文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年10月26日】
中共(中国共産党)による生体臓器狩りの真相はすでに世に暴かれましたが、まだ多くの中国人はその事実を信じようとしません。中共が法輪功修煉者や人権活動家、信仰者らの臓器を摘出して販売し、更に遺体をも販売していたことを中国の民衆はなおさら信じようとしません。下記は死刑囚からの生体臓器摘出を目撃した、数人の医療従事者の証言です。
目撃者A
私は全国で有名な某病院で働いています。1986年のある日、実験室で切片用の人体組織が必要で、課長の指示で私は受け取りに行きました。
私がビル一階のある部屋に入ると、20歳ぐらいの若い男性がベッドに横になっている様子が視界に入りました。露出した両下肢から見て、非常に元気で、丈夫な身体だと分かりました。私が着いたとき、ある医師が角膜を取り出す途中でした。男性は胸や腹をすでに切開され、肝臓や腎臓などの臓器をもう摘出されて持って行かれていました。私は執刀の外科医に食道組織を頼みました。執刀医が組織を切っていた際、男性の左腿が痙攣していたのを私は見ました。それで初めて、まだ男性が生きていることに私は気付いたのです! 生体臓器摘出だったのです! 執刀医が私に渡した食道の組織も柔らかく、温かく、鮮血が出ていました。
外科医は頭を上げて、「組織がほしい人はまだいるか。切り口を縫合するぞ・・・」と周囲の人に尋ねました。現場の人の話によると、その男性は死刑囚だそうです。執刀医はまるで屠殺場の解体処理員のようでした。たとえ死刑囚であっても生きている人間でしょう。執刀医がそこまで無感覚になっているとは! 各科の人々は臓器を持って立ち去りましたが、私は初めてその場面を目にしたため、しばらく見続けていました。
死刑囚の切り口を縫合した後、執刀医と助手らは去って行きました。警察の制服を着た人が寄ってきて、両手でベッド上の鮮血をすくって死刑囚の顔に撒き、犯人が処刑された偽の証拠を作りました。もう1人の警官はすぐさまカメラで顔を撮影して、それから火葬場に電話して遺体の火葬を頼みました。警官らは死体を厚いゴムの布でしっかり巻いてから手術部屋の隅に置き、火葬場の人の到着を待ちました。一人の生きた生命が、このようにしてこの世を去っていきました。
その手術の全過程で、死刑囚の家族は病院にいませんでした。その後、臓器狩りについて私はいくつかの情報を入手しました。多くの病院は裁判所と結託して秘密裏に臓器売買をやっており、病院は新鮮な臓器を取って移植や実験に使いますが、裁判所はその臓器売買で儲けます。
このような邪悪きわまりない売買行為は、20数年前から中国で普遍的に存在しています。毎回当時の様子を思い出すと、私はたいへん悲しく思います。医者は、命を救い負傷者を助けることを自己の責任とするべきですが、生体臓器狩りのように生命を尊重しない行為が、医者たちに簡単に受け入れられるとは、なんと悲しいことでしょう!
目撃者B
私が勤める病院は市内で有名ですが、専門が違いますので、生体臓器狩りなどの移植に私は自ら参与したことはありません。しかし、このような手術を、うちの病院がずっと行っていることは分かっています。参与した医者は不注意のうちに言ってしまうことがしばしばです。数年来、このような手術は、中国の医療界では誰もが知っている公然の秘密です。
ある日、執刀医として私が一般的な手術を終えようとしたとき、助手らと麻酔科医との会話を聞きました。生体臓器狩りの話に言及し、麻酔医は「いつも行っているから、たいしたことではない」と語り、次のようなことを述べました。
病院の関連部門のリーダーがチームを率いて、参与するすべての医師は手術用の道具を用意して、専用車で刑場まで送られ、指定された場所で待たせられます。現場は閉鎖され、関係者以外の退出は厳禁でした。それから、司法警察員が死刑囚を押さえながら出て、麻酔科医が麻酔注射をして、しばらくして各科の医師が摘出手術を始め、角膜や腎臓、肝臓、皮膚など、それぞれ必要な物を思う存分取るのです・・・。手術が完了した後、司法警察員はすぐに銃で発砲し、正常に処刑されたという偽の証拠を作るのです。
初めてこのようなことを聞き、私は非常に怖く感じました。囚人はまるで台上の肉のように、医者に勝手に切り分けられてからそのよう形で死刑を執行されました。
2006年以降のある日、泌尿器科の医師と雑談をしたときのことでした。「現在、国外からの論議の圧力が大きく、国内も厳しくなっており、腎臓移植のドナーを見つけることが難しくなりました。病院は貴州などの僻遠のところでドナーを探さなければなりません。大都市は敏感すぎて、僻遠の山地は大都市から遠く離れており、誰にも注目されていません・・・」と、泌尿器科の医師が不満げに言っていました。
その後、法輪功学習者が臓器狩りをされていたのを知って、病院側が僻遠の山地でドナーを探すわけが初めて分かりました。
目撃者C
私はある大病院の医者です。うちの病院は、腎臓移植手術では全国で有名です。私の先生は1970年代から腎臓移植の研究を始め、大量の実験を行い、その成 果を全国で広め、国内の腎臓移植界で有名な先駆者です。もちろん、これらの成果と経験はすべて死刑囚からの生体腎臓狩りです。
中共による法輪功修煉者からの生体臓器狩りが暴かれたそのころ、消息によれば、彼は典型的な反法輪功の人だそうです。「移植手術をそれほど多くやっていま したが、報いに遭うのを恐れませんか」とある人に冗談のように聞かれた時に、彼は「恐れません!」と返事したそうです。まさにその後、彼は病気で倒れ、癌 と診断されましたが、手術を受けた後、腸の出血が止まらず、切り口も癒合できず、炎症が起き、前後3回の手術を受けましたが、すべて失敗した挙句、苦痛の 極みのなかで死にました。その後、彼の娘も癌に罹り、妻も両足の関節病で歩行困難です。
病院の皆は、彼は確かに報いに遭ったと言っています。