文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年1月13日】私は今年74歳です。少年の頃、家族の中のお年寄りから、こんな話を聞いたことがあります。清朝の最盛期、赤峰(地名)と河北との境界地域に、190数歳の杜という姓のラマがいました。とても若くて血色がよく、声が鐘の音のように力強く響いていたそうです。この歳、康煕帝は狩猟してキャンプを立てて休んでいる間、このラマを召喚して、何をしているかを聞きました。ラマは皇帝から宣旨があり、すべての僧侶に托鉢して金を溜めさせ、承徳府でチベットのポタラ宮を真似てお寺を立てると言いました。康煕帝はまた聞きました。「どのくらい溜まりましたか?」ラマは、人が少ないため百両にも達していないと答えました。康煕帝はまた聞きました。「いつまでに十分の金を溜められますか?」ラマは「容易なことではありません。私はもう年を取りました・・・」康煕帝は少し考えて、「そうですね。ではこれはどうですか? ここの(当時狩猟の場所の付近に、倒栽柳という小さい場所があった)50シャンの土地をあげましょう。あなたの僧侶と子孫を連れて田んぼを作り、できた農作物を売ったお金を納めましょう」と言いました。そして、ラマは皇帝のおっしゃった通りに、お金を納めてお寺を立て、承徳ポタラ宮が完工したとき、ラマは100歳を超えました。
ラマが他界へ行く前、兄弟三人をそばに呼び、「わしはもうそろそろ他界へ行くから、お前達は必ずこの家をよく管理できるように。贅沢せず、残りのお金を全部納めなさい。この家は三代しか維持できない。それから大きく変わる。これから何があっても仏を信仰する心を変えてはならない。お前達は必ず伝えていきなさい。これから各世代に一人、4人の男の子を持つ家があり、一人は子孫がいない。畑に牛がいなくなり、糞の代わりに白い粉を撒くときになったら、東北の方向で、李という姓の聖人が転輪佛法を伝える。その時、家にはラマがいなくなり、一人が転輪法を得ることができる。男女問わず、他人名字の花嫁ではない。これは簡単なことではない。福があり、縁がある人でなければ駄目だから。時代が変わっても、悪い事をしてはならない。忘れずに義務を守りなさい」と言い残しました。
それから本当に世代毎に男兄弟が4人生まれる家がいて、子孫がいない家がありました。近代になると、私の曽祖父の世代は三男に子孫がいませんでした。おじいさんの世代では次男に子孫がいませんでした。父の世代では末子の四男に子孫がいませんでした。私の世代では長男に子孫がいません。ちょうど九代目になります。私は幸いに法輪佛法を得て、すべてが当たりました。
80年代の初め、会社は私に気功を学びに行かせ、帰ってきたら社員に教えてほしいと言いました。しかし、鹤翔桩、鸭子功など種類は豊富ですが、どれも本物ではないと思い、習わずに帰ってきました。その後、妻が親戚の家へ行った時、たくさんの人が法輪功をやっているのを見かけ、妻も試しにやってみました。動功をやる時、とてもリラックスしたと感じ、エネルギーも強く、音楽も綺麗でした。当時、大法の本はまだとても足りなかったのですが、妻は一冊の『大圓満法』を持ち帰ってきました。私は素早く読み終えました。功法功理がとても詳しく書かれており、今までの気功では言及したこともない内容でした。
私は初めの頃、煉功点へ行かずに『大圓満法』に照らしながら学びました。煉功するとすぐに頭から熱いエネルギーが全身まで流れてきて、これは師父が自分を弟子として認めてくださったと分かりました。2日後、妻が煉功点から一冊の『転法輪』を持ち帰ってきました。本の名前もとても珍しくて、一気に午後の4時から次の日の午前9時までかけて一回読み終えて、これは天に昇る本だ! と分かり、気持ちはとても感激しました。同時に小腹部の中が動いていると感じましたが、痛くはなく、これは師父が法輪を与えてくださったと分かりました。
法を得る前、高血圧、高コレステロール血症、冠動脈性心疾患、不整脈、珪肺、慢性関節リウマチ、慢性胃炎などを患っていました。法を勉強し煉功してから2カ月足らずで全部治り、病気のない体は軽くて、70数歳の私はどれだけ山を登っても、顔が赤くなり息が続かないことはありませんでした。検査の時、お医者さんは私の心臓が三十歳だと言いました。
『転法輪』を読むとき、超常的な現象が現れ、字が列を並んでいるように、全部列ごとに立っていて、字の間から色の違う光が発していました。
煉功してから2カ月目、夜寝る時、心の中は全部分かっているが、しかし体が動けなくなり、左の胸が開いたように感じました。しかし痛くはなく、心臓の部分をしばらくかき回され、それから元に戻して、手で撫でたような感じでした。この時目が覚めました。とは言っても実は全然寝ていませんでした。何もかも分かっていながら、動けない状態でした。これは師父が手術をして私の心臓を治してくださったと理解しています。大体半月後、やはり夜寝ている時、分かっていながら、動けない状態で、法輪が全身上下左右を回って、回る音も聞こえました。ずっと2002年の年始までそのようなことがありました。その間、私は時々感動して泣いて、理由なく涙を溢しました。
次は2008年4月の事です。用事があるため友人の車に乗って市内へ出かけて、一つ急カーブを曲がるところで、一台の大型トラックと一台の大型農用三輪車が衝突したのを見えました。トラックは石坂にぶつかり、ガラスは全部割れて、運転室は潰れて、顔が血だらけの運転手は気を失っていました。農用車はトウモロコシをいっぱい乗せていて、後ろの車輪がコンクリートの柱に挟まり、前輪が2メートル離れたところでぶら下がって、車輪がまだ回っていました。約5分後、運転手が運転室から降りてきましたが、震えながらボウっとして、まだ意識が戻ってないようでした。しばらく経つと、上着のボケットから大法のお守りを取り出して、大声で泣きながら、「法輪大法は素晴らしい。大法の師父が守ってくださったお陰です!」と叫びました。
四人の警官がこれを聞いて、一人が聞きました。「法輪功を修煉しているのか?」運転手は、ある法輪功を修煉しているおばさんがこのお守りをくれて、法輪大法がいいと念じていたら、危ない時は助けてくれ、福が訪れると言ってくれた、と言いました。四人の警官は何も言うことなく、互いに目を合わせました。しばらく経つと一台の大きな車がやってきて、ロープで三輪車を路上に戻しました。運転手は車に乗って去っていく時、大きな声で、帰ったら私も法輪功を修煉すると言いました。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/15/143627.html)