文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年1月21日】私は1997年に法を得ましたが、その後遊びに夢中になり、苦をなめることを恐れ、修煉を一旦諦めました。しかし、師父は私を見捨てず、ずっと見守ってくださって、大法と再び縁を結んでくださいました。
1997年、中学に入った私は、母が大法弟子だったため、幸運に大法の道を歩みました。学法を通して、真・善・忍とは何かを少し理解できて、いかによい人になるかも知りました。日常の生活の中で、徐々に真・善・忍の基準に基づいて行なうことを学びました。そのため、友人からみた私はよい同級生であり、大人からみると善良な子供でもありました。
修煉を放棄して自分を失う
2000年のはじめ、私は遊びに夢中になり、だんだん法から離れ修煉を放棄してしまいました。修煉をやめると、私の心性も落ち始めました。最初は自分の言行に注意を払わないことから始まり、だんだん汚い言葉を使い始め、煙草を吸いお酒も飲み始めました。更にいけなかったのは、ロックを聴き始め、髪の毛も長く伸ばし、タトゥーを入れ、耳に穴をあけアクセサリを付け、ギターを弾きながら無茶苦茶に踊ったり、家の壁に落書きして、完全に自分を放縦してしまいました。魔性を助長しているのに、かえってそれが恰好よいと思いました。
両親はなんとか大学へ行かせるお金を溜めてくれました。しかし、大学では勉強をしない上、無断欠席して、ゲームで遊んでお金を無駄にしました。毎日夜も寝ないでゲームをして、昼は寝っぱなしでした。学業も両親の苦労も無視し、良心をなくして麻痺した人間になってしまいました。
卒業後、両親がお金を出して、北京へ出稼ぎに行かせました。技術が上達するにつれ、稼ぐお金も多くなりましたが、家の状況を考えずに、無駄遣いをしました。その後、心に残っていた最後のわずかな道徳もなくし、彼女と同棲しては別れ、また彼女を探しました。私の性格も乱暴になり、非常に利己的になり、いろんな欲望が強烈に私を左右しました。同時に私の体にも病状が現れ、ずっととてもよかった視力が下がり、背骨が曲がり、心臓も突然P-R間隔が現れ、また鼻炎にもかかりました。
自分がこのような人間になっても、師父はずっと私を見捨てることなく、私によい人になり、真・善・忍の師父の教えを思い出させてくださいました。思い出すたび、恥ずかしくていられなくなり、心の中では自分の行動に後悔を覚えました。
放蕩息子の帰還
2011年、北京から故郷へ戻りました。母と親戚の同修との交流の中で、自分が行なった過ちを深く後悔して、もう一度大法を修煉することを決意しました。
法輪大法の修煉を再び始めた後、各方面で、できるだけ真・善・忍に基づいて行なうように要求しました。その後私の心身に大きな変化がありました。十数年吸っていた煙草を一気にやめることができ、全然吸わなくなりました。体の病状もなくなりました。道徳の向上は最も明らかで、大法の真・善・忍に同化した私の内心は清らかで純粋になり、嘘と汚い言葉を口にする悪い習慣もなくなり、以前両親のことも考えず、非常に利己的だった私は、常に父母と年配者を尊敬し、親孝行をするように心がけています。今の私は他人と名利を争うこともなく、色々なことを他人に譲って、常に自分にどこかが足りないかを探しています。会社では上司から、このようにお金をあげてもほしくない人を見た事もない、このようなよい人に会ったこともないと言われました。友人の間で、いかによい人になるかを伝え、私自身も真・善・忍に基づいて行なっているので、友達も私の言動から法輪大法の素晴らしさを見ました。
今、私の体はますます健康になり、社会の中でよい人だと賛美され、仕事でも傑出して、よい給料をもらっています。私はこのすべてを師父と大法がくださったと分かっています。自分が大法を修煉したことをとても幸運だと思うと同時に、大法の素晴らしさを深く感じています。
大法に感謝するため、篆刻をしました。
「心を修める人は善に向かい、汚れた世で清らかな蓮を育て、甘露は世の中に普遍にふりかかり、幸福と恩恵が世間に溢れる!」