内に向けて探せば、希望の光が見えてくる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月3日】明慧ネットで大法弟子が書いた文章を読むたびに、私はとても感動しています。「あなたは真に修煉しているか」と自分に問いかけたら、答えに迷ってしまいました。自分は確かに修煉していますが、多くの執着心を取り除いておらず、私はまた「あなたは師父について本当の家に帰りたいか」と自分に聞くと、答えは「確かにそうだ」です。では、どのようにすれば師父について帰れるでしょうか? ただ着実に修煉し、着実に人心を取り除いて、三つのことをしっかりと行うしかありません。

 過去1年、私は本当に着実に修煉して、三つのことを行う中で精進し、自分の修煉状態がやっと根本から変わりました。次にその経歴を書き出して、師父と同修の皆さんに報告したいと思います。

 一、旧勢力の妨害を解体する

 2009年3月から私の生理は毎回2週間以上続き、毎回大出血しました。自分の生活にあまり大きい影響が出ていないため、それは体が浄化される現象だと思い、あまり気にしていませんでした。しかし2012年6月になると、私は明らかに体が弱くなったと感じました。顔色も青白く、毎日動きたくなく、足も重くて、階段を上ると各階で休憩しなければなりませんでした。この事は私が最初に考えたほど簡単ではないと意識して、一体、自分の修煉のどこに問題が出たのかを私は考え始めました。

 私は真剣に自分が歩んできた修煉の道を振り返ってみました。子供が生まれる前、私は毎日同修たちと一緒に精進し、人生の中で最も楽しい時期で、毎日大法の中に溶け込んで、言っていること、行っていること、考えていることはすべて大法のことでした。子供が生まれた後に私は同修たちと一緒にいる時間がほとんどなくなり、孤独の中で学法発正念をしていましたが、質が良くないのです。どうすれば突破できるかもわからず、泥沼に陥ったようでした。毎回、家の壁にかけている師父の写真の前に来ると、びくびくして、頭を上げて師父を見る勇気がありませんでした。

 ある日、師父の『オーストラリア弟子に対する講法』ビデオを見た時、自分は一生懸命師父のおっしゃった言葉を覚えようとしましたが、聞き流すと前の一句をすぐ忘れてしまいました。自分と師父の間に無形のとても厚い壁が存在すると感じて、邪悪が本当に私を妨害しているとやっと分かりました。それから毎回発正念する時、いかなるものも私の修煉を妨げてはいけないと念じて、同時に多く学法するようにすると、数日後、頭がとてもすっきりしました。そして、大出血は異常な状態であり、邪悪の妨害そのものであると悟り、私は旧勢力に対して「私の肉体は決して旧勢力の試練に耐えに来たわけでなく、旧勢力のすべての按配を解体する」と強く発正念しました。大出血はすぐに治って、現在、毎回の生理は3、4日しかなく、正常な状態に回復しました。

 師父は『各地での説法十一・二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』で「皆さんがこれらのことに正しく対処できるよう、私は皆さんに真に法を勉強し、着実に修煉するようにと言い続けています。正念が強ければ、本当に神のように山を切り裂くほどの力を持ち、一念で山を切り裂いてしまい、そのとき旧勢力はまだ何ができるのでしょうか? 正念が現れると、何ものにも阻まれることはありません。ですから、最もひどく妨害され、最も深刻に迫害されている人の多くはあまり精進していない学習者であり、あるいはいつも法を勉強していない人、法を勉強するときほかのことを考えている人です。こういう場合が多いのです。本当にしっかり修めている大法弟子は妨害されることがなく、少しも妨害されません。しかも、正念が強く、ほかの人をも助けており、本当に師が法を正すことを手伝っています」と私たちに教えられました。私は他の空間が見えませんが、この空間においても正念の威力を感じることができます。すなわち師父がおっしゃった「一念で山を切り裂いてしまう」のです。

 二、愚痴と恨みが朝の霧のように消えた

 夫は長期にわたり遠方で仕事をしているため、子供が生まれた後は、ほとんど私一人で切り盛りして育てました。姑は時間があってもあちこちに旅行して、私の手伝いをしようとしません。子供、仕事、家事に追われて、つらい思いと恨みが私の心の中でこみ上げてきました。

 「つらい思い」、「恨み」はいずれも人心で、取り除かなければいけないと分かっていながら、時々盛んに沸き上ります。去年、夫と姑に対する不満が頂点に達しましたが、私は自分に「夫と姑のために修煉しているのか? 愚痴と恨みは自分を不幸から解脱させることができるのか」と聞問いかけました。5、6年の間、自分はずっと人心の渦の中でギクシャクして、表面上では修煉していますが、人心を取り除いていないことに気づきました。私は『轉法輪』の中の、「人類社会には、情というものがありますので、そういうことは常人にとって至極当然のことです。なぜなら、人間には情があります。怒ることも、喜ぶことも、愛することも、恨むことも、喜んで何かをするのも、嫌でしたくないのも、ある人について好印象をもち、悪印象をもつのも、何かをやりたいと思い、やりたくないと思うのも、すべてが情によるもので、常人とは情のために生きているものです。人類社会には、情というものがありますので、そういうことは常人にとって至極当然のことです。なぜなら、人間には情があります。怒ることも、喜ぶことも、愛することも、恨むことも、喜んで何かをするのも、嫌でしたくないのも、ある人について好印象をもち、悪印象をもつのも、何かをやりたいと思い、やりたくないと思うのも、すべてが情によるもので、常人とは情のために生きているものです。しかし、煉功者として、超常的な人間としては、その理で量るわけにはいかず、そこから抜け出さなければなりません」、「常人の基準で高次元のことを判断しようとしますが、そんなことができるでしょうか?  こうして、生活の中の辛さを自分に対する不公平だと思い込むことが原因で、多くの人が見る見るうちに堕ちていってしまうのです。このようなことはしばしばあります」を暗記して、心につらい思いが現れる時、それを取り除くように努力したら、盛んに沸き上がっていた人心が本当に私から離れた感じがして、心境はとても穏やかで平穏になりました。今までの自分はずっと常人次元の是と非に翻弄されて、自分が修煉者であることを忘れていました。ここまで意識したら、突然体から「ピュー」と動物のようなものが逃げ出して、今までのずっしりと重い感覚が消えて、つらい思いや恨みはすうーっと無くなりました。心も体も軽やかになって家に帰り、私は師父の写真の前に両手を合掌して、師父に「師父、ありがとうございました!」と話しました。私を6年も妨害してきた人心を師父は解体してくださいました。

 人心を捨てて姑と夫を見ると、忙しく奔走して最後に全身の業力しか得ておらず、人間になることがいかに苦しいか、とてもかわいそうに思いました。そして、いっそう修煉の縁を大切にしたいと思いました。

 三、色欲の心を取り除く

 夫とあまり会えないため、夫婦生活もとても少ないのですが、大法修煉者に対する要求までまだとても遠いと思います。毎回発正念をする時も、私は色欲の心を除去するように一念を発して、だんだんと色欲の心は弱くなりました。今年、同修と交流する時、自分は色欲の心を全く持っていないと感じました。以前の自分は、良くないものを排斥する次元に止まっていましたが、今の自分に、それらの良くない念は全くなく、世の中の乱れた世相も私を邪魔することができません。

 人心を除去することは実はたいして難しくなく、本当に師父の要求に従って、自分の良くない念を掴んで掘り下げ、その源の執着心を見つけて解体すれば、本当に難しくありません。

 四、技術の面で人心を取り除く

 大法を修煉してから、師父は私の知恵を開いてくださり、たくさんの技術面の難題をすらすらと解決することができました。私は師父に感謝し、自分の些細な能力は大法から、師父から頂いたと分かっています。同修たちは技術面で困難に遭えば、いつも私に依頼し、私もいつもできるだけ早く解決しました。事後、同修に感謝されたら、私はいつも「これは私の担当すべき事で、解決するのは当然で、解決できないのはおかしいのです。私に感謝する必要はなく、師父が私にこのような能力を与えてくださったのは、私にこれらのことを解決させるためです」と説明します。

 だんだんと顕示心、歓喜心、常人の次元の経験に頼る人心などが生じました。同修のパソコンを修理する時、人心があると修理は順調に進まなくなります。その時、私はすぐに人心が大法の仕事を妨害していると意識して、心を静めて焦る心、顕示心、名利心、歓喜心、傲慢、愚痴などがないかを探して、直ちに除去すると、パソコンもすぐに直りました。

 同修の技術問題を解決する時、大法弟子の間の貴い縁を感じます。同修と一緒にいる時間を私はとても大切に思っています。もしも私たちが大法を得るために天上から降りてきた光景が見えるなら、過去の各空間に我々が残した輝かしい成果が見えるなら、世間で輪廻する中で嘗めた苦しみが見えるなら、きっと周囲の同修をもっと大切にすると思います。

 五、学法チームで全体に向上する

 一時、私の状態はあまり良くなくて、自分で努力して調整していた時期、ある日某同修の家でみんなと一緒に学法をしました。4時間の学法が終わったら、私の状態はすっかり良くなって、頭がすっきりしました。「私を1週間も妨害してきた人心が、4時間の学法で解決できた。集団学法の環境がいかに重要か」と私は同修に語りました。

 一時、チーム内のAさんにひどい病業状態が現れ、みんなと交流しましたが、あまり効果がありませんでした。ある日、発正念する時、突然「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」)を思い出しました。私は本当にAさんのことを自分のことのように思ったかと自分に聞くと、答えは「いいえ、思っていない」でした。自分はAさんと交流もしたので、残ったのは彼女自身の努力次第だと思っていて、やはりAさんのことを他人事だと思っていました! もしAさんが遭っている魔難が自分の身に現れたら、私はどのようにしますか? 私はきっと何度も発正念して旧勢力を解体し、同時に自分の良くない人心を探して除去します。そう悟ってから私はまじめにAさんのために発正念しました。次にAさんに会った時、なんと体の症状は全部消えたとAさんは喜んで教えてくれました(そのような症状はすでに10数年間も続いていた)。

 一つの全体になるようにと師父は私たちに教えられました。全体になろうとするなら、私たちは必ず自己を放下して、旧宇宙の「私」の出発点を捨てなければいけません。毎回何かに遭ったら、自分の出発点が何であるかと私はいつも考えます。もしも出発点が「私」のためだったら、その背後にきっと人心があるに違いありません。その人心を探し出せば、除去することも早くできます。

 去年から私はやっとどのように修めて、どのように「内に向けて探す」かが分かりました。良好な修煉環境を作ってくれた同修たちに感謝します! 中国の学習者に交流の場を作ってくれた明慧ネットに感謝します! 最も感謝するのは、我々の慈悲で偉大な師父です!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/1/19/285719.html)
 
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