【明慧日本2012年12月24日】湖南省湘潭市の楊舜英さんは、法輪功を学んでいるという理由で中国共産党により迫害され、今月5日午前9時半に54歳で亡くなった。中国共産党の第18回大会の直前、同市の工人新村社区の役人が楊さんの家を訪問した時、痩せこけた楊さんは「私は弱い女性です。自分の信仰を堅持したことで、繰り返し刑務所に監禁され、毒薬を注射され、現在の惨状に至りました。全てあなたたちの責任です」と厳しく非難した。
楊さんは湘潭市の縫製品工場の社員だった。1997年、法輪功の修煉を始めてから心身が健康になった。中国共産党の江沢民集団が法輪功に対する弾圧を開始した後、楊さんは2000年に北京へ行って人々に法輪功の真相を伝え、「真・善・忍」を修煉する善良な民衆への迫害を停止するよう当局に伝えたことで、当局により監禁された。楊さんは刑務所で断食で迫害に抗議した。
拷問の実演:毒物を注射される
2001年、楊さんは再び北京に行き、現地の警官に拘束された。警官から「名前を言わないと腹を切るぞ!」と脅迫を受けた。地元に送還された後、悪質で有名な株洲白馬壟戒毒(麻薬中毒者治療所)労働教養所に送り込まれ、1年半の労働教養を強いられた。監禁期間中、楊さんは断食で抗議したため、強制的に毒物を注射された。医者に何の薬かと聞くと、医者は両手を震わせながら「補助薬」だと言った。注射後、楊さんは全身性潰瘍とともに激しい痒みが発症した。
同年、湘潭市公安局の中国共産党員は楊さんの夫に、楊さんと離婚するよう何度も脅迫したが、楊さんの家族と夫は強く拒否した。夫の母親は、夫に「こんなに素晴らしい嫁はどこにもいない」と言ったという。そこで、楊さんの夫はどんな処罰を与えられても「真・善・忍」を修煉する妻と離婚しようとしなかった。
2008年2月29日の夜、湘潭市国安局のスパイが1カ月間かけて尾行、電話盗聴、待ち伏せなど卑劣な手段で集めた証拠をもって、現地の派出所の警官と結託して法輪功修煉者・楊舜英さん、謝望明さん、陸襲璟さん、張亜琴さんらを連行した。また、彼らの自宅を強制捜査して、パソコン、プリンタ、現金、法輪功の書籍、資料などを没収した。楊さんは3月1日に湘潭市留置場に送り込まれた。
その後、数人の法輪功修煉者が不当判決を言い渡された。楊さんは2009年3月に長砂女子刑務所に送り込まれ、3年半にわたって迫害され、強制労働を強いられた。
湖南省の女子刑務所では、法輪功をやめさせるため、洗脳班を刑務所の2階に設置した。そこでよく使われている拷問手段は以下の通りである。
1、長時間立たされる。長い場合は、一カ月に及ぶ時もある。両足が腫れ上がり、激痛が走る。最後は麻痺して感覚を失い、倒れてしまうが、また立たされる。
2、長時間しゃがむ姿勢を強要される。足が酷く腫れ上がって自分でしゃがめなくなると、両肩を強く押される。両足が麻痺状態で、筋肉、血管、筋骨、膝関節が酷く損傷を受けてしまうが、表面からは傷が見えない。
3、長時間睡眠を禁止される。連続で数週間も寝ることを許されない時もあり、地面に倒れると起こされる。このように続けると、正常な思考能力、記憶を失い、幻像が現れ、言うことがおかしくなり、意識がはっきりしなくなる。
4、 家族からの面会要求を禁止され、孤立無援状態にされる。「死んでもただで済む」と脅迫され続ける。長時間立たされ、寝ることを許されず、さらに手錠と足かせをはめられ、独房に監禁されると酷い恐怖に駆られる。洗脳に耐えらず、修煉を放棄するという保証書(三書)を書いても、なお監視され続ける。
桃源県の法輪功修煉者・文恵英さんは迫害されて意識がもうろうとし、2010年2月12日に自宅に送られ、翌日に亡くなった。
2011年7月、楊さんは予定より2カ月早く家に送られたが、体に力がなく、食欲が減退した。家族と知人に刑務所で迫害された事実を暴露し、自らも毒物を注射されたことを伝えた。
楊さんを連行して迫害した主犯は、「610弁公室」メンバーと雨湖公安局の警官である。