明慧法会|相手の長所のみを見て、自分の不足を見つけ出す(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年7月3日】

 三、最初の念で自らを考えてこそ、比して学び比して修することが出来る

 漢字の「比」には非常に深い内包があります。党文化の中で、「比」は闘争、競争、弱肉強食の意味に歪曲されています。このような党文化の観念の下で、師父の経文『洪吟』「実修」を学ぶ際、私はどうしても「比して学び比して修す」の意味を理解できませんでした。修煉とは闘争心をなくすことなのに、何故比するのでしょうか? 有る時、漢字の図解を見て、やっと分かりました。「比」とは、二人の人が両手を胸元に合わせ、肩を並べ、謙虚かつ礼儀正しくお辞儀をする姿を表しています。「比」は、修道者達が集まって謙虚に学法する時の様子の描写であり、同時に協力、または全体的に良い協力を保つ意味まで派生しています。

 それなら、どのようにして比して学び比して修することが出来るのでしょうか? まずは、最初の念で自分のことを考えるのが必須です。師尊は『大法弟子とは何か』の中でおっしゃいました。「トラブルに遭ったら、自分が間違ったかどうかに関わらず、このことに関して私に間違ったところがあるのか、本当に自分が間違ったのではないかと自らを考え、皆このように考え、最初の念は自らを考え、問題を考えているのです。このようにしない人は本当の大法修煉者ではありません。これは修煉上の最も有効な手段であり、大法弟子が修煉する際の特徴です。いかなることに遭っても、最初の念はまず自分を考え、これはすなわち「内に向けて探す」ということです。」

 私たちの所には、もう一人の年老いた協調人がいまして、私は彼女と協力して幾つかのプロジェクトを行ってきました。ある日突然、彼女から手紙が送られてきて、主な内容は、プロジェクトのメンバーの2人の同修が迫害を受けたので、暫くプロジェクトの実行を中止しようとの事でした。当時、私は事態が厳重だと思い、少し恐れる心が生じました。その後、私は手紙を通じて彼女と交流し、安全面の注意と学法を重視することを言及しました。表面上では相手の為に言っているものの、言葉の中には彼女を叱責し、彼女がプロジェクトを推進したい一心で、同修間の協調や修煉状態をうまく把握できなかったために損失をもたらした意味合いがありました。

 私が自分の考えは正しいと思った正にそのとき、ある同修は私に旧勢力がいかに同修の漏れの隙に乗じるかについての交流文章を薦めてくれました。読んだ後、私はびっくりしました。文章の中で、旧勢力に妨害、または迫害されている同修たちは、正に私のような思惟方式で問題を考え、トラブルに遭ったら真っ先に他人の間違いを探しています! ショックを受けた後、私はすぐに自分の心理状態を調整し、考えを矯正し、協調人に謝る手紙を送りました。同時に、旧勢力による同修たちへの一切の迫害を否定するよう強い正念を発しました。協調人もすぐに内に向けて探し、その後、私達は迫害の暴露と同修を救い出す過程でうまく協調を取り、トラブルを前に内に向けて探し、真っ先に自らを考える事ができました。

 四、協調人は松やにのような品性を持つべき

 長い間、私は人とのトラブルにあまり執着していないと思っていました。しかし、実際に修煉し関を乗り越える中、私は師父が『轉法輪』の第一講の中で言及された「また低下した道徳水準で自分の行動を判断し、他人よりましだと思っている人もいます。判断の基準まで変わったからです。」のような厳重な間違いを犯していました。「自分が他人よりましだ」という観念を持って人や物事を見たとき、最初の念を容易に外に向けてしまい、相手の不足や欠点しか見えず、状況やトラブルの中で自分の執着が見えにくくなり、事を処理した結果も、いつも思い通りにいきません。同修との協調もとり辛く、結果として薪を持って火事を消そうとするように、かえって問題を大きくしてしまいます。

 周辺の同修たちが協調を取れるように、私達は色々な措置や方法を考え出しました。しかし、推進する過程で中々簡単に思うようにいきません。そういう時、私には怨む心が生まれ、同修が精進していないとか、あれもこれも駄目だとかと叱責し、しまいに北京全体の同修たちに愚痴を言い、責任を転嫁しようとしました。時に物事がスムーズに運ばれると、私にはまた顕示心が簡単に生まれ、そこで自分がいかに役に立ったとかを思ったりしました。小さな妨害が現れたら私は疑心暗鬼し、大きな妨害が現れたら今度はまだ恐れる心が生じます。一回、ある同修を訪ねに行きましたが、会えなかった上に、帰りに車が自然発火しました。その後、内に向けて探してみた結果、やはりそれは協調を取る過程での自分の様々な人心がもたらしたものでした。例えば、顕示心、自我を実証する心、事を急いで成し遂げようとする心、そして恐れる心でした。

 ある日、夢の中で私は師父に、協調人は松やにであることを教化されました。松やには、ハンダ付け溶剤(フラックス)の主要な成分で、ハンダ付けの過程が順調に行われることを保証する補助材料です。ハンダ付け溶剤の主要な効果は、接合材料と母材の表面の酸化物を取り除き、金属の表面を一定の清浄度に保たせ、接合時の表面の再酸化を防止し、接合材料の表面張力を下げて、接合の性能を高めることです。ハンダ付け溶剤は接合時に使われる補助材料で、その性能の優劣は直接、電子製品の品質に影響します。

 松やには目立たないのですが、しかし発揮する作用は非常に大きいです。私は協調人として自我を放下し、法に溶け込み、全体に溶け込むべきだと分かりました。他の修煉者より自分を高く見ず、人を協調するとは言っても、実質は自分を着実に修めることであり、事を実行する過程で法を第一に考えているかどうか、他人を先に考慮しているかどうか、無私無我になっているかどうかが肝心です。法に基づいて協調すれば、神が法を実証し、衆生を救うことになり、全体の協力の力も大きくなりますが、人心を持って協調すれば、人間の暗闘に巻き込まれ、旧勢力が安排したトラブルに陥ってしまうことになります。法理が分かってからプロジェクトを遂行する際、私は急いで事を成し遂げることを追求せず、着実な修煉に心がけ、十分に他人の感受を考慮し、他人の状況をよく考慮した上で、相手の状態に応じて協調し、速度が落ちた様に見えますが、実際は全く遅くありません。私たちが共に歩む一歩一歩は心性の向上の偉大な証です。最も重要なのは、私は人を見下す心を取り除き、みんなと一丸になったことです。

 以上はこの一年の中での私の一部の修煉体験になりますが、妥当でない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 (明慧ネット第九回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/12/264864.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/12/25/136775.html)
 
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