根本から 考え方を変えましょう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年7月27日】師父は、「『轉法輪』にしたがって修煉すれば、成就することができます」[1] と説かれました。大法への迫害が始まってから、私は人の観念で、「『轉法輪』の中には旧勢力のことは説かれてないのだから、どうやって師父がおっしゃられた通りに『轉法輪』に従って修煉するのだろうか?」と考えました。

 最近、『轉法輪』の第九講を暗記する時、「その人が宇宙の真・善・忍という特性に触れることができなくなったのです」[2] を読んで、師父は私にこの法のより一層高い次元の理を悟らせてくださいました。『轉法輪』の中で「旧勢力」について言及されていないという事は、私たちが如何なる環境の中でも「真・善・忍」という宇宙の最高特性に基づき、旧勢力であるかどうかは私たちにとって関係がないことだと分かりました。もし、私たちが旧勢力の按排に操られて、その按排の中に陥ったら、宇宙の「真・善・忍」の特性と隔離されます。修煉とは「真・善・忍」と同化することです。如何なる時間、如何なる環境であれ、私たちは宇宙の特性「真・善・忍」に従って行なえば、法に則っていることになります。師父は「完全に法に則っている人を誰もが動かすことができません」[3] と説かれました。

 宇宙の最高基準に従って行ない、新しい宇宙の大法と同化していれば、私たちは本当の家(天上の家)に戻ることが出来ます。師父は「もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行なってしまったことになります」[4] と説かれました。

 修煉に対して、時々刻々に師父の要求に従うことが出来ていないことによって、自分自身の各欲望や執着、闘争心、尊大な心、自己中心的な心、いろいろな党文化の要素、また人としての根本的な執着心を取り除いていないからこそ、業力や観念の妨害が現れてきます。師父が語られた「真・善・忍」の各次元の法理を完全に受け入れることが出来ていないからこそ、旧勢力は私たちに試煉という口実でもって、私たちの人心を利用して私たちを迫害します。

 私たちは残酷な迫害を受けて、習慣的に旧勢力の思惟に従って行なってしまいます。私たちには、すでに多くの強い「迫害を受けるべき」の思惟が形成されました。これらの思惟はすべて私たちに押し付けられたものなのです。これらの思惟により、私たちは旧勢力の思惟に従ったために、転ばされました。

 新宇宙の理は完全に無私無我で、他人のためのものです。そして私たちは「真・善・忍」に基づいて修煉しています。「真・善・忍」の宇宙大法の中に旧勢力がいますか? 新しい宇宙の中には、人を救い済度する神に対して試煉ということがありますか? 師父は私たちに刑務所や洗脳班などを按排されたことがありますか? 答えは「ない」です。判決や洗脳班、またいわゆる掃黒除悪(中国の街中で頻繁に見かけるスローガンで、黒を掃き、悪を除くの意味)などは、すべてが人間の次元のものです。私たちは「真・善・忍」の各次元の理に従ってしっかり修煉すれば、私たち大法弟子を迫害する能力がある者がどこにいますか?!

 旧勢力から押し付けられた迫害の思惟を取り除くことについて、私はずっとこれを重視しています。しかし、心の中で常に落ち着かないと感じており、どうやって迫害を否定するのかを考えています。このような思惟について、一層の次元で取り除いても、他の次元にまだまだあると感じています。その原因について、私は『大紀元会議での説法』を勉強して、これらの事が分かりました。師父は、「時に邪悪をきれいに取り除くことができないと感じ、なぜまた出てきたのかと思ってしまいます。確かに、皆さんの修煉が一日で圓満成就し、その場で佛になることができれば、それも修煉と言えなくなります。人間は現実の生活の中で形成された観念とそれらの良くないものをすぐに取り除きにくく、習慣になったものに関しては、その習慣を改めなければなりません。考え方がすでにそのようになっていれば、考え方からそれを正して、はじめて再び問題にならないのです。すでにきれいに取り除いたと言うのですが、確かに正念を発するとき、空間場まで光っていますが、終わるとすぐに常人の考えになってしまい、考えたこと、行なったことはまた元の基点に戻り、良くないものがまた生じます。場合によっては、正念を発するときの念も落ち着いておらず、正念を発して良くないものを取り除きながら、良くないものがまた同時に生じています。修めることはすなわち、自らを修めることで、実はこういうことです」[5] と説かれました。

 この説法について、私は自分がいつも習慣的に「旧宇宙の中で形成した自分を守る」思惟で物事を考えていることに気づきました。私はいつもどうやって酷い迫害を避けられるのか? どうやって否定するのかを考え、発正念が終わったら、このような考えがまた生成され、すでに習慣になりました。現実の中で生成した習慣的な思惟と常人の観念を徹底的に取り除くことついて、私はやるべきことだと思っており、新宇宙の基準「真・善・忍」にしっかり基づいて、物事を考えるべきだと思います。

 例えば、私は以前に残酷な迫害を受けたことがあります。不当に拘禁されて労働教養を強いられ、酷く拷問された後、私は自分を守るための思惟をたくさんまとめ上げました。私はマンションを買うために、いろいろとマンションを見回した時、いつも偽名とか、親戚の名前を使っていました。警官や街道町の委員が戸口調査をした時、私はいつも避けたいとか、或いは別の人の名前で登録していました。それは何かあったら、また迫害されるかもしれないという心配があるからです。刑務所に連行された時、いろいろな考えが現れ、「労働教養されるかどうか? 判決を受けるかどうか?」などでした。このような迫害を認める思惟があるため、またいろいろ人心があったからこそ、迫害されることになります。難儀を乗り越える時、人心を見つけて取り除くことができない場合、或いは正念で正しく対応できないことによって、迫害はもっと激化することになります。

 私は自分を正しい位置に置かず、自分を犯罪者の位置に置いて、恐れるとか、心配するとか、自分が本当の大法弟子であると見なさなかったのです。実はそのことが師父に対して大変不敬なことなのです。

 なぜ身分証、グリッドコンピューティング(中国ではネットワークを利用して、人を監視するのに用いる)、社会的な信用システム、監視制御などを利用して、大法弟子を迫害しているのでしょうか? 正念で否定する以外に私たちは迫害の中で形成された恐怖心、恨みの心理、また自分を被害者の立場に置き、外に出る時に泥棒のようにビクビクする、このような要素があったからこそ、邪悪生命に付け入れられる隙きを与えました。また、人間のいろいろな執着を放下できず、頭の中は、三界内の名、利、情や良い暮らしへの憧れがいっぱいである、という学習者もいます。迫害は人心によってもたらされてきたことです。私たちの心を法によって正せば、邪悪は自然に消えます。だから迫害されても、私たちは心を修めることについて力を入れ、正しくないことを正し、すべての人心を滅っすれば、迫害を振り切ることが出来ます。私たちの心性の向上は、旧勢力をめぐって修煉することでなく、法に則って向上すれば、旧勢力を振り切ることが必ず出来ます。

 以前は妨害があれば、これが旧勢力からの迫害で、すぐ発正念して否定していましたが、現在では私は徹底的に法に従って厳しく自分に要求し、心性の上で工夫して、すべての難関について、自然に解決できます。例えば、ある日、私の足が急に痛くなり、私はすぐに内に向けて探すと、自分はスタイルがいいと思っており、普段からショートスカートが好きです。これは現代人の変異した観念だと認識して、この観念を取り除くようにと考えた瞬間に、足の痛みが消えました。また数日前、私の数本の歯がグラグラして痛くて寝ることが出来ませんでしたが、この時、私は食品への執着を取り除くと歯の痛みが消え、しかも、丈夫になりました。

 もう一つあります。私の会社で私たち大法弟子が離職されるという話を聞きました。私は「これは私が法に対する信念が確固たるかどうかの試煉である」と思いました。私は法に則って、「師父はすべてのことを根本的に把握されており、師父がすべてを決められています。私は師父を固く信じて、如何なるマイナスの思惟をも除去します」と悟りました。結局、私の仕事はなくなるどころか、逆に給料などの面が改善されました。

 会社が昇進を評定する時に他の人は高級職や一級職などに評定されていましたが、私はまだ二級職の給料のままでした。最初の頃は心の中で少し不公平だと感じていました。同僚たちは、「君の学歴は大丈夫だが、私たちはお金で論文を買って、それから昇進の評定を受けました。君も論文を買えばいい」と私に言いました。私は修煉者の基準で自分を律し、見せかけなどは絶対にやりませんでした。親戚はコネを使って私を助けたいのですが、私は親戚に、「私は大法の修煉者なので、このようなことはしません」と話しました。私は昇進の評定について、旧勢力の私に対する迫害であると思わず、厳しく自分に向けて探し、多くの人心を取り除きました。どんなことでも、私は師父を固く信じて、絶対に良くないことを行ないませんでした。そして私のものなら、必ず私の所に戻って来ると思い、すべてを師父にお任せしました。これは師父を信じ、大法を信じることだと思います。

 その後、会社からの知らせがあり、私は昇進しました。同僚たちは非常に不思議だと思いました。彼らは昇進するためにいろいろな手段を使っても、昇進できない人もいます。私は何もしないのに、単純に自分の心性を向上させて自分を正しく律して、師父を信じて行動しただけで高級職に昇進しました。同僚たちからのお祝いの言葉を受け、それと同時に、彼らを三退させました。

 私が所在する省の疫病の蔓延は非常に深刻なもので、私のいる団地も厳しく封鎖されました。私は自分がしっかり行なっていないから、こんなに厳しく封鎖されていると思いました。そこで自分に、「必ずしっかり行ないます。外に出て人を救うことは大法の要求ですから、私は必ずこの基準に従って行ない、正々堂々と外に出ます。これは大法弟子の基準です。私の心の中に衆生を置いています」と言いました。すると奇跡が現れました。私が外に出てからは、私の所在する団地では身分証と出入り証を検査しなくなりました。他の団地はまだ厳しく封鎖され続けています。

 以前は妨害が現れたら、まず旧勢力を否定することだと思っていましたが、実はこれは旧勢力を逆に認めることになるのです。時々、自分を修めることをしないで、単純に旧勢力を否定するばかりでした。難関を乗り越える同修を助けた時も同様に、旧勢力を否定して迫害を認めず、自分に漏れがあっても迫害の口実になるのを許さず、これで自分を修めることを無視していました。

 新宇宙の大覚者の慈悲は完全に他人のため、完全に衆生のためのものです。私たちは正法の法理に従って修煉して、初めて新宇宙に入れます。そうでないと、その基準に達していません。

 今では問題が現れたら私はまず、師父がどのようにおっしゃっているのかと思い、それに従って行ないます。私が人を救うことを思った時、考えるのはこれは師父の要望なので、必ず最も慈悲なる心を持って人を救うことです。以前なら、人を救おうと考えた時に、まず思ったことは通報されないだろうか、強制連行されないだろうかをまず先に考えることが多かったのです。しかし今は良くない思想が現れた時には、すぐ除去しています。昔の習慣的な「迫害を恐れる」思惟は、別の次元ですでに解体したのだから、私への妨害はないので、私の心も落ち着き広くなっています。そして私は再び発正念する時には、自分が迫害されないための発正念はせずに、完全に衆生が救われるために発正念をします。それと同時に、法に合わない思想や私に押し付けられた人心、または観念、及び背後の要素を取り除きます。

 師父は、「しかし正真正銘の佛は宇宙の保護者であり、宇宙の全ての正の要素に責任を負うのです」[6] と説かれました。

 法に照らし合わせてしっかり行なえば、真に人を救え、真に旧宇宙の中に旧宇宙の理に従う各次元の生命をも救えます。これらの旧宇宙の生命は旧宇宙の理に従って、大法弟子に難を設けたもので、私たちは自分が迫害されないように、師父に私たちに難を設けたすべての生命を滅すように、と願うことはいけません。私たちが正しく行なえば、衆生が納得し、無量の衆生を救うことができるでしょう。

 今、衆生と直面する時、私は心からこの衆生が救われるため、この衆生を大切にし、しっかり行なえます。

 不適切なところがあれば、ぜひ、慈悲なる指摘お願いします。

  注:
  [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国首都法会での説法」
  [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
  [3] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
  [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨(三)』「考えをはっきりせよ」
  [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
  [6] 李洪志師父の著作:『導航』「米国西部法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/29/403099.html)
 
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