奇跡の雨
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 【明慧日本2013年6月27日】

 天が奇跡の雨を降らせた

文/黒竜江省の大法弟子

 私は黒竜江省のある農場職員です。私の家は6.6ヘクタールの水田を契約する事になりました。他にも二軒が灌漑用水の届きにくい場所を契約しました。私達の地区は用水路の末端にあり、水を得ることが困難でした。1997年の事ですが、灌漑用水の流量が少なくて、毎日全体の十分の一の面積しか灌漑できませんでした。このままだと苗が枯れてしまいます。私は相手を優先して、隣の契約者に先に灌漑するよう話し合いました。

 地形的に私の家の水田が高台にあるので、水が隣の水田へ流れます。しかし相手は私の水田の水を自分の水田の圃場(ほじょう)に流れるように穴をあけました。始めから色々と許してあげたのに、こんな事をやると思いませんでした。私の圃場面積は彼のより2倍もあるのに、水を均等に灌漑しています。どう考えても納得できず、心の中でイライラして来ました。しかし、歩いているうちに思いました。「私は煉功をしています。修煉者です。彼らとは違います。修煉者の標準で法に照らして物事を判断しなければなりません。喧嘩しない方が良い」と心の中で決めました。「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません。というわけで、彼はやはり気になってたまらず」[1] 確かに私は心の中で落ち着きませんでした。このままでは我が家の水田は何時になったら次の農作業が始まるんだ? 除草剤、肥料を何時入れるんだ? 色々な考えが湧いて来ました。今年はもしかしたら何も収穫ができなくなってしまうかもしれない。しかし、自分が修煉者だと思うと、「心性を守って、妄りに行動しないようにしなければなりません。」[1]という教えが思い出されました。その日の夜、夢を見ました。ある声が私に「今年の収穫が他の人より少なくなることはありません」と言いました。目覚めて、これは師父からの悟らせに違いないと思いました。つまり、「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません。』[1]

 翌日、私が食事の準備のために薪を取りに行ったら、相手の妻が遠くから私を罵りながら走って来ました。私も彼女の家のように、水を盗む穴を開けに来たのだと誤解したのかも知れません。益々汚い言葉で罵って近づいて来ました。隣にいた人が彼女に向かって、「誰も何もしていないのに、あなたは何を罵るのか? もし相手があなたのような人間だったら、喧嘩をしたかも知れませんよ」と叱りました。私は何も言わず薪を持って帰りました。

 その数日、彼ら(隣の契約者)は我が家を極度に憎んでいました。しかし、私は主導的に話かけたりして雰囲気を柔らかくして、『真善忍』の教えに従いました。

 乾期が伸びてしまい、水の供給は益々緊張状態に入りました。上流域の農家たちも、お互いに水を巡って争いをして毎日喧嘩をしていました。私は非常に落ち着いて天にお任せるつもりでした。有る時、私は2日間圃場に行きませんでした。ちょうど我が家が2日間畑仕事を休んでいる間に局地的な大雨が我が家の水田だけに降りました。隣の家の人が現場にいて、自分の目で私の水田圃場だけに大雨が降っているのを見ました。隣接している彼女の圃場には雨が降りませんでした。後で、彼女は他の人に「変ね! 隣の彼女の圃場だけ雨が降って、私の水田には降らなかった。不思議だね」と言っていたそうです。8月になって、我が家の水田圃場にもう一度雨が降りました。他の人に私は、「私は法輪功を修煉しています。師父に見守られています」と答えました。その年、我が家の水田は多くの収穫を得ました。翌年には隣との関係も改善され、関係回復に成功しました。

注:
[1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』

 洗脳班の主任が政法委書記に「法を得た」と言う

文/黒竜江省の大法弟子

 2002年11月のある日、中共悪党は第十六回党大会の二日前でした。私と主人は再び連行され、洗脳班に入れられました。私達は50数日間不当に監禁されました。当時、洗脳班に8名の法輪功修煉者が監禁されていましたが、皆、邪悪の要求に応じませんでした。洗脳の話を聞かず、煉功をし、法を暗記し、発正念をし、真相を伝えました。洗脳班が崩壊した日、他の農場では自分のところのスタッフを迎えに来ていました。私の所属する農場だけは誰も迎えに来ませんでした。

 最後、農場の政法委書記と「610弁公室」のリーダー、及び町内会委員が迎えに来た時、洗脳班の主任が迎えに来た人たちにこう話しました。「彼ら(私達のこと)は良くやった。私は法を得た。自分は『轉法輪』を8回も読んでいるよ」その話を聞いたせいか、政法委書記が私の肩を叩き、「お婆さん、帰って法の修煉を続けて良い。井戸の水は河の水を邪魔しない。私はあなたの信仰を変えるつもりはない。あなたも私の思想を変えようとしないでください」

 洗脳班は大きな居酒屋をリフォームして作れられていました。居酒屋の経理に「お婆さんはまた来ますか?」と聞かれると私は、「絶対に来ません。これは最初の洗脳班であり最後の洗脳班です。絶対もうあり得ません」と答えました。農場管理局の政法委書記、「610弁公室」リーダー、洗脳班のスタッフが一列に並んで私達を見送りしました。これによって洗脳班は崩壊しました。

 私は1996年から法輪功を修煉しています。修煉してわずか3カ月で今まで自分を苦しめていた様々な疾病が、跡形も無く消えました。翌年、夫は大法の書籍を1、2ページめくって「これは高徳大法です」と一言を言って修煉者の一員になりました。息子も私達の様子を見て修煉者の一人になった。

 2000年、私は北京へ行き、法輪功が不当に迫害されていることに対して陳情をしようとしましたが、北京市天安門広場の金水橋近くで警察に連行され1カ月間拘禁された後、地元当局に引き渡されました。農場の課長に真相を伝えに行った時、その課長が私に、「お前たちが北京へ行ったので、農場はお前たちの給料などを全て没収します。これからどうやって生活するのか?」と言いました。私はその話を聞いてから反論しました。「私たちは中国の公民です。不当な迫害と弾圧の前で陳情することは公民の基本的な権利です。法輪大法は正法です。国家に対して、社会に対して、家庭に対して悪いことは一つもありません。とても良いです。そして健康効果は素晴らしいです。私は以前、様々な病気を患い、死の寸前でした。法輪功のお陰で私は生まれ変わりました。第二の命を拾ったのです。心身共に健康になりました」このようにいくら話しても、あの課長は考えを変えませんでした。結局、彼は2003年に病気で亡くなりました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/22/275677.html)
 
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