文/中国の大法弟子 净蓮
【明慧日本2014年6月21日】私の夫は同修です。当時、彼は私にプロボーズされたときに、私は非常に迷いました。彼は私の好きなタイプではありません。しかも、常人の立場からみても、彼は私より優れているところがありません。結婚してから、夫が私の言うままになれば、別になんでもないのですが、一旦、私の要求を満たせないときに、直ちに恨む心が生じていましました。
数年前の出来事ですが、長い間、私は彼を恨んでいました。夜、寝るときに、黒い手が私を捕まえようとしていました。そして、その二つの爪を私の腿に差し込んできました。私は怖くて叫んでしまいました。「師父、助けてください」。すると、師父はこの一難を消去されました。その後、子供が生まれたことにつれて、姑問題もありましたので、私達3人のトラブルはますますひどくなりました。師父の法に顧慮して、あえて離婚することはできません。しかし、私は心から彼のことを自分の夫とみなしていませんでした。姑に対しても、強く恨む心がありました。
先月、突然、私は風邪気味の偽り現象が現れました。自分のいけないところは知っていますが、内に向けて探したら、さまざまな執着心が見つかりました。しかし、病業の偽り現象はずっと続き、本当の執着は見つけられていないようでした。自分のどこがいけないのか、見つけられずに困っていました。
数日前、『各地での説法一』「シンガポール佛学会設立式典での説法」を学んだとき、師父は「人々はみな業を造っています。殺生をしたり、人をいじめたり、人を罵ったり、人を恨んだり、あるいは悪事に働いたりすることは、すべて業を造ってしまいます。業は一種の黒色の物質で、人体の周囲に存在しています。業力はその人の苦痛と疾病を決定し、あるいは厄介なことに遭い、商売がうまくいかず、人に殴られたり罵られたりなどたくさんの苦痛をもたらします。誰かに殴られたり、いじめられたりした時、あなたを殴る人はあなたに徳をあげなければならず、あなたは苦痛を味わっている時、あなた自身の黒色の業力も徳に転化されます。」[1]と説かれました。その時、私は初めてわかりました。恨むことは、人を殴る、人を罵ることと同じように業を作ってしまいます。
師父は「穏やかな状態こそ、善であり、本当の人間の状態です。」[2]と説かれました。また、「皆自我を放棄し、皆修煉が良くでき、それほど強い自我がなければ、夫婦は大法弟子なので、これらのことを正しく扱うことができないのでしょうか?」「二人とも修煉者で、お互いに思いやりあっていれば、なぜ離婚がありえるのでしょうか? 壊すことができないほど固い仲であるはずです。」[3]と説かれました。
法理がわかり、私は空間場のよくない物質を取り除きました。私は心が広くなりました。夫と姑は私の同修です。世の中のすべての人は師父の親戚だったのです。私はどうして「善」ができないのですか? どうして彼達を恨むのですか? その根本的な原因はやはり「私心」です。今やっとわかりました。恨むことは業を作ります。自分の恨む心を見つけたとき、風邪気味の現象がなくなりました。
法に符合していないところがあれば、慈悲にご指摘ください。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法一』「シンガポール佛学会設立式典での説法」
[2] 李洪志師父の経文:『音楽創作会での説法』
[3] 李洪志師父の経文:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」