師父を固く信じ 5年間の刑務所生活を乗り越える(二)
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2014年2月16日】前の文へ)     

 「師父のおっしゃる通りにします!」

 この5年間、私は高血圧、心臓病のために20数回入院しました。また、そのうち何度か瀕死の状態にも陥りました。しかし、私の心の中に「私は真に修める弟子で、私に病気などあってはならない」との一念がありました。ですから、私は現在まで一度も薬を飲んだことはなく、注射をしたこともありません。私は医師に「脳溢血」や「心筋梗塞」を起こす危険性があると言われても無視し、「私の命は私が責任を持ちます」と言いました。私が治療に協力しないため、医師に「私は薬を飲みません。死んでも自分の責任です」などの書類に署名するよう要求されました。私は医師に迷惑をかけたくないので、「大法弟子はどんな状況下でも、他人を優先に考える」と伝え、病院に行けば、毎回必ず署名しました。署名はすでに2冊のノートになり、またたくさん貼り付けたページもあって、とても分厚くなりました。私はいかなる治療も受けていませんでしたが、死ぬこともなく、生きてくることができました。しかも医学的に、二度の「突然死」を乗り越え、大法の不思議さを実証しました。師父がおっしゃった「『佛法』はこの上なく奥深いものであり、世のあらゆる学説中、最も玄妙かつ超常的な科学です」[3]を実証しました。

 刑務所での毎日は、思いがけないことがいつでも起きる可能性があります。私は週1回の刑務所の規則の学習会に参加しないどころか、ぐっすり寝ていました。彼らは学習の場所を寝室から活動室に移しました。その時、私は内へ向けて探しました。どうして邪悪はまた私を迫害したのか? 私のどこに問題があるのかを考えました。歓喜心、顕示心、発正念を重視していないなどの執着心を見つけ、ベッドの上で発正念をしました。その時、大隊長がドアを蹴って開け、私の名前を呼びながら、「学習会に行きなさい」と言いました。私は「私は罪を犯していないので行きません。私は『申し立て』期間中なので、どうして私を犯罪者扱いにするのですか?」と言い、また寝ようとしました。彼女は返す言葉もありません。とても腹立たしそうで、帰る前に「今月はもう何も買えないよ」と言いました。

 その時、私の脳裏に「私は師父のおっしゃる通りにします」との一念が閃きました。それはきっと最も良い結果になると思い、私は安心して寝ました。結局、私の予想通り、私の帳簿は止められないだけでなく、100元を増やしてくれました。これで、また大法の不思議さを実証しました。

 「邪悪は大損をしましたね」

 5年間の刑務所生活は本当に長いものでした。毎日が薄氷を踏むようで、自分の一時のうっかりしたミスを気にして、大法にマイナスの影響を与え、自分の修煉に魔難をもたらします。しかし、私の固い正念は一度も変わったことがありません。「師父は私の傍にいらっしゃいます。師父は私の修煉の道に伴ってくださっています」。私が絶望状態の時、私はいつも「師父、お助けください!」と叫びます。その結果はすべて最良でした。

 関門に出遭った時は、私はいつも師父の法「ですから、あなたがぶつかった魔難はちょうど、あなたが向上する機会であり、内に向けて探すことができれば、それはまさにあなたが難関を乗り越え、新しい状態に入る機会になります」[4]を暗唱しました。私は内に向けて探しながら、発正念をし、大法の不思議な現れを待ちました。師父は毎回私に最も良いものをくださるのです。私は師父の法に頼って今日まで歩んできました。そのため、私は毎日大量に法を暗唱し、正念を発して、常に正念で一切の邪悪の解体に備えています。ここの警官はみな私を「面倒な人」と思っています。同修は「邪悪はあなたを刑務所に入れたことで大きな損をしましたね」と言いました。

 1日4回の発正念で、3回は問題ないのですが、夜中の12時にはなかなか起きられませんでした。しかし、私はいつも誰かが私を呼んいるのを感じて、大体起きてしました。しかし、邪悪の黒巣の中、その空間場には邪悪が多く、発正念を堅持しても、効果はあまり良くなく、ちょっとうっかりすると15分がすぐ過ぎてしまいました。しかし、どんなに大変でも、私はやり遂げなければなりません。。

 出所まで後2カ月の時、受刑者たちは涙を流し、彼女たちは「あなたが行ってしまえば、私達はどうすればいいのでしょうか? 誰が私たちに正しいことを話してくれるのでしょうか。ここでの生活をどう過ごせばいいのでしょうか」と言いました。一方、刑務所の警官も頻繁に動き出し、彼らは「610」と共に、私を「省の洗脳班」に移送しようと企みました。省の洗脳班から「講師」が派遣され、私に会いに来ました。彼は私に会うと「間もなく出所する犯罪者に対して私達は全てに会いに来ます」と言いました。私は「誰が犯罪者ですか? 私は何の罪を犯しましたか?」と聞きました。彼は「これについてはもう話しません」と言い、「あんたは出所した後、何をするつもりか?」と聞きました。私は「申し立て!」と答えました。彼は「あなたは書いてください。その日、私は表門であなたを待っています」と言いました。私は彼に「あなたは何をする人ですか?」と聞きました。彼は「その時になれば、分かります」と言いました。邪悪は私がこのまま出所することを諦めておらず、引き続き私を迫害しようとしました。彼が刑務所の大隊長に私を連れて帰らせようとした時、私は邪悪の言う通りに従うことはできない、すべての邪悪を否定しなければならないと思い、私は彼に、「駄目です。私は帰りません。私には話したいことがあります」と言いました。彼は「5分間与えるから、言いなさい」と言いましたが、私は「足りません。話す時間を制限するのはおかしいです」と言いました。彼は仕方なく、「じゃ、言いなさい」と答えました。その時、私は心臓発作が起こり、手足が痙攣し、声が出なくなりました。「講師」は驚いて、急いでその場を逃れました。緊迫して救急処置が始まり、部屋の中は混乱して、「講師」は廊下に立ってその様子を見ていました。30分後、部屋の中はようやく落ち着きを取り戻しました。「講師」もこっそりと去って行きました。洗脳班の迫害はこうして解体されました。

 正々堂々と出所する

 2カ月後、私は出所しました。私が出所する時、地元の派出所の警官、地区の住民委員会の書記が私を派出所に連れて行き、署名させようとしました。その日の朝、私の頭はずっと衝撃を受けていました。同修たちは刑務所の表門の前で私のために発正念をし、エネルギー場は私の全身の細胞を衝撃し、動き出しました。私は同修たちが私を加持しているのが分かりました。同修と家族が20人ほど来ているのを見て、私はこんなに多くの大覚者がいて、邪悪に何ができるかと思いました。私は、師父が「彼らには動く勇気がありません」とおっしゃっているのが聞こえました。師父が私を家まで導いてくださっているのが分かりました。同修たちの正念の下で、私は家族の車に乗り、刑務所を出ました。この時、地元の警官と住民委員会の書記はやっと気づき、家族に私を出せと脅迫しました。

 このようにして、私は正々堂々と2回目の刑務所の苦難を通り抜け、一路、落ちぶれて放浪の身となり、その道は曲がりくねったものでした。しかし、その間、私は100人近い人を三退させ、これらの衆生を救いました。時には、本当に難しすぎて、私はよく涙を流しながら、「師父、私はもうこれ以上耐えられません。私は潰れそうです」と師父に頼みました。しかしその時、師父はいつも私のために引き受けてくださったことを思い出し、もうこれ以上、師父にお願いしてはいけないと思いました。これはすでに最も小さい難に過ぎず、私は耐え続けなければなりません。なぜなら、師父は私たちに最も近道を按排してくださっているのですから。私は涙をこらえて、正念を発し続けました。

 私が初めて不当に判決を下された時、同案件の男性の同修は15年の刑を言い渡され、刑務所に入れられて2カ月後、無残にも打ち殺されました。2回目に入所した時、私と同時に入所した女性の同修も、3年後に迫害され、死亡しました。同修の訃報を聞いて、私はとても悲しく、「なんと良い同修だったのでしょう!」と思いました。同時に、私も知っています。私が拘禁された時、地元の同修、国内外の同修はみんな私に極めて大きな関心を寄せてくださり、加持をしてくださいました。その上、師父は常に私の傍にいらっしゃいました。師父のご加護と同修の助けがなければ、私は今、師父にご報告したり、さらに同修と交流するなど、とても考えられません。私が生きて刑務所から出てくることも不可能なことだと思っています。この機会を利用して、私に関心を持ち、私を助けてくださった国内外の同修に深い感謝の意を表します。

 修煉を始めて今日までの14年間を振り返ると、その中の7年間は刑務所で過ごしてきたのです。私は一家離散の苦しみを経験しました。しかし7年間の地獄のような生活の中で、私は師父と大法に対して疑ったことは一度もありません。私は「信じる」ことによって、この星にかつてない邪悪な時期を歩んできました。「信じる」ことによって、私は邪悪を震え上がらせる法を正す道を歩んできました。師父の「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[5]の法理を体得しました。

 師父は私達に教えてくださいました。「大法弟子は宇宙で衆生を救い済度し、この最後の複雑な社会環境で衆生を救い済度しようとしており、皆さんに考えてほしいのですが、どれほど難しいのでしょうか? 皆さんがその難しさを目にしたら、本当に目にしたら、それはあまりに恐ろしいことだと分かるのです。しかし、大法に従い、師父が皆さんに教えた通りに行なえば、皆さんに歩む道があり、誰も妨害することができません。しかし、この道は非常に狭く、非常に正しく行なわなければならないほど狭いのであって、そうしてはじめて、人を救うことができます。非常に正しく歩んではじめて、問題が起こらなくなるのです」[6]

 人類の言葉を尽くしても、弟子は師父の広大な佛恩に対する感謝の意を表しきれません。人類の言葉を尽くしても、師父の慈悲なる済度を表現しきれません。ここで私は偉大なる師父に跪いて深く拝します。

 今、師父のご加護のもと、同修の助けのもとで、私は新しい環境にきました。ここで、私はこれまでと少しも変わらず、師と法を信じ、全力を尽くして衆生を救い済度し、師父と大法に報います。私は大法を心にしっかり入れ、衆生を手の中に置き、法を正す師に手伝い、師父について家に帰ります。

 次元に限りがあります。体得したことを謹んで同修と分かち合いたいと思います。合掌

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [2] 李洪志師父の経文:『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」
 [4] 李洪志師父の経文:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『転法輪
 [6] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/1/9/285442.html)
 
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