プラス思考で常人社会の修煉環境を見る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年4月10日】私たちの修煉環境はすべてのこの常人社会であることは以前からも知っていましたが、その内包における理解は浅はかでした。最近、法の勉強と実践を続ける中で、私たちの修煉環境についてより深く理解するようになりました。

 私たちは、常人社会にいて、いつも常人と同じように考え、行動しています。 私たちは、ここの常人社会で作り出された虚像に簡単に流され、その虚像が現れた本当の目的が何であるかを知らずに、それに因われ、妨害を受けてしまい、堕落した常人社会の社会現象を常に口にして責め立てています。常人社会を自分の修煉環境と見做すことができず、向上できる機会をたくさん失いました。

 今、ウイルスの蔓延状況の深刻化につれて、リモートで生徒たちに授業を行っています。生徒の宿題を携帯電話で添削しているのですが、授業中に要点をマークしていない子もいました。この問題に対して、以前は授業中にその生徒に「よく聞いていない」と批判していたのですが、今はこの点について、もっと前向きに自分の考えを見直していこうと思いました。生徒たちは「よく聞いていない」のではなく、良く聞こえてなかったのだと考えればよいのです。 次のレッスンでは、生徒のせいにするのではなく、授業の内容をもっとゆっくり話したり、繰り返したりして、生徒たちを変えるのではなく自分を変える必要があると思いました。

 宿題を添削した後、私は心にある疑問を抱きました。それは、私がいつも抱いている疑問です。私は毎日、生徒の様々な言動に直面しています。良いこともあれば悪いこともあります。どうすれば、良いことと悪いことの中から脱逸することができるのでしょうか? つまり、どうすれば自分は情というものから一歩踏み出すことができるのでしょうか。

 後に法を学んで知ったのですが、師父は「常人社会の人々はあなたに修煉の機会を提供し、トラブルや苦痛をもたらしますが、あなたはその中から向上し、業を滅するのです。一つ一つの関をきちんと乗り越え、あなたは昇華していくはずです。ですから、私たちの環境は破壊してはいけないのです」[1]と説かれました。

 私はふと悟りました。自分の修養環境を破壊することはできないので、常人の次元で生徒たちの良いことと悪いことに直面した時に常人と同じ次元から判断してはなりません。それは彼らが作ってくれた修養環境なので、どの生徒が良くてどの生徒が悪いと非難するのではなく、逆に彼らが現した環境を通して自分を修め、自分を向上させるべきなのだと思います。 私たちの法に対する理解の向上が、周囲の環境に影響を与え、変えていくのであって、周囲の環境が私たちに干渉したり、影響を与えたりするのではありません。

 それに気づいたとき、先ほどグループでテレビ会議をしていたとき、チームメートが堂々としゃべっている姿がまるで主役のようで、自分は取り残されているような気がして、喪失感が襲ってきたことを思い出しました。 今思うと、彼らが作り出した状況は、私がそこから修煉し、超越し、良くない執着心を取り除き、虚栄心、人に好かれたい、尊敬されたい、囲まれたいというような執着心をなくすための方法だったのです。そうなると、チームメートたちの無関心を恨むどころか、むしろ本当に感謝しなければなりません。

 師父の導きのおかげで、今は心が晴れやかになっています。 常人の環境の中でしっかり修煉し、この環境を利用して、自分を修めると同時に世の人々を救い済度できます。

 上記は、私個人の修煉上の理解であり、法に則っていない点があれば、同修の慈悲なるご叱正をいただければ幸いです。 合十

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『カナダ法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/7/440948.html)
 
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