文/中国の大法弟子 碧宇
【明慧日本2014年6月17日】昨晩、私は学法をした後、しばらく、横になってしまいました。すると、思いかけず師父が現れました。師父は第5式の功法をやり始め、2回続けてやってくださいました。師父は私を起こして煉功させる、というようなことが分かりました。その時、私は直ちに起きて、すぐ座禅しました、師父は私の様子を見て、微笑みながら行ってしまいました。
その後、私はある光景が見えました。厖大な蓮の池の中に、たくさんの蓮の花が満開に咲いています。一つ一つの蓮の花の盤の上に、一つの生命が座っていました。さまざまな生命の形式があり、年配者がいれば、年少者もいます。佛家の生命がいれば、道家の生命もいます。また他の様子の神もいました。当時、これは大法弟子のその空間での形象だと私は理解しました。師父は一人ひとりの生命のことを手伝ってくださいます。師父はこの生命のために、歴史上に残した恩と恨みのバランスを取られています。あの生命のために、修煉の中で出会った問題を解決しています。この生命を励ましたり、あの生命を厳しく指摘したりしています。師父の慈悲なる加護に感動して、私は涙が出ました。
これらの生命がどのような様子にもかかわらず、あるいは、年配に見える生命でも、師父の目から見ると、まるで自分の子供のようでした。この時、私は師父の経文『シンガポールでの法会における講法』を読んで、思い出しました。師父は「いかに圓満成就できるか、これこそあなたが考えるべきことです。できるだけ速くもとに戻る、これがあなたにとって何より大事なことです。ほかのことについて何も考えないでください。師としての私は絶対最高のものを授けます。(拍手) 新しい宇宙も、将来のすべても誰のために切り開くのでしょうか。すべての衆生のためではないでしょうか。そうでしょう。親がいつも最もいいものを子供に上げたい、特に将来が更に素晴らしいものであるようにと、それと同じ気持ちです。」[1]と説かれました。
私は考えました。新年や祭日のたび、私達は明慧ネットで師父へのお祝いの言葉、祝賀カードを送ります。たくさんの同修が「できるだけ、師父へご迷惑をかけないように。」というような言葉を書いています。そうであれば、私達は、法を実証する中で、さらに理性的、さらに成熟できるように、最後の道にしっかり歩みましょう。着実に「法をもって師とする」をやり遂げます。最後の機縁を大切に、たくさんの衆生を救い済度しましょう。
個人の次元が限られており、適当でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『シンガポールでの法会における講法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/2/28/145635.html)