文/河南省の大法弟子 遠縁
【明慧日本2014年2月23日】私が小さい頃、父親のある同僚はよくわが家を訪ね、古今東西、さまざまなことについて父親と議論していました。この人は修行をしていて、かつて私たちにこのように話したことがあります。「将来、世の中は乱世となり、姓が『李』という人しかこの世を救うことができません。これは天機であり、誰にも言わないで下さい」。 当時、私はその意味が分かりませんでした。後に法輪大法を修煉し始めてからやっと分かりました。師父は宇宙を救い、衆生を救いにいらっしゃっています。
1998年11月7日は、私が法を得た日です。その前日、私は夫と喧嘩をしました。すでに修煉している姑から大法を修煉するよう勧められ、修煉すれば性格が良くなると言われました。姑は普段から私に良くしてくれており、私は面子の関係で断れず、適当にやってみようと思いました。師父の説法を聞きに行く途中、私は突然心臓の痛みを感じ、呼吸がし辛くなり、腰を下ろしました。姑は言いました。「立ち上がって歩けば、大丈夫ですよ」。私はそれに従い、立ち上がって、「行きましょう」と言いました。思いもよらなかったのですが、その一言で、全身の不快感が消えてしまいました。そしてその日から、私の心臓病や不眠症は全て治りました。
私の娘は小さい時から体質が弱く、一冬に2回も急性肺炎にかかり、気管支炎が持病でした。娘は4歳の時に私と一緒に法を得て、その日からとても学法が好きで、毎晩私に法を読み聞かせてほしいと急かします。ある夜、娘は寝てからずっと咳をして、顔が真っ赤になり、起きては寝て、その繰り返しです。名前を呼んでも見向きもせず、長く咳をしてから横になって寝ました。時計を見ると11時でした。翌日、私は娘に、「今日、幼稚園に行くの?」と聞くと、「行く」と嬉しそうに答えました。午後、私はどの親よりも先に幼稚園に迎えに行き、先生に聞きました。「うちの子は今日、咳がひどかったでしょう」。 先生は不可解な顔で答えました。「咳? 咳は全然していませんでしたよ」。私は不思議で一瞬、呆然となりました。夜になると、娘はまたもや前の晩と同じく、寝ては起き、しばらく猛烈に咳をしてからまた寝ました。時計を確認すると、昨日と同じく11時でした。このような状況が5日も続いてから、娘の気管支炎が完治しました。私は娘に夜の咳のことを聞いたことがありますが、娘は全く自分が咳をしていたことを知らないと言いました。その後、私は悟ったのですが、慈悲深い師父は子供に辛い思いをさせないで、業を消してくださったのです。夫と私はこの件の証人です。娘はそれからの13年間、病院に行ったことがなく、薬も服用したことがありません。
2000年の冬、私は北京の天安門に大法を実証しに行き、戻ってから会社にホテルに監禁され、翌日に処分されることになりました。私は迫害を受けたくなく、夜中に二階から飛び降りて、無事に着地し、家に戻りました。師父のご加護により、私は当時の恐ろしい迫害から逃れることができました。
2004年の夏、私の舅が入院しました。舅は真相を知らず、大法や師父を罵ったことがあります。夫は私に、「お父さんを助けてあげて下さい」と言い、夜、私達は舅の世話をするために病院に行きました。隣のベッドのおじさんはすでに何カ月も動けず、全身が骨と皮ばかりに痩せこけて、意識だけはまだあり、流動食で命を繋いでいました。私は彼の介護者に大法の真相を伝え、何時間も話し、その介護者も私の話に賛同し、舅も静かに聞いていました。突然、夫は私に、「早く見て、おじさんが聞いていますよ」と言いました。私は彼の耳元で囁きました。「おじさん、さっきの私の話をお聞きになりましたね。心の中で『法輪大法は素晴らしい』『真・善・忍は素晴らしい』と暗唱すれば、私の師父はあなたを救ってくださいますよ」。
翌日、私たちが舅の見舞いに行った時、遠くから病室の音がすぐ聞こえてきました。泣いているのかと思えば、笑い声も聞こえ、病室に着いてから分かったのですが、あのおじさんの手足が動くようになったそうです。私は本当に心の底から彼のために喜びました。1カ月後、夫の兄が舅の薬を取りに病院に行って帰ってから言いました。「奇跡です。あのおじさんは松葉杖をついて病院の庭を歩いていました」。これは師父が真相を伝える効果を私に見せ、私を励ましてくださったのだと悟りました。その後、舅は大法に反対せず、ずっと黙々と「法輪大法は素晴らしい」と暗唱しています。『九評共産党』が出版されてから、私は人々に三退を勧め、真っ先に三退したのは私の舅でした。