【明慧日本2020年8月19日】鄭元瑜さんは幼い頃から親や教師の期待の中で成長し、勉強や受験、卒業の全てが順調でした。彼は真面目で、責任感があり、品行も学力も優れており、最終的に厳しいトレーニングを終え、立派な医師になりました。
医師の道での困惑と思考
鄭さんはかつて台北荣民総医院感染症科の主治医、署立金門医院感染症科主治医として勤めており、多くの医療現場を経験し、いろいろな生死を見てきました。彼は肉体の死は誰もが避けられないとはっきり分かっています。しかし、生死の境目は神だけが一線を知っており、命を救い傷を治す白衣の医師であっても、人の運命をコントロールすることはできません。
彼は「病院で様々な立場の人たちを見てきましたが、中には長い間病魔に取りつかれ、体中にチューブが挿入され、肉体的にも精神的にも苦しんでいる人もいました。彼らを見ていると、世界に神様がいるとしたら、どうしてこんな風になるのだろうと考えてしまいます。私はしばしば憤りを感じながら、どうして神様はこのようにさせたのだろうと考えました。なぜあんなに惨めなんだろう。たとえ自分の生活は良くても、これらの不幸を目の当たりにすると嬉しくないし、心の中の慈悲よりも憤りの方が大きいのです」と言いました。
患者の苦痛は身をもって感じており、鄭さんは医学には限界があることははっきり分かっています。手術をしても悪性疾患が治らないこともあり、医療では元に戻らないこともあります。どんなに頑張っても数カ月の延命しかできないのです。「その時、私は死に対して不審な態度をとっており、運の悪い人はその運命によって惨めになることがあり、その恐怖と疑念は私の心に影を落とし、本当の安らぎを得ることができませんでした」
人は誰も必ず死に、例外はないのです。生命が終わりに近づき、全てに平然と直面するために、大事なこととは一体何でしょうか。
2010年、鄭さんは金門病院に赴任し、手厚い給料と落ち着いた環境、幸せな環境の中でこの世にいることの意味を考えさせられました。「昔はそれなりの生活をしていましたが、金門に来てからは間違いなく良くなりました。子供が生まれたことも良かったし、給料が倍増したのも良かったし、2匹の犬を飼ったことも良かったし、毎日ジョギングしたことも良かったし、ブランドの車に憧れたことも良かったし、全てが良くても心の中では『これではだめだ』と思いました。お金を稼ぎたくないわけでもなく、これらの社会的地位や家庭生活が欲しくないわけでもないのですが、自分の人生の最後の時、これらは人生の究極の追求ではないことを知ったからです」
幼い頃から鄭さんは、「シッダールタ王子は宮殿を抜け出し、初めて病人や老人及び死体を見て、疾病や老衰、死の苦しみを感じ、世俗的な生活には意味がないことを悟り、最終的には宮殿から逃げ出し、修行の道を歩み、数年後菩提樹の下で悟りを開いた」という釈迦牟尼の物語を知って何かを悟り、霊魂や宗教の書物を読むようになり、この時に法輪大法のことを知りました。
姉の奇跡を目の当たりにする
鄭さんが初めて法輪大法と出会ったのは彼に姉がいたからです。2009年11月23日、姉は盲腸炎の発作を起こし、病院で手術を受けることになりました。目が覚めた時にはほぼ麻痺状態で、目も開けられず、口も動かせず、聴覚だけが機能していました。医師の判断によると、姉は下垂体萎縮症を患い、自分で甲状腺ホルモンやアドレナリンを分泌することができず、ただステロイドと甲状腺の薬でしかコントロールできませんでした。
2012年7月、姉は重度な蜂窩織炎を患っていましたが、鄭さんは多くの異変を発見しました。「私自身も感染症の専門家なので、このような疾患の経験も多く、ただ専門的な視点から見ると、姉は発病から回復までの過程で、普通の患者さんとの違いが沢山ありました。それは特別な原因もないのに、両足が同時に発症し、もっとも痛みが強い状態が数時間で急激に激減することもありました。またこの病気が完治した後、今までのステロイドによる浮腫みが消えて、体力や精神状態も前より良くなりました」といいます。
鄭さんが不思議に思っている時に、姉は自分で7月初旬から法輪功の修煉を始め、それから1カ月以上下垂体萎縮症や蜂窩織炎の治療薬を止めていたと言いました。「医者として、私は今までの医学の常識では姉の状況を説明できません。しかも、彼女は確かに健康面や精神面で前より良くなりました」
中山大学管理学院陽朔英教授の推薦で、鄭さんは法輪功を更に理解するようになりました。「病気治療」は法輪功修煉者が高い次元に到達する前に必要な基本的状態にすぎず、更なる高次元への突破が、正に彼が求めていた人生の目標ではありませんか。
「法輪功の功法を習った日の夕方から、私は発熱の症状が出始め、熱がまる1日続き、『轉法輪』の本に書かれていた体を浄化する状態と同じで、姉も修煉し始めた時も同じ状態でした。私は子供の頃体調が悪かったので、病気の辛さを良く知っていましたが、その日はとても気分が良く、頭がすっきりし、長年の関節痛も消えました。大法はとても奇跡的だと思います。私は医者ですが、人間の体に熱が出ているのに、すっきりしていると言うことはあり得ないことだと分かっており、これは確かに奇跡です」
鄭さんは子供の頃、病弱で喘息や風邪で学校を休むことが多く、大学の時は変な関節痛を患いました。「当時心身のストレスが一定のレベルに達したり、睡眠不足になると指、手首、膝、足の指などに発作が起き、痛みで動けずベットに倒れこみ、大小数百回の発作が起きていました。その後病院で採血すると、「再発性リウマチ」(Palindromic rheumatism)と診断されました。これは自分の関節を破壊し自身の免疫が原因で起こる現象で、治療法はありません」
丈夫な身体を作るために、鄭さんはジョギングを試しに始めましたが、徐々に楽しくなり、老いるまで走ろうと思っていましたが、法輪功が彼の西洋医学の世界で築き上げた観念を覆し、まったく新しい体験をもたらしてくれるとは想像もしていませんでした。
「私は超常現象が存在していることに気づき、修煉を始めたばかりの体の浄化から、坐禅の時の殊勝さは他の方法では到達できない状態です。現在、科学で解明されていない分野が法輪大法の修煉によって直接検証されました。この過程は少しドラマチックな話になるかもしれませんが、実際には物質レベルでの変化を生み出しています。私は体のエネルギーが浄化され、上昇していくのを感じ、自分の中に帰属意識や平静さを見つけました。心身の変化のレベルは、今まで各種の健康促進や内心の昇華のために触れて来たどの方法より遥かに超えていました。これらの急速な変化により、私は今まで運動に費やしていた時間を全部法輪大法の修煉に使うようにしました」
鄭医師は『轉法輪』が自分の人生で最も重要な本だと述べた |
生命の本質的な変化
鄭さんの思想境地が上昇すると、性格はより楽観的で、誠実で、寛容になりました。「以前は損をすることは利をとること」といって慰めていましたが、いざそうなってしまうとやはり怒りがこみ上げてきます。善意をつくしても患者さんに責められるという不平不満が、長年の医師の生涯でマイナス情緒を積み重ねてきたので、心のバランスを取るのが難しいのです。しかし『轉法輪』を読んだ後、大法の法理は、悲しみとか怒りのような葛藤に遭遇する時、まったく違う心性反応を与えていることが分かります」
「客観的に見ても、鼓動も呼吸も安定していて、私が受けた傷は恨むことなく、つまり我慢して腹に飲み込んでいるわけではないのですが、私の容量は確実に拡大し、どんな患者さんであっても、どんなことが起きても、ポジティブな冷静さと他人のためになる考え方で向き合うことができるようになってきていることに気づきました。実は私は大法によって本当に変わり、『轉法輪』の法理によって変えられました」
もし大法を修煉していなかったら、このような生き方があるとは知らなかったと鄭さんは言いました。「損得を計算し、利益の追求と平穏なバランスをとることに長けている私にとって、師父がいろいろな人や物事を通して常に使命と責任感を呼び起こし、もっとも価値ある修煉の道に導かれ、人生の真の美しさを感じさせていただいたことに心より感謝しています」
もし大法を修煉していなかったら、このような生き方があるとは知らなかったと鄭さんは言います。
鄭さん一家は法輪大法の素晴らしさを実感している |
鄭さんは、「皆さんに『轉法輪』を読んで頂きたいのです。法輪大法は非常に素晴らしい高徳な大法であり、誰でもどんな理由でも修煉ができるのです。体調が悪くても、辛いことがあっても、多くの困難に直面しても、どんな目的で入ったとしても、大法の要求に従い、自分の本質に戻る道を歩めば、人生で得られる利益以上のものを得ることができるのです」といい、それは人生での思いがけない境地だといいます。