明慧法会|協調の中で自分を浄化する(二)
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2013年12月31日】 (前の文へ

 二、協調の中で自分を浄化する 

 困難があれば師父に頼む 

 数年来、私の地元の協調人は一人、また一人と変わり、しかもほとんど中高年の女性でした。皆は困難と危険を恐れず、力を合わせて今日まで歩んで来ました。しかし、真相を伝えるそれぞれのプロジェクトには、時には確かに男性同修が必要です。例えば新唐人テレビ局の番組を受信するアンテナの取り付けなどは、ずっと一人の路頭に迷う男性同修が担当しており、地元の何人かの女性同修はそれに協力していました。このプロジェクトを広める時に、確かに人手が足りないと感じ、男性同修も「地元の男はみんな何処に行ってしまったのか?」と溜息を吐きました。人手は確かに足りません。やる事が多くてプレッシャーが大きい時、私の頭にはいつも引退しよう、もう第一線から退こうと考え方が現れてきました。これは安易心が妨害していると自分もはっきり分かっていますので、私は出来るだけその気持ちを排除するようにしました。しかし、長年が経っても、この物質がまだきれいに取り除かれず、チャンスがあれば、それが噴き出してしまいます。時には自分をうまくコントロールできなくなり、邪霊に操られて怒ったり、これもあれも責めたりもしました。 

 例えば、ある日、突然翌日地方に行くようにと知らせを受けました。その時ちょうど娘と娘婿は国外に出発する前でした。今度の海外生活は長く、しばらく帰れないそうでした。向こうのご両親は翌日の昼頃、私達の二家族が一家団欒で食事を取ることを決め、明後日の夜、子供たちを送り出そうとしました。どうしたらいいでしょうか?私は「大法のことを優先して、地方に行く」と思いました。私の考えを子供に話したら、娘はすぐに爆発して、きつい言葉を吐きました。母も兄も子供の事を先に処理してから出かければいいと勧めてきました。私も向こうのご両親が真相をよく理解しておらず、未だに三退をしていないことを考慮して、今度の顔合わせも真相を伝えるチャンスだと思い、もし軽率に約束を破れば、大法に対する誤解を招くことになりかねないと思いました。どうしたらいいでしょうか? 誰か私の代わりに行けるでしょうか? と思いました。私は協調担当の同修を探しに行きましたが、同修は留守でした。私は怒りを抑えて、最寄りの友達(同修)の家に行きました。家に入ると、私は怒りが爆発しました。協調担当の同修は私に思いやりがないとか、同修は私に依存しているとか、なんでもこのお婆さんの私に任せるとか、思い切って言いました。しかし、同修は私の爆発が終わるのを待って、「これはあなたが高めるチャンスかもしれない、あなたがどう対処するかを見るのではありませんか」と言いました。同修の言葉は私を落ち着かせました。家に帰った後、私は自分の振る舞いをじっくり見つめ直しました。自分はすでに邪悪に隙に乗じられて途方に暮れているではありあませんか。私はなぜこんなに馬鹿でしょうか。なぜ師父にお願いしないのでしょうか。翌日、私は約束の時間に着いて、同修にどうしても午前に行かなければならないかと聞きました。彼は知らないと言いました。私は電話番号を教えて貰って電話をかけ、時間を確認したら、当日に行けばいいとの答えでした。私はこれでやっとほっとしました。私は約束通り宴会に出席できたため、みんなは喜んでいました。地方で用事を済まして、急いで子供の見送りをする時間に間に合うよう、私はタクシーで戻って来ました。子供達は駅まで車で私を迎えに来ました。娘婿は私を見て、「凱旋ですね!」と言って、私は「このバカ息子、お母さんをからかう気ですか?」と言って、みんなは笑いました。 

 この事の後、私はなぜ自分が何度も心性を守りきれないのか、この執着心を取り除けないのかを反省しました。やはり、決意が固くなく、精進する意思が強くないことによるものだと思いました。もし常に修煉者の基準で自分を厳しく律することができれば、100パーセント師と法を信じることをやり遂げれば、その結果はきっといいものに違いありませんと思いました。 

 目つきの警示 

 数年前のことをよく覚えています。ある日、私は同修と一緒に真相伝えに行きました。ちょうど同修のお店を通りかかったため、店内に入って、しばらく雑談をしました。同修は私が変わった、優しくなったと言いました。私は修煉をすれば、人が変わると言いましたが、同修は「以前、あなたの目には殺気が満ちていましたよ」と言いました。この話は私に労動教養所で迫害された時のことを思い出させました。私は邪悟の人を敵視し、蔑視しました。この人たちは大法を破壊する悪魔だと思いました。警官は私を「転向部屋」に配置しました。私は心にはすでに成算があり、彼女たちと勝負しようと思いました。しかしこの五人の「転向員」は2日間に、私に何もせず、ただ生活の面から私の世話をしました。3日目、私は反対に彼女たちを「転化」させようとしました。彼女たちは私に無茶なことを言わず、しかもとても協力的でした。二日後、反発する人もいれば、私に師父の経文を貰って読みたいという人がいました。しかし私の内心ではやはり彼女たちを軽蔑しました。 

 師父の経文『提案』が発表され後、私はやっとこのような人をどう対処すればいいかが分かりました。「転向」を反対する中で、回り道をした同修を済度しなければならないと分かりました。師父の後期の法を絶えず学習するにつれて、私は法に対する理解を深め、心性も絶えず高まり、回り道をした同修に対する態度も次第に変わりました。そのため、他の人は私の変化を察知しました。これも「実は物質と精神は同一のものです」[1]ということを証明しました。 

 最近、ある交流会で、ある同修は私の目つきに党文化のものがあり、また彼女に対する喋り方はとてもきついと言いました。この前、私も彼女の話を聞きたくないと気づきました。彼女は表現力が低いのに、なんでも分かるように見せびらかして、また何回も話が本題から外れることがありました。私は彼女を軽視する気持ちが強く、彼女と接したくないと思いました。しかし、彼女はいつも私にくっついていました。私は、このように人を軽視するのが嫉妬心であって、取り除くべき人心であると分かっていますので、私は自分の情緒を抑えようとしました。また、彼女の人間の一面は確かに不器用ではありますが、しかし彼女の神の一面は高く、神聖かつ純潔であるとも思いました。同修のこの縁を大切にすべきだと思いました。しかし彼女がしゃべると私はイライラしてきます。私の心の中で絶えず「それは私ではない。滅します。滅します」と言いました。私がどんな態度で彼女に対応しても、彼女は相変わらず私のところに来ました。他の人は「あなたの人心を取り除くよう彼女は手伝っている」と言ってくれました。私は昔から人の印象を重視する傾向があると分かっています。このような情はずっと私を束縛して、それを放下するように努力しました。しかし、それは口だけに過ぎず、内心では徹底的に捨てていませんでした。なぜなら、それは自分を実証することの表れにすぎなかったからです。もし私は本当に自分を放下できれば、低く自分を評価し、高く同修を評価することができれば、この頑固な人心はとっくに取り除かれていたしょう。私は心から同修が私の執着心を除去するために払った代償に感謝します。 

 ある日、同修が私の家に交流しに来ました。その時、私は何人かの同修と法を学んでいました。彼女は腰を下ろして、すぐに私たちが同修を救助する出発点に問題があると指摘しました。彼女がしばらく発言した後に、私は分かりました。彼女は私達がうまく対処できず、大きな誤りを招くことを心配していました。私は落ち着いて聞きました。少しも彼女の激しい情緒に動かされませんでした。私は彼女に状況説明をした後、彼女も落ち着き、安心しました。同修は言葉が激しい時、私達は誰も喋らなかったのですが、ある同修だけは側で口添えをして、火に油を注ぎました。私は心の中で、「本当に事を成し遂げる力はないが、事をぶち壊す力は十二分にある」と思いました。しかし、直ちに、これが私ではありませんと気づき、その気持ちを出来るだけ排斥しました。「同修の縁を大切にしなければならない、私たちはすべて天から降りてきたもので、人間のこの振る舞いを重視してはいけません。それを滅します」と思って、気持ちは静まりました。それから私たちは法を引き続き学びました。正午12時に発正念をしてから、同修はみんな帰りました。私は小さな声で個別に彼女に「あなたは情況をよく知らないので、あまり厳しく求めないでください」と言いました。彼女はまったく理解していない様子でした。私は自分がまた間違ったと気づきました。私は自分に向かって探さないで、また他人の問題を探しました。夜、私はこの煩わしい心をひっきりなしに排除しました。私を支配し妨害したこの頑固な疾患は、だんだんと溶けてしまいました。私の心は広く明るくなりました。翌日再び同修に会った時、私はみんなの前で彼女に謝りました。 

 意志を魔煉する 

 協調する中で、物事に対する処理の仕方について、こう言う人もいれば、ああ言う人もいます。また、こう見るべきだ、ああすべきだとも言われます。時には本当になかなか決断つかない時があります。数年の魔煉と学法によって、私は次第に何をすべきかを分かるようになり、自分が正しいと思うことであれば、最後までやり遂げるようになりました。例えば、病業に陥っている同修の関門突破を手伝う時、まだ出てきていない同修を引っ張って行く時、警官に不法連行された同修を救援する時、これらのことは全部みんなの協力が必要で、多くの人力と金銭を投入しなければなりません。協調の中で、困難に出逢ったら、共に法を切磋琢磨し、共通の認識を形成し、手を携えて進み、絶えず交流します。また内に向けて探し、自分をよく修め、気持ちは次第に安定してきました。問題解決の効果もますます良くなりました。 

 一昨年、私達は外に出ていない同修Bを助けました。彼女は2000年に不法拘禁され、黒巣から出てから、植物人間になったとの噂がありました。10年来、彼女は誰とも接触せず、誰にも会わず、更に家から出ませんでした。2011年になって、同修は彼女が心身とも健康で、全く正常な人だと分かりました。かつての学法チームの同修は彼女を探しに行って、旧勢力の手配を徹底的に否定し、正々堂々として法を実証して欲しいと伝えました。しかし、彼女の振る舞いは同修を失望させました。一部の同修はすでに彼女に自信を失いました。私はその話を知ってから、彼女を助けなければならないと決め、もとの学法チームの同修と何度も交流して、必ず彼女に出て貰うようと信念を固めました。障害物を一掃するため、私たちは先に彼女の妹さんと話しました。妹さんも同修で、Bさんは彼女の家に住んでおり、私達はいかなる機会をも利用して妹さんと接触して交流しました。そしてお姉さんと似た経歴を持つ同修に、我が身をもって話をしてもらいました。その後、私は地方からBさんの同郷や学友を探して来て、Bさんと面会をさせました。こうして、私たちはやっとBさんと会えるようになりました。その時のBさんの状態は完全に邪悪に操られ、大声で私達と話し合う勇気もなく、他の人の家にいても、彼女は私たちの耳元で話をしました。私達は息が苦しかったのです。その後、また突然私達に会わなくなりました。私達は進んで彼女の家に行きました。またBさんと一緒に苦難に陥った同修を連れて行きました。だんだん彼女は自分の殻を突破し始めました。私達は、鉄は熱いうちに打てと思い、彼女をある老年同修の家に泊まらせ、集団学法に参加させまるように手配しました。1週間後、彼女は夜に出て、真相資料を配るなどのことが出来るようになりました。それから昼間も三退を勧めたり、真相を伝えたりして、さらにパソコンも使えるようになりました。これは全部で4、5カ月かかりました。何度もの困難の前で、全く望みがないような状況の中、私たちは堅持して突進してきました。 

 数年来、私は継続して不法連行された同修の救援プロジェクトの協調をやってきました。素人の状態からだんだん出来るようになり、外の立場から中の立場になり、他人ばかり見るから状態から内に向けて探すようになり、憎しみから慈悲済度へと心が変わりました。最初の頃、師父がおっしゃった「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです。」[2]と「内に向けて探す」の法理を分かっていながら、しかし実行すると、いつもあれもこれも他人のせいにして、発正念もただ迫害を減らすためで、内心では本当に旧勢力の手配を否定しませんでした。行動上も適当で、できるだけ漏れがないように、なるようになると思っていました。心を込めてやっていませんでした。同修はみんな発正念に参加していましたが、効果が非常に少なく、全体の意識は高まっていませんでした。 

 その後、各地ではみな正義感のある弁護士を雇うようになり、ネット上の交流文章も多くなりました。私はそれを真剣に読み、地方の成功の経験を参考にしました。特に去年、私の地元も正義感のある弁護士を雇い始め、私たちは観念を変えること、自分をよく修めることに重心を置きました。私たちは出発点をきちんとし、過程を重視して結果を求めず、全体意識を強め、一歩一歩をすべてしっかりと行いました。また、「観念を変えて全体的に協力する討論」を広げ、本当の法を正す期間の弟子になるようにしました。 

 この過程では、私は師父が法を正す期間の修煉の中身について、さらに理解を深めました。私は自分がその中に溶け込んだと思いました。心性の向上によって、今年の救援プロジェクトを担当する同修は、みんな純正な気持ちが保たれ、今までのようないらつきや、怒りっぽい状態がなくなりました。何事も内に向けて探し、他人のことを気にせず、相手の立場に立って問題を考えるようになり、法に基づいて問題を見るようして、根気よく同修を助けました。 

 連行された同修の家族も同修ですが、長年独修の状態にいて、しかも精進していませんでした。今回、身内を救助する中で、彼女は完全に情に陥って自力で抜け出すことができませんでした。問題を見るのも考えるのもすべて人心でした。私は救助グループの同修と一緒に、彼女と法を学んで交流しました。誰ひとりも彼女に対して焦ることをしませんでした。1カ月の協力で、彼女にあまりにも大きな変化が見られました。何かあれば、彼女は同修と相談して、謙虚に同修の意見を聞き、だんだんと何事も法を優先に考えるようになり、人を助けることを第1位に考えるようになりました。また、彼女は同修と共に、警察・検察・裁判所の人に真相を伝え、善を勧める手紙を送り、同修達ととてもよい協力関係を持ちました。 

 救助時間が長いため、一部の同修は次から次へと救助チームを離れました。私は時間に執着してはいけない、この時間を利用して多くの人を助けなければならないと思いました。私はそれぞれのプロジェクトチームの協力関係を作りました。電話をかける人、手紙を出す人、暴露文を書く人、終日発正念チームを作り、時間を決めて近くで発正念をし、地方週刊新聞を出す人などを決めました。そして根気よく何人かの中心的な役割を果たしている同修と交流を続けました。私は「私達が今為したことのすべては、他空間では正義と邪悪の戦いとなっています。私たちは決して出陣間際に脱走してはいけません。私たちは必ず最後までやり遂げ、徹底的に邪悪を解体して、広範囲で衆生を救わなければなりません」と言いました。彼女たちも、私の観点にとても賛成してくれました。私達のずっと阿吽(あうん)の呼吸で、よく協力しました。私たちの心性と次元も大幅に高まりました。 

 この2年来、私はいくつかのすべき事をやってきました。しかし真相伝えにおいては、まだまだ足りないと思っています。私はずっと2台の携帯電話を使って真相を伝えていますが、しかし面と向かって真相を伝えたり、真相資料を配ったりはあまりしていません。改めて考えてみれば、時間がないのではなく、やはり自分はしっかりと掴んでおらず、時間と機会はいつの間にか流されてしまいました。それを思い出すと、とても心を痛めています。やはり安逸心と満足心が妨げていると思いました。これも私がずっとぐずぐずして筆を執りたくない原因だと思いました。しかしこの機会はとても貴重だと感じています。師父は私達を見ておられます。師父に申し訳ないことをしてはいけないと思って、やっとこの交流文を書き、師父にご報告するようにしました。師父に了察されたいと思います! これから、私はかならず師父に立派な答案を提出するように致します! 

 師父にひざまずいて拝みます! 

 (完) 

 (明慧ネット第10期中国大陸大法弟子修煉体得交流会原稿) 

 

注: 
[1] 李洪志先生の著作『転法輪』 
[2] 李洪志先生の著作『各地での説法二見解』「二〇〇二年のワシントンDC法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/12/281573.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/27/143406.html)
 
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