法輪大法の殊勝さと正念の威力を体験した
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文/中国東北地区の大法弟子

 【明慧日本2014年4月7日】私は1998年に法輪功の修煉を始めました。身体がとても敏感だったため、いままで修煉するなかで、功が体内で演化される過程をすべて強く感じ取ることができ、漸悟の状態でした。師父は次のように説かれました。「始めから多くの人は法輪が回っているのを感じており、同時にわたしは皆さんの天目を開かせています。今はさまざまな原因により見えない人も将来は見えるようになり、はっきり見えなかったのがはっきり見えるようになり、使い方が分からなかったのが分かるようになり、次元は絶えず高まっています。心性の向上と、さまざまな執着心の放棄に従って、さまざまな功能も現われるようになります。修煉過程全体の推移、身体の転化過程がすべて、あなた自身に見えて感じとれる状況の下で、変化します」[1]

 風雨を伴うような修煉の道のりで、私は何回も大法の不思議さと正念の威力を体験し、師父の比類なく大きな慈悲をはっきりと感じ取りました。

 師父の加持

 1998年に私が大法の修煉を始めて間もないときのことです。一度、会社の上司を含む数人で一緒に外食していたとき、ある人が性的な内容の冗談を言いました。当時、私は心のなかでとても反感を覚えていましたが、怒ってもよくないので、それを排斥するために、師父の経文の「色欲に執着するならば、悪い人にほかならず、口で経文を念じていても、品のない目で互いを見ていて、道から遠くかけ離れているのですが、これは邪悪な常人です」[2]を繰り返して暗唱しました。

 そのとき、不思議なことが起きました。私がリラックスして椅子に寄せていた体が突然とても大きくてやわらかな力に支えられて、頭を上げて、胸をはり、襟を正して、威風堂々と座るようになりました。私ははじめて法はこれほど大きな威力を持っているのだと感じました。同時に、加持とは何かも体験できました。

 法を暗唱する

 当時、私は通勤で30分ほどバスに乗っていました。ある日の夜、8時まで残業しましたが、バスもタクシーもなくなって、私は歩いて帰るしかありませんでした。

 とても疲れていたので、私はまず『大圓満法』の動功を始める前の予備体勢の要求である「両脚は肩幅と同じにし、自然に立ち、両足は少しまげて、膝と股の二カ所は滑らかな状態にし、全身を緩めるがだれないようにする。下あごを微かに引き、舌は上あごにあてがい、歯に微かに開ける」[3]を暗唱し、それから歩きながら、経文を暗唱しましたが、ますます速く歩けるようになりました。体が軽くなり、足は地面に着いていないようでした。家に着く直前に、寛骨(かんこつ)のところで突然脈が開かれ、一瞬全身が緩み、すべての疲労感が消えました。

 迫害され、氷水をかけられる

 2000年3月、両会(「全国人民代表大会」(全人代)と「中国人民政治協商会議」(政協)の略称)期間中、私は大法の真相を伝えるために、北京へ行きましたが、強制連行され、会社の所在地の留置場で1カ月監禁されました。そこに入ると、まず冷たい水を浴びせられました。北方の春はとても寒く、四方から風が通る洗面室で、最初は一杯ずつ氷水をかけられましたが、後になると一タライずつ、頭の上からかけられました。当時、私の頭はまだ冷静でした。師父は説法のなかで、阿弥陀佛の法門での修煉方法について、「昔、阿弥陀佛は私の佛号を読めば、極楽世界に往生することができると言いました」[4]と説かれました。それに比べると、師父の大法はきっと更に威力があるはずです。私自身はすでに何回も体験していました。

 その時、頭に突然、法輪図形の隣に書かれていた「佛法無辺 法輪常轉」が現れ、そして私はそれを口訣として繰り返して暗唱しました。するとその瞬間奇妙なことに、ひとしきりのきわめて大きなエネルギー、とても暖かで柔らかいエネルギーが体内から急速に体外へ、身体の表面にまで至りました。再び氷水を体にかけられても、皮膚の表面がかすかに冷たいと感じるだけで、体内はずっと暖かったのです。こうして、彼らは30分以上やっても、私に何の反応もないのを見てやめました。

 金剛不動

 2000年10月、私と妻は故郷で法輪功の真相資料を配りながら、人々に真相を伝えるなかで、人に密告されて、に不当に3年の労働教養を受けました。

 労働教養所に入って1週間目、ほかの労働教養所で転向させられた人達が報告にやってきました。彼らが話し始める前に、私を含む8人の同修が立ち上がり、彼らが大法を中傷することを制止しました。すると、後ろにいた警官と警官に指示された受刑者らは狂ったように飛びかかってきて、私たちを足で蹴ったり、拳で殴ったりし、スタンガンで電気ショックを加えました。その場で殴られて意識を失った同修もいました。私は当時、心の中はとても穏やかで恐怖心がなく、ただ大法弟子は法を守るべきだと思っていただけでした。奇妙なことに、彼が必死に私の体(背部、頸部、腰部、腿部)を殴っても、私は痛みを感じないばかりか、身体の中は少しの振動もしなかったのです。彼らの暴力は私の皮膚の表面だけしか影響できず、私の体の中は密度が極めで高く、鉄鋼よりも幾千百万倍以上その密度が高いと感じました。その後、更に多くの同修が立ち上がったため、いわゆる報告はなくなりました。

 後になって、師父の経文『同じく二言三言』を読んでやっとわかりました。師父は「『良い人』という文章は長くはありませんが、一つの理を説明しています。宇宙の真理に対する堅固で破壊できない正念は、善良な大法弟子の、磐石のごとく堅固な金剛の体を構成しています。すべての邪悪は驚き恐れて、放たれた真理の光は、あらゆる生命の正しくない考えの要素を解体します。強い正念であればあるほど、大きな威力があるのです」[5]と説かれました。

 師父が説かれたのは法であり、師父の説かれたすべては真実です。

 「忍び難きは忍びうる、行い難きも行いうる」[1]

 2001年の旧正月の間、CCTVは偽りの焼身自殺事件を放送しました。師父ははっきりと「自殺は罪なのです」[6]と説かれたため、当時、焼身自殺事件に参加したこれらの人は多分偽者であり、師父の要求どおりにしないため、少なくとも真に修煉する者ではないと判断しました。そして、偽りの焼身自殺事件に反対するため、同修らは5日間断食しました。後になって知りましたが、その中に、強制的に食物を注ぎ込まれて亡くなった同修がいました。罪悪を隠すため、留置場では大部分の同修をほかのところへ移しました。

 留置場と労働教養所の環境は極めて悪く、当時、私の体には疥癬(かいせん、皮膚感染症)がいっぱいできました。新しい労働教養所へ移されて1日目、当番に当たっていた受刑者が部屋にいる法輪功修煉者は皆すでに転向したと言い、私にまだ法輪功の修煉ををやるのかと質問しました。私はやると答えました。すると彼は班のすべての人の前で私を助けて「病気治療をする」と言い、私を裸にしてベッドに伏せさせた後、プラスチックの靴底で、化膿してただれているところを殴りました。それは一種の迫害でした。

 最初2回叩かれた時、私はきりきりした痛みを感じました。彼らに嘲笑われないように私はタオルを1枚もらって口に挟み、痛みで声を出さないようにしました。それから、1回叩かれると「忍び難きは忍びうる」[1]と念じ、次に叩かれると「行い難きも行いうる」と念じました。一瞬、体の感覚はまだあるものの、痛みが突然消えました。ただし少しかゆい感覚もあって、とても奇妙でした。結局、彼らは私を転向させることができませんでした。私への迫害に加担した受刑者はその後3日間、腕をもちあげることができませんでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者の忌」
 [3] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
 [4] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「同じく二言三言」
 [6] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/3/31/289367.html)
 
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