文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2013年7月24日】最近、2人の同修が修煉の中で出会った2つの小さな出来事に私は深く感銘を受けました。その事から私は、同修が大法のため、衆生のため、使命を完遂するため、誓約を果たすために行った素晴らしい心を見ることが出来ました。
一、紙ロールに包まれた真心
今年5月10日(金)に資料を配りに行った時、地域の責任者から細い白糸でしっかり巻き付けられた、太さ約1センチの紙ロールを渡されました。責任者は「これはある同修から預かったもので、私にこの紙ロールを資料点(私は資料点の担当です)に届けてほしいとのことです。資料点に手渡す前に開けないでください」と私に何度も言いました。
私は紙ロールを受け取り、中身について、三退名簿、厳正声明文、鄭重声明文、あるいは短い文章? と思案し始めました。しかし、改めて考えてみるとすべてあり得ません。それらは手間のかかる紙ロールを使う必要がなく、通常は袋の中か牛乳パックで作った袋に入れています。
細い白糸を解くのにとても手間がかかりました。最後まで開けると、5枚の新しい100元紙幣が私と責任者の目の前に現れました。この時私たち2人はすべて分かりました。
実はこのようなことでした。
私が資料を作成する費用は、同修自らの意志でこの地域の責任者に手渡し、責任者は私が資料を配る時にそのお金を私に手渡して私が資料点に持ち帰るのです。この地域の同修はみな収入が多くなく、またそのほかの収入源もなく、資料点に寄付したお金はすべて彼らが普段の生活で節約して少しずつ貯めていたものです。毎回私はこのお金を受け取る時、心からこのお金の重みが分かります。そして同修達の無私そして清浄な、衆生を救い済度する慈悲の心がはっきりに見えました。私は法に対して、同修に対して、自分に対して責任を持つ事に基づいて、この金をすべて「師が法を正すことを助けること」と「衆生を救い済度すること」の重大な使命に使わなければならないと思っています。
同修から常に寄付金が送られてくるため、資料点の経費は自然と足りるようになり、また余りがありました。それで、時には余った寄付金を取り出し、地域全体を協調するプロジェクトに利用します。しかし、私は同修の経済状況及び耐える能力を考慮して、また資料点ではお金を貯めず、物を保存しないという師父の要求に従って、「同修達に資料点にお金を寄付しないでください。寄付されても受け入れません。すべてお返ししなければなりません」と地域の責任者に同修達へ伝えるように言いました。それで一時期、地域の責任者は同修からの寄付金を受け取らず、資料点に持ってくることもありませんでした。
資料点にお金を寄付しないように伝えてから何日か経ち、5月13日の法輪大法デーが近づきました。資料点は常にお金を必要としています。しかし責任者にお金を届けてもらうこともできません。地域の同修は「資料点の長期間の貢献に感謝したい、大法と師父への恩返しをしたい」という気持ちをどのように表したらよいかと考えました。その結果、同修が普段少しずつ貯めていたお金を新しい100元札に替えて、人目につかないように小さい紙ロールを作り、地域の責任者に紙の中に何が入っているか知らせずに、資料点に持って行かせたものでした。それがあの、心のこもった出来事でした。
責任者は納得して私にこう言いました。「このお金をまた私に返しますか?」私は「今日いただいたこのお金は同修に返すことができません。受け取ります。これは同修の師父の弟子としての、大法と師父への感謝の心の表れです! この真心を私たち2人は拒絶することはできないでしょう!」と答えました。責任者は「そうですね」とうなずきました。
二、たとえ深夜になったとしても、私は来なければならない
今年5月初めのある深夜、私が煉功していた時に、ある若い女性の技術同修が訪れました。その時私は驚き、彼女がこれほど遅くなっても私の家に来てくれたことにとても感動しました。
今日の昼間、私は資料を作ろうと思いパソコンに電源を入れ、黒いスクリーンを切り替える時にキーボードのキーを押し間違え、起動することができませんでした。そこで電源を消して再起動しましたが、ダイアログ・ボックスに「強制的に電源を消すとファイル損傷の恐れがある」というメッセージが表示されました。しかし、私は損傷することはないと思いました。なぜなら以前、同じメッセージが出ましたが、一回も損傷したことがなかったので、今回も大丈夫だろうと思い、強制的に電源を切りました。しかし再起動後、パスワードを入力して入ろうとすると、パスワードは間違っていないのに、誤りがあると表示されて、何度入力しても同じでした。今回、私は本当に焦り始めました。さきほど作ったばかりのファイルをパソコンのデスクトップからUSBフラッシュメモリにコピーし、ある真相資料をプリントしなければなりません・・・・・・。
そこで私は技術担当の同修に助けてもらう事を思い付きました。私は彼女が昼間仕事をしていることを知っているので、夜しかできないとわかっています。「もし今夜中に来られたら、大法の仕事を遅らせることがないのですが、彼女は夜遅くに帰宅するため、来られないでしょう」と思いました。
この女性の技術担当の同修は30代で、2007年に私は彼女と出会いました。あの時の彼女はまだ子供にしか見えませんでした(彼女は私の娘と同じ年です)。パソコンに対しても字が打てるぐらいでした。しかし今ではコンピュータに関する技術に精通し、地域に技術上の問題があれば、彼女はすべて解決できるのです。そのため彼女は同修にとって、なくてはならない存在です。どうしてこのようにできるのでしょう? 彼女が法を正す時期の大法弟子で、また師父のご加護の下で、大法が彼女に知恵を下さったに違いないと思います。
彼女は小柄で背も高くありません。しかし、とてもすらりとして体つきは均整がとれ、目もいきいきとしています。彼女の印象は、頭が良く有能で、家庭や会社のつきあいなど、すべての事で彼女は必要とされています。そのため彼女の負担はとても重く、地域の技術上の事で、毎日のスケジュールはぎっしり詰まっています。彼女の仕事も特殊性があって、毎日早く出勤し、遅く退社するので、週に1日しか休むことができません。
昔、彼女は私に携帯の電話番号とメールアドレスを教えてくれたので、彼女に急用が合った時に電話をかけましたが彼女は出る事ができず、メールを送ってもメールを見る時間がないようで、1週間後にメールがあり返事が更に遅くなったのです。それで、私は彼女との連絡手段に携帯電話はもう使っていません。彼女は私にこのように言いました。「パソコンに問題があれば、朝あるいは夜、私のところへ持って来てください。もし些細な問題でしたら修理するのにあまり時間が掛かりませんが、もし大きい問題でしたら、私が休みの時まで待たなければなりません」それからは、私は彼女が言ったようにしました。彼女の夫は常人なので、あまり早く、あるいはあまりに遅く彼女を訪ねて、ベルを押したら家族の睡眠に影響します。幸い彼女の両親(同じく修煉者)が同じ団地に住んでいるので、私は昼間、ご両親を訪ねて彼女に伝言を残しました。「私のパソコンが開かなくなったので、彼女に時間があれば見ていただきたいです」以前だったら、夜9時前に彼女がもし来なければ、その日は来ることがなかったでしょう。
しかし今日、彼女は意外にも深夜に来ました。家に入るとすぐ私に「両親から聞きましたが、あなたがきっと焦っているだろうと思い、直ちに解決しなければ、きっと大法の事を遅らせてしまいます。たとえ深夜になったとしても、私は来なければなりません」と言いました。彼女はパソコンを少しいじっただけで問題は解決し、すぐ家に戻りました。
後で知ったことですが、彼女は私の家に来る前に私より遠くに住む同修の家に行ったそうです。あまりに遅くなると不便になる同修の家に先に行って、技術上の問題を処理し終わった後、私の家に駆けつけたのです。私は感動しこのように悟りました。「師父と超常的な大法は法を正す時期の大法弟子を作りだし、法のため、同修のため、修煉の道中に残された貴重な時間でこのように衆生を救い済度し、自分を成熟させるための心を大切にしてくださっています」