟音がして、よくない霊が壊滅したと実感しました。師父は私の体内のよくない生命を全部滅してくださいました。そのとき、私は慈悲の心が生まれ、穏やかな気持ちになれました。

 その後、私は自分の修煉状態を反省してみると、いろいろな執着心がありました。例えば、法輪功を迫害した中国共産党に対して怨恨心が生じたり、大法の真相が分からない人に対して闘争心があったり、特に師父に対して不敬な人に忍耐できなくなり、すぐに喧嘩をすることもありました。結果は一目瞭然です。人を救えるどころか、全くの逆効果で教訓も深刻です。私は絶えず学法を通して分かりました。この怨恨心は悪い心で、共産党文化です。中華の伝統文化「真・善・忍」とは相反しています。

 師父は「善は宇宙の特性の異なった次元、異なった空間での現れで、大覚者たちの基本的な本性でもあります。ですから、修煉者は必ず善を修めて、真・善・忍の宇宙の特性に同化しなければいけません」[1]と説かれました。もし、私たちが世の人はみな親戚とみなして心を開き、全ての生命を受け入れ、全ての衆生に対して親切に接することができれば、邪悪は自滅することになり、そして、私たちの神聖な誓約を果たすことが出来ると思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「善を説く」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/21/397249.html)
 
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