『二○一三年大ニューヨーク地区法会での説法』から学ぶ
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2014年7月5日】最近、家庭内や身体に現れる魔難が多く、なかなか乗り越えられません。最近、師父の『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』を学び、次のような弟子の質問を見ました。

 弟子:今、神韻の財務管理規則を実施していない国があり、師父にこのことについてもう一度お話をいただきたいと思います。

 師父:条件が整っておらず、または一部の学習者は浮かれて、あるいは、他のプロジェクトは困難に遭い、資金を流用したのであれば、それは大問題です。大法弟子が法を実証したり、プロジェクトを立ち上げるのは自らを円満成就させているのであって、自分の修煉の道を歩んでいるのです。困難に遭うとき、自分で解決してはじめて関を乗り越えたことになります。そうではありませんか? もし、他の人のお金、他人のお金や神韻の資金を流用して進めていれば、それは違ってきます。このプロジェクトをいくら運営してもあなたの威徳はありません。旧勢力は「あなたは師父の法を正すことに手伝っているのか、それとも師父があなたに手伝っているのか」と、このことを見逃さないのです。しかも、誰も知らないままで資金を流用し、または自分のお金にしてしまったなら、それこそ修煉にとって決してしてはいけないことであり、非常に厳粛なことです。ですから、時にくれぐれもこのことで問題を起こさないようにと思っています。師父はこれらのことを必要以上に厳しく指摘しませんし、重くも見ていませんが、このことで問題を起こしたら、長年の修煉が台無しになることを心配しています。旧勢力は古い学習者、新しい学習者、責任者に関係なく、あなたを台無しにしてしまうかもしれません。               

 師父のこの説法に私は心が大きく打たれました。自分はこの面において大きな間違いを犯し、気づきもしませんでした。

 2008年まで、ある同修(その後、邪悟となった)は三回にわたって私にお金を渡し、資料拠点に渡すように言い、合計700~800元でした。その直前に、私は資料拠点にお金を提供しましたので、とりあえずそのお金を自分の手元に残し、次回資料拠点にお金を提供する際に一緒に渡そうと思いました。彼が提供してくれたお金の額は自分の提供分より少ないと思い、顕示心さえ感じました。

 そのうちの一回、同修は私に300元を渡し、私は自分のお金200元を足して、資料拠点に提供しました。私は普段からよく資料拠点に資金を提供していますが、きちんと金額のメモなどを取っておらず、もしかすると、同修から渡された全額を渡しておらず、自分のお金として手元に残したままかも知れません。本当にそうならば、それはあってはならないことで、修煉において大問題になります。

 私は経済的に裕福で、同修のお金を使うなどを考えたことがありませんが、もし漏れがあれば、大問題です。しかも法理がはっきりと認識できておらず、顕示心もあって、同修が資料拠点に提供したお金は少ないと思ったりしました。金額が少なくても、それは同修の気持ちです。明慧ネットにこのような文章が掲載されたのを覚えていますが、あるおばあさんは一箱の卵を売って、その収益の全てを資料拠点に渡しました。それは同修の気持ちであり、金額で測れないことです。しかし、私は有頂天になり、誰も知らない状況下で他人の資金を流用し、自分のものにしました。専用資金は使われるべき所へ行かなければならないのに、私はそれを自分のお金と混用し、師父の説法を見て初めて問題を認識しました。本当に悲しい限りです。

 十数年も修煉してきた古い弟子である私は、この方面で間違いを犯しました。師父、私は間違いました。法を良く学んでおらず、師父に申し訳ありません。これは自分が今まで考えたこともなければ、自分と関連させたくもないことでした。しかし、私は必ず直面しなければならず、自分の人心によって隙が乗じられたことにひどく後悔しています。これを機に、自分の過ちを暴露し、解体し、自分を正したいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/28/275942.html)
 
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