文/中国の青年大法弟子
【明慧日本2013年6月9日】ある日、私は街である老人に真相を伝えました。彼は退職した大学教授で、歴史を専門に教え、非常に傲慢でお高くとまっているお爺さんでした。
彼に中共(中国共産党)邪党の悪さを伝え、中国の歴史は全て中共に改ざんされたものだと言うと、彼は非常に反感を持ち興奮して言いました。「私は大学の教授で、あなたのような若い娘より知っていることが少ないと思いますか? 私が渡った橋はあなたの歩いた道より多く、私が有名になった時、あなたはまだ乳飲み子だったでしょう。私の前で歴史云々を言うのは、魯班の門前で斧をいじることと同じではないか?」
私は言いました。「お爺さん、年を取っているから見識が豊富とは限らないし、若いから無知だとも言えません。人の見識は年齢とは関係なく、その人の経歴と関係があると思います。あなたの歳から言うと、数十年の間に多くの運動を経験してきたのに、中国共産党の悪さを知らないはずはないでしょう。特に文化大革命の時期に、あなたも多くの批判闘争を受けたでしょう。あなたは高学歴ですが、それでも中国共産党が良いと思っていますか?」
彼は古い共産党員なので、思想が非常に頑固で、邪党文化の影響も多く受け、私が幾ら言っても彼は全く無関心で、神韻や『九評共産党』のディスクを渡しても受け取らず、最後に私を警察に送ると言い触らしました。
私は心の中で発正念をしながら、師父に助けを求めました。私は引き続いて言いました。「お爺さん、今あなたと一緒に警察に行っても、警察も受理してくれませんよ。警察の人たちも今は真相を知り、三退をしているというのに、あなたは未だ執拗にこだわっています。中共があなたに何をくれたのですか? 党員の称号がそんなに大事ですか? あなたに飲み水や使えるお金でもくれたのでしょうか?」と、私が何を言っても、彼は三退をしませんでした。
急いで家に帰りたいと思っていた私は、彼にもう一歩踏み込んだ真相伝えをしませんでした。帰宅してから、私は心が苦しく、事情を家族(同修)に説明してからずっと昼のことを考え、内に向けて探した結果、自分に善が足りず、慈悲心が足りないことに気づきました。師父は一度たりとも衆生済度を苦に思わず、私を救い済度する為に、どれだけ多くの苦労を舐め、私達弟子のためにどれだけ多くの苦難を耐えられても、私達を済度することを諦められないというのに、私はどうでしょうか? 師父の弟子として、正法時期の大法弟子として、師父が求めておられるものを円融し、衆生を救うべきなのに、私には十分な慈悲心がなく、師父の望んでおられることを達成できませんでした。
私は悲しみの涙を流し、心の中で師父に言いました。「師父、弟子は間違いました。どうか、弟子にもう一度チャンスを下さい。再びそのお爺さんに会い、自分の間違いを補わせて下さい。この縁のある方を救いたいです」
師父の加護と按排の下、私は偶然にそのお爺さんに会いました。しかし、私を驚かせたのは、彼の態度は以前とはまるきり別人のようで、彼から私に声をかけ、「あれから家に帰って、長い間考えました。あれは結局私の数十年の信条で、普段自分も色々疑問に思っていましたが、いきなり表に出されて議論されると、やはり受け入れ辛かったのです。私も中国の歴史に問題があって、多くの教材が歴史に合わないと思っています。今の中共は腐敗しきってまったく庶民のために考えてくれません」と言いました。そして私に神韻や『九評共産党』のディスクを求め、その場で三退しました。そのとき私の手元に『九評共産党』のディスクが無かったのですが、お爺さんは自ら自分の連絡先を残し、送ってほしいと言いました。
帰宅後、同修とこの件について交流し、その後思ったのですが、師父の慈悲により私は再びチャンスを頂き、自分の不足を補うことが出来ました。このお爺さんは普段容易に接することのできない人で、しかも彼は歴史の専門家ですので、彼の状況に応じて私達は神韻、『九評共産党』のビデオ、IPPOTV(愛博テレビチャンネルの案内)を用意し、彼にもっと真相をわかって貰い、中共邪党の悪辣さを理解し、徹底的に彼に深く根付いた党文化を一掃しようと思いました。
その後、お爺さんに感想を聞いたところ、彼はそれを見て憤慨し、家のガラステーブルを叩いて壊すところだったと言いました。そして、彼は週末を利用して自分の息子やお嫁さんを家に呼び、私に彼らに真相を伝え、三退について説明してほしいと頼み、子供達に「私でさえ退党をしたよ。あなた達はそれを留保してどうするの? 何の役にも立たないし、悪運をもたらすだけだ。早く三退し、その悪運から離れてほしい」と彼に勧められ、家族や多くの親戚も邪党組織から脱退しました。
今まで歩むことが出来たのは、師父の慈悲なるご加護があって初めて私は自分の多くの不足を見つけ、少しずつ成長してきました。慈悲で偉大なる師父に感謝いたします。今後も、私は師父の手を強く掴み、正念と正しい行いをもって師父が私達にして下さったことに報い、一日も早く師父について家に帰ります。