自己顕示と満足できない心について語る
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文/海外大法弟子 

 【明慧日本2024年3月6日】昨年、中国本土の宮玉博さん(以下、宮さん)が、自らの発言で中国共産党当局に不法に連行されたと明慧ネットで報じられました。この件は特別の例に見えますが、実際には大法の中で名声と人情を求める人たちの代表例でもあります。本日は、修煉の面からこの件について述べてみたいと思います。

 現地の同修が発表した迫害報道の中で、宮さんがどのウェブサイトで、どのペンネームを使って、どの文章を発表したのか、ずらりと記されていました。 彼自身も、普段から自分がどの記事を書いたのか、どの海外サイトで発表されたのかを同修の間で言いふらしていました。連行された後、これを宣伝する人もいました。私に言わせれば、これらの行動は人心が強すぎるのではないでしょうか。「言論の自由が有罪判決を受けた」と報じられたが、実際は口を修めないことから招いた典型的なケースではないかと思いました。

 しかも、宮さんだけではなく、一部の同修も同じです。いったん記事が掲載されると、すぐに言いふらして、自分が有能な者だと顕示するのです。それは、修煉者の中で名声を求める行動ではないでしょうか。

 遼寧省特派員の報道によれば、宮さんは高校卒業です。1978年12月20日に黒龍江省ハルビン市で生まれ、迫害される前は遼寧省胡蘆島市に住んでいました。

 大法弟子はみんな非常に高い次元から下りてきましたが、今生、人間で生まれた身分と社会的地位はほとんど低い者ばかりです。このような状態は、不自由なく安全に過ごすことができるし、平常心でいられるからなのです。しかし、人と比べ合い、凡人でいたくない心があれば、満足できない心や有名になりたい願望が次第に強くなるのです。

 しかも、中国本土で一人の高卒の人が、あちらこちらで自分が海外のウエブサイトに200数篇の文章を発表したと宣伝すれば、常人はどう思うのでしょうか? 「君はすごいよ!」 「良かったね!」と思うのか? それとも、嫉妬するのか? または憎むのでしょうか?

 大法弟子であればなおさら、中共の秘密工作員や法輪功を迫害することによって昇進したい人たちが見たら、どうするのでしょうか? あなた達を調査するのに大変な労力がいるのに、自ら暴露したとは、相手にちょうどよい口実を与えたのではないでしょうか? その上旧勢力もいて、彼らはどうするのでしょうか。

 しかし、宮さんは2001年4月に発表した声明文の中で、邪悪に妥協することによって自分の修煉に大きな損失を及ぼしたことや大法の名誉に損失を与えたこと、新たに修煉し損失を補うことを一言も言及せず、ただ「大法を最後まで修煉する心を変えることはない」と言っただけでした。

 そのため2010年1月29日、彼はまた他の数人と中共当局に連行され、2022年1月21日にも連行されました。この教訓から、当事者は何を悟ったのでしょうか?  心性を修めたのでしょうか?

 史料によると、古代の多くの皇帝は佛教や道教を信仰し、中には修行の道に入った人もいました。唐太宗は、「出家することは偉人の行為であり、皇帝や将軍が簡単にできることではない」と言いました。釈迦牟尼は道を求めるため、断固として王位と財産を放棄しました。明朝にも佛教や道教を信仰する皇帝が何人もいました。

 かつて、私たちは法を得るために、師父に従って人間の世界に降りて、皇帝や王族、富豪などの有名人に生まれ変わりました。今日、やっと修煉できるようになって、かえって平凡な家に生まれたことを残念に思う人がいて、過去の自分が誰であったかを想像し、現世での生活の中での寂しさや不本意な心を満足させるのです。これは修煉者が追い求めるべきことなのでしょうか? 修煉の目的に背くのではないでしょうか?

 修煉体験を分かち合う目的は、共に精進するためですが、もし自分を主張するためであれば、悪いことを招いてしまうかもしれません。ゆえに、中国のような厳しい環境の中で、宮さんと同じような心と行動をする同修がいれば、ぜひ教訓を得ることを願います。

 大法弟子は、師父と修煉するために来ました。厳しい試練の中で私たちは、より一層心を修め、心性を高めるべきです。

 以上は、現時点での個人的なわずかな認識です。ここに書き出して同修と交流したいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/24/473556.html)
 
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