大法弟子は恐れる必要はない
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月19日】私は実名で2015年に「江沢民告訴」を行ない身分が明らかになって以来、時折、上司や地元の国家安全保障局から、「転向」や「教育指導」の名目による嫌がらせを受けてきました。このような状況に遭う度に、恐怖心も引き起こされました。時に、その場では怖がらなかったのですが、後で思い起こして怖くなることもありました。

 ある日、自分が恐れていないことを証明するために、思い切って彼らに会いに行き真相を伝えようと考えました。しかしその時は、人為的に恐怖心を取り除く行為が間違いだと気づくことが出来なかったため、結果的に相手の悪い考えを払いのけるどころか、彼らの話に返す言葉もないほどでした。法を実証できないだけでなく、警官らに口による業を造らせてしまいました。

 家に帰ると、自分があまりにも臆病で無能だと思い、悔しくて恥ずかしくて仕方がありませんでした。その後、暫くの間、私は恐怖心に怯えて電話が鳴っても、見知らぬ電話番号からの着信があっても、家の前で異音がしても、パトカーが見えても……とにかく怖くてなりませんでした。その間、恐怖心を取り除こうと発正念をして、恐れてはならないと自分に言い聞かせましたが、あまり効果がありませんでした。

 結局は学法を通じて、私を怖がらせる物質を少しずつ取り除いていきました。最も印象深かったのは、師父が「法輪大法には、間違った方向へずれることから学習者を守る力があります。どのように守るのでしょうか? あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1] とおっしゃる部分を読んだ時、私ははっと気づかされて心が温かくなり、他の空間にある恐怖心を表す山がひび割れるのを感じました。

 学法すればするほど私は正念が強くなり、頭も冴えてきて、「主意識を強くもつべし」[1] の章を学ぶ時、私はほぼ完全に目が覚めました。

 実は、ずっと恐れを感じていたのは本当の私ではなく、後天的な観念と業力によって形成された偽の私であるとわかりました。それらの悪い考え、特にマイナス思考は、旧勢力が押し付けてきた思想業であるかもしれませんが、いずれにしても、それが先天の真の自分ではなく、師父が望まれる私のあるべき姿でもないでしょう。このことに気づいてから恐怖心を取り除くと、随分しやすくなって、『轉法輪』の第九講を学ぶ頃には、恐れるようなマイナス思考はほとんどなくなっていました。 今思えば、当時は自分自身をあまりにも小さく見すぎて、よくないもの(邪悪、業力、執着)を大きく見すぎていたのでした。

 最近、また私に「転向」と修煉の放棄を目的とする談話が持ちかけられました。今回、私は誰かを納得させようとか、自分が怖がっていないことを証明しようとか、あまり多く考えませんでした。ただ一つ、誰が何度聞いても、何を聞かれても、決して師父と大法を裏切らないという一念がありました。そして、彼らに真相を分からせ、彼らが再び罪を犯さないようにする智慧と力を下さるよう、師父にお願いしました。

 今回、談話の結果は以前とあまり変わらず、相手を説得できなかったのですが、私自身の心構えが大分違っていました。私は談話を「嫌がらせ」だと思わず、恐れる心もなく、却って多くの収穫を得ました。

 まず、私は師父が仰った「逆手に取る」[2] という法理をようやく少し理解できるようになりました。以前、私は師父のこのお言葉の意味がよく分からず、「旧勢力を完全に否定する」や「真っ先に内に向けて探す」との関係をどう捉えるべきかにさえ、戸惑いを感じていました。

 私は数年前に修煉を始めたので、まだ人間としての執着が多く、葛藤や魔難に遭った際、どれが師父の按排なのか、どれが邪悪の手配なのか見分けることが出来ませんでした。今回の話し合いの中でも、「三書」を書かず、「転向」をしなければ、連行されて洗脳班に送られるかもしれないと脅されました。私はその場で「善悪には報いがあり、天による裁きが存在すると私は信じています。私の行くべきところでなければ行くことはありません」と言いました。その時、私が考えていたのは、大法の師父が全てを掌っておられますので、あなたたちの言うことには耳を傾ける必要はないということでした。

 その後、『西遊記』のあるエピソードが頭に浮かんできました。三蔵法師は毎回妖怪に捕まり、「お前を食ってしまうぞ」と言われるのですが、彼が恐れるかどうかをみていたのでした。しかも、金角と銀角に捕らえられた時、「聖典を取りに天竺に行かなければ釈放してあげるが、そうでなければお前を食べてしまう」と、誘惑までされました。実際、これは観音菩薩が太上老君の弟子を通じて、三蔵法師が佛を拝み、聖典を求める志の強さを試すものでした。さらに、太上老君は金角に「彼が天竺へ行かない(つまり、修煉を放棄する)と言い出したら、彼を食べてもよい」と言い、三蔵法師が佛を拝みに行く決心がある限り、「妖怪」たちは彼に手を出してはいけないと指示しました。また、三蔵法師が天竺に聖典を取りに行く限り、孫悟空とその一行は彼を保護し、彼を救出するように命じられていました。

 自分の身に起きていることを考えてみると、これらの邪悪による繰り返しの「転向」や「解放」の働きは、本質的には強要と誘惑を併用し、私に修煉を放棄させようとしているだけなのです。 彼らは私が彼らの唱えている、いわゆる社会の安全や安定の脅威にならないと知っていながら、とにかくあらゆる手腕を使い、私が師父と大法を裏切るように仕向けるのです。これは邪悪の企みであり、私は当然、騙されてはいけません。

 旧勢力には大法弟子を試す資格がないと私は分かっています。これらのプレッシャーを前にして、私が大法を堅く信じているかどうか試されているのかもしれません! 私も三蔵法師のように、いつでもどこでも、どんな困難や危険に直面しても、常に修煉の意志をしっかりと持つべきだと思いました。

 幸いなことに、私には常に見守って下さる師父がいらっしゃる上、神々によるご加持もあり、さらに自分の修煉によって出来ている一面と、能力がある分かっている一面もあるので、まだ何を恐れるのでしょうか? このすべての障害物は、私自身が設けたものではないでしょうか? まさに師父がおっしゃる通りです。「それらの難はもとよりあなた自身が持っているもので、われわれはあなたの心性を高めるためにそれらを利用するのですが、いずれも乗り越えられるようにしてあります。あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです。したがって今後、何かトラブルに遭遇した時は、それを偶然なことだと考えてはなりません」[1]

 私たちが遭遇する魔難はどのような形でも、結局のところ、私たちが乗り越えなければならない関であり、旧勢力であろうと邪悪であろうと、関であれば乗り越えなければならず、業であれば消さなければなりません(耐えるのではなく、取り除くのです)。つまり、それがどんなに強力に見えても、どんなに高くて偉大な神であっても、それらはすべて師父に掌握されているのです。私たちが乗り越えようと思えば、乗り越えることができます。 肝心なのは、自分が心を正しく持っているかどうかであり、人心の邪魔がない限り、師父は必ず最善になるようにして下さるのです。

 実質、衆生を救うことは師父がされており、私たちの真相伝えにも師父の按排があり、同時に私たちが執着を取り除き、大法弟子としての威徳を成就できるように按排されているのです。師父は『轉法輪』を中心に修めるよう繰り返し強調されています。そこには、旧勢力や衆生を救うこと、真相を伝えることに関する法理が表面的には言及されていませんが、すべてが網羅されていることを悟りました。

 また、今回の談話を通じて、私はあることに気づきました。それは、中国共産邪党は法輪功学習者が社会に害を与えず、悪いことをせず、法輪功が邪教ではなく、政治に参与することは決してないことを十分に知りつつ、それでも余力を残すことなく迫害を決行した本当の理由は、法輪功がその根本となるところに触れたと感じ、怖くて理智を失い、狂ったように弾圧と迫害に走り出したのです。

 法輪大法は正法であり、中共邪党は邪悪なので、古来より悪が勝つことはなかったのです。しかも、師父は法を正されており、宇宙のすべての正しくないものを正されているので、それらは恐れないはずがないでしょう。正しい念を持ち、正しく行動していけば、大法弟子は恐れる必要はありません。恐れているのはそれらの邪悪なのです。

 最後に、談話中の自分が以前と少し違い、相手をひたすら排斥したり、対立姿勢を取ったりしなくなったと感じました。以前の私は彼らを「邪悪」としか思っておらず、耳を貸さずに発正念ばかりしていて、何の効果もありませんでした。今回、私は彼らの無力さ、立場の難しさが分かりました。最も下層にいる迫害の実行者として、彼らも中共邪党に脅迫され、拉致されたようなものです。

 そして、私は真に師父のおっしゃった「邪悪の首魁を除けば、実は迫害の参与者自身も迫害の対象になっているのではありませんか?」 [3] が分かりました。

 彼らに対して、私は初めて心底から慈悲と同情を感じました。しかし、残念で情けないことに、私には彼らの毒害を取り除く力があまりないため、彼らに真相を聞いてもらうことができませんでした。

 そこから、私は本当に修煉に励み、これ以上時間を無駄にせず、快適さや安逸心に駆られず、常人のそれらの執着にしがみついてはいけないと自分に言い聞かせました。自分の次元を向上させていかなければ、彼らや他の縁のある人々を救うことができず、大法弟子としての役割を果たせず、誓約や使命を果たすこともできません。

 個人的な体験に過ぎず、妥当でない部分があれば、ご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一二年米国首都国際法会での説法
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/15/411816.html)
 
関連文章