文/山東省の大法弟子 子静
【明慧日本2014年2月27日】慈悲で偉大な師父、こんにちは、お疲れ様です。中国大陸及び全世界の同修たち、こんにちは。
1998年、私は母親について法輪功を修煉し始めた時、11歳でした。師父の慈悲なる加護と導きの下で、今日私は青年大法弟子になりました、10数年の修煉過程は紆余曲折がありましたが、非常に貴重でした。私は今年の初めから今まで修煉過程の一部を書き、師父に報告を申し上げ、そして同修達と交流いたします。
怠けと執着から大きな漏れが出て、師を信じ、法を信じ、死の関を越えた
今年2月末のある夜、私は煉功し、第二功法「両側抱輪」をしているとき、突然心臓と胸に激痛を感じ、意識が朦朧として倒れ、私の命が尽きるように感じました。私はすぐに、これが命を取りに来た大難だと思い、直ちに正念を発し邪悪の迫害を否定して、師父の加持を固く求めました。このひどい病業の仮相は約1時間を経て、ようやく徐々に退いていきました。その間、私は「私は李洪志師父の弟子で、すべては先生が決められます」とずっと正念を発しました。当日の夜、母親も長時間の正念を発し、徹底的に否定し、私の身体を迫害する邪悪と黒い手を解体しました。翌日の朝、私の身体はだいぶ回復しました。突発的な状況の下で、まず自分は修煉者であることを考え、そして直ちに正念を発して否定し、邪悪を解体し、師を堅く信じ、法を堅く信じましたから、旧勢力が突然の襲撃で私を消滅する陰謀は、思い通りになりませんでした。そこで、彼らはやり方を変え、長期的な病業の仮相という魔難を用いて私を妨害し、私の意志を潰すようしました。その後の長い間、私は毎日、比較的大きな病業の魔難の中にあり、心臓はよく苦しく、胸と背中が痛く、息も苦しく、めまいと耳鳴り、さらに連続数日で寝付きが悪く、動悸により目が覚めました。
「問題があれば、内に向けて探し、これは大法弟子が常人との根本的な区別です」[1]体と精神が極限に近い状況の下で、私は自分を正視し、一体自分のどこに問題があるかを探し始めました。実は私は知っていました。この数年、自分は修煉に精進せず、特に修士課程に入ってから、学習と生活環境が非常にゆったりして、成り行きに従って事を進めてわざと安逸な生活を求めました。毎日朝寝坊をしたり、街をぶらついたり、ネットショッピングをしたり、ゲームをしたり、おしゃべりをしたりしていました。母親が私にこれらの正しくない状態を指摘する時、私はまだ屁理屈をこねて、寮の同級生がみなこのようにしていると言い、つまり「常人の状態に符合している」と思いました。この「符合」は正しくはなく、遊ぶ心、色欲心、利益心、安逸心など、執着心と腐敗物質を長期に積み上げて大きくし、遊ぶ時間は学法時間より多く、学法のときに集中できず、ときには1日1~2ページしか拝読せず、さらに発正念したり、しなかったりし、真相伝えも真相紙幣だけをやり、すでに修煉から離れている状態だと言えました。自分が精進していないから、旧勢力に迫害の口実を作らせました。当時、母親は再び私と交流し、私の多くの執着と漏れを見つけ、目覚めるように助けました。
問題を見つけましたが、この挫折はあまりに大きく、どうすればいいでしょうか? 師父がおっしゃいました。「心配しないでください。転んでしまった人も含めて、早く立ち直ればいいのです」[2] 漏れと執着しているところが分かって、私は自分を正すことにしました。しかし、それらの固有の執着と腐敗物質を本気で取り除こうとするとき、すでに非常に頑固なまでに発展していることが分かりました。例えば、ネット上で洋服を探す執着を修め始めたとき、洋服のネットを見てみないと苦しくなり、見ると30分から1時間が過ぎ、魔の罠にかかりました。その後、徐々に悟りました。邪悪はこの執着を利用し、知らず知らずに相手を服従させ、この「知らず知らず」により、自分で自分をコントロール出来ず、自分の主意識は弱く、執着心と腐敗物質が自分の身体を主宰しているのではないでしょうか? 今の状態が続けば問題はとても深刻です! そこで私は決心し、頭の中でどれほど洋服への執着が盛んに沸き返るかに関わらず、心がどれほどわくわくしても、 その服のページをクリックしませんでした。このように、その執着はだんだん弱くなって、現在すでにこの執着を磨き取りました。
同時にこの病業の魔難の中で、私はまた、以前自分で一度も意識していなかったたくさんの強い人心を発見しました。たとえば恐怖心、怨恨心、求める心など、その中で恐怖心は特に深刻でした。修煉してから、体には時に病業の症状が現れましたが、自分の心性をしっかり把握できさえすれば、すぐ乗り越え、今回のような大きな生死に関わるような魔難が現れたことはありません。今回、病業がひどすぎたとき、私の意識の中に何度も「死」が現れました。特に初めの頃、死が恐ろしく、さらに母親が友達と電話で亡くなった他人のことに言及し、「彼女はこんなに若くして亡くなった」と言った時、私はそれを側で耳にして、恐れおののきました。落ち着いた後、私は死を恐れる心が邪魔していると分かり、更にこれは修めるチャンスだと分かりました。
そこで、恐怖心が出てきた時、私は自分にこの恐怖心を正視するよう強制して、そして自分に言いました。私は大法弟子で、何も恐ろしくなく、私が恐れているのではなく、その「恐れ」が恐れているので、堅く否定し、解体します。ときにはその恐れが帰ってきて、抑えられない時、私は何度も師父の『洪吟二』「何を恐れる」「汝に恐れ有れば 它はじきに抓む 念を正しくすれば 悪はじぐに崩る 修煉の人 法を持っており 正念を発すれば 爛鬼炸く 神世に在りて 法を実証す」を暗唱しました。このように1カ月以上堅持して、徐々に恐れという腐敗物質は解体され、恐怖心も大いに弱まって、ほとんど役立たないまでに至りました。
今回の病業の魔難を通して、私は本当に自分の心性、悟性などの方面で、修煉が進んだことを感じました。今回の痛ましい教訓を通して、私は自分の生命の本質について、いまだかつてなくはっきりと認識することができ、私は大法弟子で、私の生命は法と同時にあり、私がここに存在する唯一の意味と目的は修煉で、師に手伝って衆生を救うのです。常人の全てはただ私の使命を成し遂げるために必要な基本条件の要素で、しかも最後にはすべてを捨て尽くすのです。私の体が苦しみに耐えて最も極限に達した時、私は内心の最も深い所から念を出しました。「これは私の耐えるべきものであろうか。それとも外来からの迫害であろうか。私の全てにおいてただ先生の話だけを聞きます。私を迫害している生命よ、もしも私があなたたちに借りがあれば、そして師父が私に返すべきことを按排されれば、私は全面的に先生に従います。もしも私が以前に旧勢力と何か約束があれば、今日私は法を正す中で法を正す要求に合わない、いわゆる約束をすべて破棄します。もしも私のしたことが良くなかったため、外来の要素に邪魔されていた場合、私は法の中で自分を正し、断固としてこのような、いわゆる試練を否定します」。
ここまで悟って、私はまた分かりました。数年前の私の真相を伝える方面は確かにはるかに足りていませんでした。私の生きている意味はただこれだけであり、それならば私は大法のために、衆生のために、そして自分のために本当に責任を負わなければなりません。
師父は人を助けるという私の心を見て、私を加持して衆生を救い済度する知恵を開けられました。ある日、私は煉功していた時、突然思い付いたのは、ネット封鎖を越えるソフトを得る方法を一言、二言に簡略して多くコピーし、A4紙に印刷し、小さなメモくらいの大きさに切って配っていきます。同時に家にある真相が書かれた小さなはんこを用いて、小さなシールに押して、紙に貼ります。そこで翌日、私は学校に行って印刷し、その後同修の助けで40×60の袋を買ってきました。家に帰ってきて、母親と一緒に作業した後、外を出てスーパーマーケット、定期市、駐車場などの所で配りました。また計画通りに真相シールを作り、公共交通の車両、停留所の立て札、柵、公園、手すり、宣伝柵などの所に貼り、効果は良かったです。
私は明慧ネットを通して、多く高齢の同修がみな携帯電話で真相を伝えていることを知り、同修の助けにより、携帯で真相を発信することが出来ました。今、外を出ると、真相紙幣、シール、携帯を持ち、至る所で理知的にやるべきことをやり、法を正す形勢について行き、最大の努力を尽くして衆生を救い済度しました。
ある日、私は母親と一緒に村に行き、真相ラベルを貼りました。家に帰ってきた後、私たちが一緒に発正念をしているとき、私の目の前に一つ光景が現れました。その村の大通りの両側に数メートルずつ黒服を着て高い帽子をかぶっている人がおり、私は真ん中にいて、皆コップを上げ、私に乾杯して祝賀しているようでした。私は今までこんなにはっきりしている光景を見たことがなく、母親にこれを話したら、母親は嬉しそうに言いました。これは救い済度された衆生の祝賀と感謝ではないでしょうか、師父は私たちを励ましていらっしゃるのです。
(続く)
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
注:
[1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「大法山東輔導站へ」
[2]李洪志師父の著作:『二〇〇三年旧正月での説法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/11/18/136357.html)