夫が癌に罹ったことに直面して(一)
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧ネット2013年10月25日】普通の人から見れば、私が夫と結婚したことは大きな誤りで、不公平な運命だと思われるに違いありません。私は軍の幹部の家に生まれ、彼は労働者の家庭出身です。私は国営の大企業で働き、彼は町工場に勤め、その後失業もしました。私は文学、音楽、読書が趣味で、清潔できちんとした格好が好きです。一方、彼の趣味はトランプ、酒、タバコで、いつも汚くて、だらしない格好をして、痰を勝手に吐いたりもします。私は何をしてもきっちりして、しっかりして、しかも信用を重んじていますが、彼は嘘を言ったり大げさな事を言ったり、なにごとも中途半端で信用を失います。私は家庭を切り盛りして生活と育児をしますが、彼は利己的で、まじめに働かず、外泊することもしばしばあります。私は明るくて、行動的で責任感がありますが、彼は頑固で気が小さく優柔不断な性格です。私は家庭生活と愛情を大事にしているのに、彼は責任感がなく、また何回も不倫しました。しかし、この結婚は意外にも、両親の反対を押し切って私が自ら選んだものでした。

 結婚して1年余り、子供が誕生するとともに、彼の個性も大いに明るみに出てきました。それに加えて、経済的にも日に日に行き詰まっていきました(彼は仕事を辞め、商売に転向しましたが、いずれもうまく行かず、借金だけが残って、私は肩代わりをした)。私は後悔をし始め、毎日涙を流し、辛くてたまりませんでした。しかし、彼は私の心の変化にまったく気づかず、相変わらず我が道を行くように生活をしていました。私は彼とけんかを始めました。私は怒りの限界に達し、離婚を決意しました。しかし、毎回こんなときになると、彼は私の爆発を放任し、その後うまく逃げ出し、何日間も家に戻らず、帰ってきたら前のまま、とにかくなんとしても離婚だけはしてくれませんでした。私は子供に完全な家庭を与えるために、心身ともに苦しい中で、落ち込みながら、来る日も来る日も、また一年一年と、耐えに耐えてやって来ました。

 1996年に、私は法輪大法を修煉しました。師父は私達に「真・善・忍」を説かれて、何事も他人を第一に考え、人を先にして、自分を後、無私無欲にするようにと教えられました。私は夫婦というのは縁によるもので、人間には因果応報があり、借金は返さなくてはならないという師父がおっしゃった道理も分かりました。私は1人の修煉者として、この問題を離婚で解決してはならないと悟りました。しかし、この世の迷いの中で、名、利、情に対する執着、また社会全体の道徳の衰退によって形成した観念の影響と妨害により、私はこの「不公平」な現実を直視できませんでした。こうして、私は修煉の道で夫との情の関門をなかなか突破できず、苦労も多く、挫折も多々ありました。

 しかし、私がこの17年間修煉するなかで、注目すべきは夫の大法に対する態度でした。特に大法が共産党から迫害を受け、私が北京に行って大法を実証したことによって、不法に労働教養に強いられた時、また「転向」しないため、さらに1年の刑を増やされた時、また私が地元の真相の知らない工作員に監視され、妨害されたあのもっとも苦難に満ちた歳月の中で、路頭に迷った大法弟子が私の家に身を寄せた時、大法弟子が私の家に来て交流をし、法を学ぶ時、さらに、私が面と向かって真相を伝えた時、彼はずっと大法を認めていました! 彼は彼の何人かの友達に大法を広め、また、彼はずっと共産党の迫害に耐え、私を支え、時には真相資料を配るのも手伝い、わが家に来る一人一人の同修に親切に接してくれました。私はこの末法の時期、ここまで出来る彼は、いったいどんな生命だろうと思いました。

 師父の教戒に基づいて、絶えず法を学び、毎回毎回心での衝突と試練を乗り越え、執着心を取り除き、内に向けて探し、私は次第に悟りました。私は「個人の私利によって、しかも、この世に生まれた利己的で不潔で捨てるべき名、利、情の誤りの観念を持って、1人の生命を評価し、判断し、扱うことをしてはいけない」と思いました。まして、もしかすると、それは私が前世で相当傷つけた生命かもしれません。しかし、師父はすべての生命を済度しようとしておられます。

 法理上では分かりました。実践の中でも私は毎回このように努力もしました。しかし、最近になって、医者から夫が結腸癌を患って、しかもすでに肝臓に転移しており、手術と化学療法が必要で、また、治療しても余命は長くて二年だと告知される時、私の心はやはり沸きかえりました。私にとってまさに晴天の霹靂で、この告知は潮(うしお)のように次から次へと私の心を苦しめました。彼はこれまで私と子供に関心を持ったことがほとんどありませんでした。彼は元気な時、酒食と遊興の日々を送り、女遊びも賭博もし、よく外泊もしました。彼が商売をする時、私はいつも彼のために不安でびくびくして、また彼の借金を何度も肩代わりしました。私が共産党によって不法な労働教養を強いられた時、彼は酒色に溺れ、不倫もし、私に一銭もくれませんでした。トイレットペーパーですら同修に買ってもらったのです。出て来た後に、私は1人で3つのアルバイトをし、かつてのお嬢様が豚肉を売る商売をすることになり、人に指をさされ、寒い冬に私は両手を冷たい水に入れて鶏やあひるを洗い、こうして稼いだ金で家族を養って子供を大学に行かせなければなりませんでした。今、彼は無職、無収入で、医療保険も社会保障もなく、私の毎月1700元の年金に頼って生活をしています。彼のプライドと外出の便宜をはかるため、私は毎月200元のお小遣いも渡していました。しかし、この厳しい状況の中でも、彼は私に頼まれて野菜を買うためのお金を勝手に使い、カメ、ウシガエル、タウナギを買ってきて、自分ひとりで食べたり飲んだりして、タバコも酒もお茶もいっさいやめず、運動もせず、話も聞こうとしませんでした。彼のこの病気は本当に自業自得だと思いました。今、中国大陸の民衆が最も恐れているのは病気になることです。幼児が一回風邪を引いても軽く千元を使ってしまいます! 彼は夫として、これまで家族を養う責任をまったく果したこががなく、今、彼はこんな病気になって、彼の病気治療にお金を使わなければならないし、彼の看病で身の回りの世話をしてあげなければならないのです。家には亡くなった私の母が残してくれた5万元の預金しかありません。私はずっとそれを大事に取っておいて使わないことにしていました。それは我が家の唯一の予備金です! 当然、彼の治療にはこれくらいのお金ではぜんぜん足りません。私は恐らく彼のためにまた借金をしなければならないと思いました。私はすでに60近くになり、まさか彼が亡くなっても、私はまたアルバイトをして金を稼いで返済しなければならないのでしょうか?! その上、私の最も貴重な法を学ぶ時間がなくなり、修煉することも真相を伝えることもできなくなるのではないかと思いました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/12/281088.html)
 
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