絶え間ない迫害の中 母と娘が死亡(二)(写真) 
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 【明慧日本2013年7月1日】

 (2)長沙市女子刑務所で残虐な拷問 

  2002年9月12日、郭さんは長沙市の女子刑務所まで連行されたが、体調が悪いため入所を拒否された。9月18日、郭さんの勤務先の責任者・黄永蘭らは、刑務所に賄賂を渡し、再び郭さんを収容した。黄永蘭は「どうしてもあいつを投獄してやらなければならない、あいつがどれほどの能力があるかを見てみたい」と何度も憎らしげに言った。2001年8月7日、郭さんは勤務先に除名され、経済の出所を断ち切られた。 

 長沙市女子刑務所で、郭さんは監房に閉じ込められて拷問され、灌食・労役・長時間の日射・長期にわたる飢餓などの迫害を受けた。 

  長沙市女子刑務所では、毎日32キロ以上、そら豆の皮を剥き、ござ9枚を作らなければならず、明け方から晩まで、多くの人の手に血の水ぶくれができた。また、高温40度のコンクリートの地面で長時間日光に晒された。郭さんは3日間断食して迫害に抗議したため、強制灌食され、また5人の警官に病院まで引きずられて、頭に茶碗の大きさの血こぶができて、吐血した。 

酷刑演示:野蛮灌食(绘画)

強制灌食

 郭さんは法輪功の修煉を続けているとして、1㎡の禁閉室に1カ月間閉じ込められた。光がなく、水も与えられず、破れた毛布が1枚あり、大小便もそこでしなければならなかった。夏は暑くて喉が渇き、冬は寒くて、毎日1~2個の小さい饅頭だけを与えられ、常に飢餓感に耐えられなかった。 

 郭さんは禁閉室に閉じ込められながら、両手を背中に回して手錠をはめられた。手錠は骨まで食い込んで8時間にも及んだ。

酷刑演示:背铐

拷問の実演:両手を背中に回して手錠をはめる 

 郭さんは長沙市女子刑務所から出所した時、別人のように変わった。骨と皮ばかりに痩せて、歩けなくなり、黒い髪は白髪になり、子宮下垂、脱肛し、肝臓の腹水などの深刻な病症が現れた。 

 (3)絶え間ない迫害の中、親子2人が死亡 

 郭さんは2005年1月に帰宅した後、ずっと監視され、さらにお金の出所がなくなり、家の生活は極めて困難だった。同年10月、郭さんはまたチン州洗脳班に連行された。 

  2007年7月25日、郭さんは町内の人に通報された。610弁公室の直接の指揮の下で、10数人が郭さんの家に突入し、郭さんが家にいないと分かると、すぐに郭さんの居場所を探し、郭さんを連行してから家財を没収し始めた。警官は掛け布団・服などを地面に投げて、法輪功の書籍・資料を根こそぎ没収し、テレ ビ・VCD・ラジオ・ラジカセ・MP3などをすべて持ち去った。北湖区裁判所は郭さんに対して懲役7カ月の判決を下した。 

 2009年11月30日、派出所の警官は郭さんの家へ行き家財を差し押さえ、法輪功の資料を探し出したため、また郭さんを3カ月間拘留した。某年のある日、郭さんは新潘家湾で人々に三退を勧めた時、連行され15日間拘留された。 

 2012年10月27日の朝、高級車から降りた7、8人が郭さんを連行した。警官はドアを壊して部屋をひっくり返し、法輪功の創始者の写真・書籍・資料・2800数元の現金を没収し、トイレットペーパーさえ持ち去られた。 

  今回の迫害を受けた後、郭さんの体調が急激に悪化し、ご飯が喉を通らず、水しか飲めなくなった。心身が極限まで苦しめられ、子宮下垂・肝臓の腹水などの深刻な病状が現れ、体重が43キロまで下がった。しかし、郭さんは毎日法輪功の真相を人々に伝え続けていた。2013年4月18日に郭さんはこの世を去った。享年47歳。 

 郭さんの母は、警官の暴力を目にして、恐怖と憤怒で身震いし、脳血栓の病状が現れ病床に倒れた。体重は53キロから30キロまで減り、娘の早死のショックに耐えられず、今年の6月5日に亡くなった。

 
 
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