【明慧日本2012年11月10日】河北省唐海県に住む商人で、法輪功修煉者の鄭祥星さんは今年2月25日、中共(中国共産党)唐山市警察に強制連行された後、3千人の地元民衆が自らの署名と拇印をもって鄭さんの解放を強く要求した。しかし、当局は鄭さんに対して懲役10年の不当判決を言い渡し、民意を無視して法律を踏みにじんだ行為を取った。鄭さんが保定刑務所で不当に監禁されている間、迫害され脳内出血を起こした。保定刑務所第一中心病院は家族の立会いがない状況下で、鄭さんに対して頭蓋骨を摘出する脳手術を施した。鄭さんは未だに意識不明で危篤状態が続いており、これ以上の治療を断念するようにと保定第一病院側に通知された。
鄭祥星さん
10月28日朝8時、保定刑務所側は慌てて、家族を迎えるために唐山市唐海県にある鄭さんの自宅に駆け込んだ。10月26日午後、鄭さんが転倒した原因で頭部に深刻なうっ血があり、やむを得ず脳手術をしたと刑務所側から知らされた。刑務所に提供されたビデオによると、26日の夜、鄭さんはトイレに行く時に3回も嘔吐していた。再びトイレに行こうとしたところ体力がついていけず転倒してしまったことが分かった。鄭さんは翌日の27日午前11時過ぎに保定第一中心病院に搬送された。その時はすでに瞳孔が開き、排泄物を失禁している状態だった。治療は15時間もの遅延された。
鄭さんの頭蓋骨の左右一枚ずつが摘出された。「脳内圧力を軽減するために頭蓋骨を摘出した」との病院側の口実だったが、100mlも脳内出血した直接の原因となっていた左側頭蓋骨にあった断裂は強い衝撃によるものだと判断されている。分析によると鄭さんの左側頭蓋骨にあった断裂は転倒する前からあった可能性が高い。鄭さんがトイレに行く時に何度も嘔吐したのは脳内出血が原因で、脳内の血圧が高まることによって引き起こされた症状だと思われる。転倒した際はでん部が先に着いた後で後頭部が地面に着いたので、頭蓋骨にあった断裂の直接的な原因とは考えにくい。本当にそうだとしても位置は後頭部のはずだ。
鄭さんは現在、危険な状態にあるため家族は鄭さんの自宅静養を求めた。しかし、それでも刑務所側は許可しなかった。病院の周囲は厳重警備で唐山市の警察、検察、裁判所が全て現場に揃い、病院内にたくさんの私服警官を配備し、物々しい雰囲気であった。外から家族の電話に繋がらないよう通信も封鎖された。
鄭さんは唐海県十農場場部の家電製品小売店のオーナーだった。夫婦は正直な経営方針で、購入した商品すべてを無償で自宅まで届けるなどの心遣いは大変評判がよかった。例えば、テレビを購入した後、顧客が満足するまで取り付けや設定などのサービスを充実させた。誠実と信用をもって経営しているため商売繁盛だった。地元では電動自転車と冷蔵庫を買うなら鄭さんのお店だと定番になっている。また、無償で自転車を修理するなど思い遣るサービスを提供しており、「鄭さんのお店は安心して買い物できる」と周囲から認められていた。
今年2月25日の早朝6時過ぎ、女性警察が電動自転車を修理するという嘘の理由で鄭さんにドアを開けさせた後、唐海県国家保安大隊の隊長、十農場交番の所長ら十数人の警官が鄭さんを強制連行した。鄭さんのお店にあった物品は警官らに持ち去られた。民衆は「スーパーチンピラだ」と憤りを表した。
鄭祥星さんの解放を要求し、地元の民衆が署名と拇印を押した書簡
562人の地元民衆は署名と拇印をもって、「真・善・忍 」を行いの基準にしている善良な鄭さんを一刻も早く解放するよう強く要求した。国内、海外に大きな影響を及ぼした。唐山市と秦皇島の二つの県の八つの郷鎮合わせて1200人余りの民衆が、鄭さんが危篤に陥るまで迫害されたことを聞き、再び連名で当局の釈放を強く要求した。何としても無実の鄭さんを罪に陥れようとしている当局に対して、唐山市の一つの県の六つの郷鎮合わせて979人の民衆は再び連名で即刻無条件で鄭さんを解放するよう応援の手を差し伸べた。
裁判所は、強引に鄭さんに懲役年の不当判決を言い渡した。「この共産党はどうかしている」「こんな良い人に10年間の懲役だなんてとんでもないご時世だ。この社会はもうおしまいだ・・・」と怒り嘆く声が聞こえ、民衆の怒りは頂点に達していた。現在も現地において鄭さんの解放を求めてさらに多くの民衆が署名、拇印活動を続けている。3000人の署名活動が明慧に報道された今、新たな四つの県合わせて755人の署名が加わり、鄭さんの無条件解放を求める活動が続いている。中には署名だけでなく、赤い拇印を押して携帯番号を残したり、「鄭さんを解放してください」とメッセージを書いたりする民衆もいた。
ある人は「今日まで生きてきた人生の中でたくさんの署名をしてきたが、今日の署名は唯一、有意義な署名だった」と話した。もう一人の主婦は「良い人を救うためなら私は怖くない。署名もするし、拇印も押す。良い人なので解放されないわけがない」と話した。
また、もう一人は「法輪功修煉者への判決はすべて法律に従っていない。秘密裏に判決を言い渡していると警察、検察、裁判所から聞いた」と話した。
かつての鄭さんは、実に不真面目で毎日ブラブラしていた。奥さんの話によると喧嘩ばかりしてトラブルメーカーだったという。それでも警察が関わることはなかった。ところが2001年のある日、鄭さんは警察を殴ったため三日間の拘留に処された。法輪功修煉者と一緒に拘留されていたこの三日間は鄭さんにとって人生の転換点となった。鄭さんは法輪功修煉者の誠実と善良に深く震撼させられた。
出所後、鄭さんは法輪功の書籍を見つけて法輪功を学び始めた。長年にわたり身についていた悪習を少しずつなくし、自分だけではなく自らの言動で「真・善・忍」を実践し、仲間達も法輪功の素晴らしさを感じていた。鄭さん夫婦は誠実と信用をもって経営し、家庭と社会において常に相手の事を思いやるようにした。家の前の道路がでこぼこなので、自らセメントを運んで平坦な道路に補修した。家電製品の修理依頼があれば購入した場所に関係なくすぐに無償修理に駆けつける。ある日一人の年配の客が幼い子を連れて店に来ていた。遠方から来ていると知り、買い物されなかったにもかかわらず鄭さんは車で2人を家まで送った。鄭さんが強制連行されたと知ったこの年配の客は、当時のことを思い出しながら涙を流していた。またある日、店の前で倒れた老人を見て鄭さんは迷わず病院まで搬送した。鄭さんの変化に地元の人々は感心した。鄭さんが連行されたことを知り、地元の民衆は三通の解放要求書簡に分けて計562人の署名と拇印が集まった書類をもって、鄭さんの無条件解放を強く要求した。
現在、鄭さんは刑務所側の一方的な判断により頭蓋骨を開く脳手術が施されたが、迫害されたため命が危険な状態に陥っている事実が分かった後、加害関係者を追跡調査し、元凶を厳重に懲罰するよう民衆の怒りが噴出している。
保定刑務所
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)