文/中国の大法弟子 李厳
【明慧日本2014年6月14日】長期にわたる協調の中で、一部の同修は他人の欠点あるいは同修の正しくない状態や、長期に突破できない難関を見て、彼はなぜずっとこの状態なのか、なぜいつまでもこうなのかと、会うたび繰り返して注意した後、最後に「あなたはなぜいつもこうなのか」と一言つけ加えます。
こういう状態は変えるべきだと思います。いつも他人を見て、同修に圧力とよくない物質を加えています。もしかして皆のこれらの固定した一念が同修の一時の正しくない状態を固定してしまい、その境界から突破できない原因なのかもしれません。同時に、自分自身の修煉に警告すべき作用も果たすことができず、内を探して高めることもできず、全体の環境にも間隔とマイナスの要素をもたらして、全体が協力する状態を達成できません。
修めるとは自分を修めることですが、同修の不足をなぜいつも私に見せるのでしょうか? 私もこの面で高める必要があったのに、自分も気付いていなかったのです。同修が聞き入れず、正すことなく高めなかったのは、自分の言い方に問題があり、善の心が足りなかったのではないか、自分も理性的に真に理解していなかったので、話す口調に押しつけや非難や責める要素が入っていたのではないかと、なぜ考えないのですか? もちろん他人の不足を見ても言わずに、自分のことだけを考えるようにというのではありません。師父の『オーストラリアの学習者への説法』のビデオを繰り返し見ることによって、このような時にできることは、厳しく自分を修め、善意をもって同修に注意するしかないと悟りました。法はすべてを正すことができることを信じ、同修と一緒に多く法を勉強し、正念を多く発して妨害を排除すれば、乗り越えられない関はありません。他人の執着に執着する必要はなく、心配しすぎれば、かえって逆効果になります。実はこれも師を信じ法を信じることが足りないのです。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]
以上は、自分にかつてあった正しくない状態に対する分析です。最近「厳しく自分を要求し修める」ことに新たな認識ができて、やっと自分が長期に緩んで精進できず、次元を突破できない原因を見つけましたので、ここで同修と交流したいと思います。不適切なところは慈悲に指摘をお願います。
自分が見た現象を通して自分を探すことによって、全体の協調の中で、周りのすべてをみて自分を探し、他人の不足やよくできなかったところが見えたら、自分もこの面でできていないのではないか、高める必要はないかを探すべきです。もし「自分はよく修めた」と思ったら、もっと深く探して、厳しく自分に要求するべきです。他人に10個や100個の不足が見えたら、自分のところで一つも見逃してはいけません。私たちは100%の純金にまで修めて円満成就できるのです。法を師とし、100%自分に厳しく要求するべきです。いっぺんに法の要求を満たせなくても、100%大法に照らし合わせることが真の基準で、それは真に円満成就に向かっているので、いつも他人を見ないで、真に悟ったらすぐにそのように行うよう一念を固め、厳しく正すべきです。自分がこれらを悟った瞬間、頭に一つの景色が浮かんできました。自分の空間場に黒い濁った塊が現れてきて、一かたまりの黒い空気のようでした。それは「自分はよく修めた」という自慢の人心が形成した黒い物質で、次元を突破できない根本的な原因だと分かりました。「100%自分に厳しく要求する」という一念をもって、これらの黒い物質を取り除かなければなりません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」