文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年9月15日】師父は「人間の佛性とは善であり、慈悲として現れ、何かをするときにまず人に配慮し、苦痛に耐えられることとして現れるものです。人の魔性とは悪であり、殺生、盗み、利己、邪念、悪事をそそのかすこと、デマの煽動、嫉妬、悪らつなこと、発狂、怠惰、乱倫等々として現れるのです」[1]と説かれました。
昔は、怠惰は魔性であるとわかっていても、真面目に対処していたわけではなく、意図的に取り除いたわけでもありません。以前は、「楽をすることは大した問題ではない」と思っていたのですが、だんだんと「怠惰」に変わっていき、それが私生活と修煉の中に現れてきました。生活の中で近道をする、お手盛をする、苦しみに耐えたくない、機会を見てうまく立ち回る、食いしん坊の怠け者、いつも家族のために何かおいしいものを作ってみようと考えている、暇な時にいつもスナックを食べる等々が見受けられます。大切な用事をやり終えたら休憩を取る、しばらく横になり海外のニュースを見て、そのうちにまた料理番組を見るようになり、知らないうちに多くの時間を無駄にして、徐々に精進しなくなることさえあり、これらの事に気づいていなかったのです。「安逸心」と「怠惰な心」があったため三つのこともうまくいかず、法の勉強は単なる形式的なものにしか見えず、功を煉ることも三日坊主になってしまい、だんだんと肌色が白くて、身体は太っていきました。
先日、ある同修夫婦の家に行き、肥満と怠惰について話していたところ、男性の同修から「第二式の功法を煉る時間が足りないのではないか」と聞かれました。 私は驚きました。 同修に「五式の功法、特に第二式の功法を1時間しっかりと煉っていれば、体は太らないし、ましてやお腹も出ない」と言われました。以前はこの同修もとても太っていたため、最新版の第二式の煉功音楽が出てからは、毎日1時間の第二式の功法を行い、元々太っていた体型が短期間で痩せ、ビヤ樽のようなお腹も引っ込んだそうです。この同修は「あなたはちょっと太っているので、多分しっかり功を煉っていないのかもしれません。以前のあなたの事をよく知らないし、この話をしたら受け入れてくれないのではと心配して、今まで何も言わなかったのですが、今日のこの話題になったのでやっと話せました」。今、時間があれば第五式と第二式の功法を2時間ずつ煉るようになり、時には大汗をかくこともあるが、あきらめずに行うことを話してくれました。同修たちとの交流を通して、私と同修たちは修煉における差異が大きいと気づき、恥ずかしいと思ました。
私は同修たちの交流に感謝し、怠惰な心と安逸心を真剣に受け止めるようになりました。私はこれらの魔性に支配されてはいけません。このようなものを真剣に取り除かれなければならないのです。私は実行することにしました。自分のための口実を探さず、辛い徒歩への恐怖心もなくなりました。まず、長距離でなければ車を運転せず、電動バイクにも乗らないと決めました。私は歩きながら、法輪功迫害の実態の資料を配り、法輪功のシールを貼り付けることが出来ると分かっています。そこで、必ず安逸心と怠惰な心の魔性を取り除く必要があります。同時に自分の食生活を控えることにし、せいぜい1日2食にし、夜はほとんど食べず、本当にお腹が空くと少量の果物やキュウリ、柿などを食べてしのぎ、たったの3日で体重の2〜2.5キロ落としました。すると体が本当に楽になりました。
私がこれを実行した翌日の夜に、はっきりとした夢を見たのを覚えています。夢の中で腕の外側に肉眼では見えないほどの細長い黒いミミズ2匹をピンセットで取り除きました。きっと慈悲深い師父が私のために取ってくださったに違いないと思いました。夢から覚めた私の目には涙が溢れていました。自分のほんの少しの行動でも、師父は私のために、私の体に隠れていた汚れたものを取り除いてくださったのです。
師父は「現在、旧勢力は直接、大法弟子を迫害する勇気がなく、形のある大きな生命もこのようにする勇気はありません。今、どういうものが大法弟子を迫害しているのですか? 虫の類のものや細菌などめちゃくちゃなものばかりです。正念を発することは非常に有効なのです! 正念を発すると、一面また一面と滅されてしまいます。しかし、たくさんおり、宇宙はとてつもなく広いので、しかも宇宙に多くの次元があり、滅されても、そうは経たないうちにまた滲み出てきます。来たら、また滅すれば良いのです。このように絶えず正念を発し、しばらく続けると、はっきりした効果が現れてきます。正念を発してしばらく良くなったのですが、また悪化したら、自信を失ってしまう人がいます。あなたに教えますが、旧勢力はこのやり方であなたの意志を消耗させており、あなたの確固たる信念を消耗させています。皆さんはこれらのことに気をつけてください」[2]と説かれました。
もう、自分に言い訳をするのをやめました。毎日第二式の功法の1時間を煉ることにしました。そういえば、「頭の前で法輪を抱えた」ときに、心の中で法輪が回転する回数を確認すると、まだ天目が開いていないのに右回りしたり、左回りしたりする法輪の回転をはっきりと感じることができ、思わず涙がこぼれました。
師父は「大法弟子は師が衆生を救うことを手伝うという責任を持って世に降りた神であり、下界の衆生を救い済度する責任があるのです。個人の修煉が良くできなくても問題がなく、歴史上の修煉方法と同じだと思い、そのためあまり精進していない人、修煉しているようで実はしていない人がいます。しかし、考えたことがありますか? この世に来た時、かつて私と誓約を交わしたのです。それらの衆生を救い済度すると誓ったから大法弟子になれて、このことを行なうことができたのですが、あなたは誓約を果たしていません。あなたは誓約を全部果たしていません。あなたが受け持つ背後の、あなたに割り当てられたそれらの数え切れない衆生、厖大な生命群でさえ救い済度することができなければ、それはどういうことですか?! 単なる修煉が精進していないだけの問題でしょうか? それは極めて極めて大きな犯罪です! 罪はこの上なく大きいのです! 最後のとき師父のところに来て、『師父、私は修煉が良くできませんでした』と言えば済む問題ですか? あなたを見逃す者がいるのですか? それらの旧勢力はあなたを見逃すのですか? なんと厳しい問題でしょう?!」[3]と説かれました。
今まで私は精進しょうと思っても、持続することが出来ませんでした。おそらく、私がまだ向上しようとする心を持っていたため、師父は私に精進している同修たちと接触する機会を与えてくださり、修煉の厳粛さを認識させてくださいました。歴史の中でこの最後の最も重要なこの瞬間に、絶対に安逸心と怠惰な心を排除しなければなりません。私達大法弟子は三つのことをよく行って、大法弟子の称号に背かないように、衆生の熱烈な期待に背かないように精進していきましょう。
ちょっとした経験を書き出したので、適当でない所があれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。私達は一緒に向上していきましょう。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性と魔性」
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
[3] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』