弛まず最後の道程を歩みましょう
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文/オーストラリアの大法弟子

 【明慧日本2013年6月11日】神韻芸術団は2013年2月、オーストラリアでの公演を円満に終え、閉幕しました。その後間もなく、ある出来事が発生しました。私はそれに震撼させられ、師が法を正すことを手伝う新たな道程に足を踏み入れました。これは師父による按排だと思いました。

 事情はこうでした。私は2009年の始めに法を得た大法弟子です。法を得てから自然に家族にも三退を薦め始め、比較的頑固なお父さんは何を言われても決して脱党しようとしませんでした。今思い起こせば、当時の私は濃い情を持って真相を伝え、当然良い効果が得られるはずがありませんでした。両親は二年に一回私のところに親族訪問に来ますが、私は毎回、『九評共産党』を始め、動画や画像、冊子、神韻合唱団のDVD、美術展のカタログ、そして大紀元のホームページから選んだ文章などまで、数多くの真相資料を用意しました。

 母親は心臓病、高血圧などの持病を持っていて、私と父親が法輪功のことで口論するのを見る度に緊張し、父親が私との観点の違いでどんな過激な行為に出るかをいつも気にかけていました。修煉においての向上と成熟につれて、このような状況に直面し、私はなるべく母親がいない時間帯を利用し、父親に真相を伝えることを試みました。母親がいるとき、私は他の側面から間接的に真相を伝え、母親は既に真相が分かっている人ですので、時々、彼女も横で自分の視点から私の真相伝えに一言、二言を付け加えてくれます。

 前回彼らがオーストラリアに来て、帰国する前日の夜、私たち三人は長い話し合いをしました。その時、父親は初めて自らこの話題を切り出し、多くの質問をしてきました。私はその一つ、一つに対し、分析、説明してあげました。私はこれらが恐らく、彼の心の中で長年塞がっていたものだと感じました。彼らが帰国した数カ月後に、私が家に電話して近況を尋ねた際、彼は依然として脱党しないと言いました。

 そしてこの文章の冒頭に戻りますが、二月中旬のある週末、母親から電話がかかってきて、お父さんが私に、脱党表明を代わりに提出してもらうことを希望し、自分の為に仮名まで決めといたと言われました。私はびっくりして、同時に、この生命が真相を分かったことに喜びを感じました。考えてみれば、この生命が救われるまで三年以上の時間が掛かりました。また、法を正す進展がここまで来ていて、天象の変化により、さらに多くの衆生が目覚めていることにも気づきました。

 ちょうどその数日、ある同修の家を訪ねていたので、その同修ともこの件について交流しました。同修が言うには、中国大陸に真相を伝えるプロジェクトは人員が足りず、私は迷わず参加することに決めました。最初の数週間、私は絶え間なく操作要領の学習と掌握に専念し、その後、他の同修は次々と三退の結果を出してきていますが、私の方ではまだ糸口すら見つかっていない状態で、少し焦り、動揺し始めました。自分はこのプロジェクトには向いていないのではと思いました。その数日、私の頭には三退のことしかなく、寝ていても衆生に三退を勧めていて、目が覚めたらはっきりとした記憶が残っていました。師父は私の心を察し、慈悲で私を加持されました。その後、私は自分の特長を生かすような方法で三退を試み、最初は1日に1人、その後は2人、3人、ある日は朝から真夜中まで、私のところで10人の衆生が三退しました。

 同修は交流文章の中で、毎日を新たな一日として考え、ゼロからスタートすると書いていました。しかし、私は毎日を最後の一日として考え、自分に出来る限り多くの衆生を救うよう促しています。全ては師父の掌握下にあり、いつ法を正す時期の最後が来るかは分からず、その日が来れば衆生にもうチャンスはありません。中国にいる十数億人を考えれば、どれだけ救うことができるのに未だ救われていない衆生がいるのでしょうか? このような緊迫感があって、時間を大事にしようと思うあまり、私は続けて何日か煉功せず、全ての時間をこのプロジェクトに投入しました。その後、このようなやり方では法に沿わないことに気づき、時間を調整し、毎日の学法と煉功もきちんとするようにしました。師父は『轉法輪』の中でおっしゃいました。「皆さん考えてみてください。こういうふうになるのも良くないのです。あなたはまた別の極端に走ったのであり、これも執着心なのです。これも放棄して、みんなと同じように普通に常人の中で暮らし、修煉するべきです。」このような緊迫感は、私達が精進していく動力になってくれますが、上手く自己をコントロールをしなければ、また極端に走り、執着になってしまいます。何をしても、修煉は永遠に第一位になります。

 師父の新経文、『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』を勉強してから、私は法理上、業を滅することと妨害について新たに明晰な認識を得ました。その後、私はプロジェクトに参与する過程で遭遇するトラブルは、旧勢力による妨害だと認識し、根本からそれを否定し、消極的に耐えていくことをやめました。そのトラブルは業を滅することだという、認める一念があれば、仕方なく耐えることになってしまいます。

 この衆生を救うプロジェクトに参加して以来、私はまるで自分にロケットの補助推進器を付けられたように、自分を推進させ、順調にこの最後の道を進んでいます。残りの時間はもう多くありませんので、皆さんと一緒に精進し、私達の先史の誓いを果たしましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/11/275173.html)
 
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