明慧法会|名利・職位に執着せず、法輪大法の修煉を選ぶ(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月10日】私は1997年、区財政局の株式会社の社長に就任し、財政局のビルを建設しました。その実績と人柄の良さが評判となり、区の人事局は私をグループ企業の取締役社長と党委員会書記に任命しました。1999年7.20に共産党による法輪功への迫害が開始され、上司は何度も私と話し合い、利害を明白に言い、名利を選ぶか、修煉を選ぶかと聞きました。

 現在、私は我が地区で有名な人物になりました。これは以前、公務員であった時の人間関係が多かったからではなく、法輪功を修煉していたからでした。私は60歳近いのですが、とても元気で、1階から17階まで一気に上ることができ、疲れを全然感じません。私は昨年、あるアメリカ企業で中国共産党による法輪功への迫害の真相を話したことがあります。その時、彼らは修煉者の身体状況を調べるために、私の体力測定と細胞組織の状態を見た後、身体はとても良好で、私の59歳の細胞は28歳の若い人の細胞と同じだと言いました。彼らには理由が分かりませんでしたが、私は、これは師父、大法の威力が私を変えたと分かっていました。私は彼らに真相を伝え三退を勧め、非常に良い効果を得ました。

 長年の迫害の中、私は何回も公安局、派出所、留置場、洗脳班に連行され、邪悪の手段、仕掛けはすべて熟知しており、威嚇、暴力、騙しなどよく知っています。毎回連行された後、私はどのような状況下でも、真相をいかに伝え、人々に法輪大法の素晴らしさを分かってもらうかを考えます。

 1800人の従業員の中で法輪功の修煉がブームになる

 私は今年59歳で、両親は私たち姉妹を13人産み、生き残っているのは5人です。私は小さい時から、喘息、眩暈があり、両親は私を捨てようと考えましたが、そうはしませんでした。1974年に高校卒業後、セメント会社に入社、7年後に財務課課長に昇進、2年後に副社長に就任しました。セメント会社には粉塵が多く、空気の汚染がひどく、私の職務は昇進しましたが、健康状態が悪くなり、病気がますます悪化しました。私はジョギングしましたが、何も改善できず、他の気功を練習してもなかなか良くなりませんでした。

 1996年末、私は幸いにも大法に出会い、法輪大法の修煉の道に入り、心身ともに健康になりました。当時、会社のリーダーたちはみな修煉し、途中苦痛に耐えられない人はやめ、1999年に迫害が開始してから、みな恐怖心からやめてしまいました。私はなぜ1人だけ続けてきたのでしょうか? それはこの功があまりにも素晴らしいからです。2日間だけの練習で、師父は私の下腹部に法輪を授けてくださり、その後、身体を何度も調整してきれいにしてくださいました。私は黒くて汚い物を吐き出した後、眩暈の症状がすぐなくなり、その後、喘息も消え、体が軽く、元気いっぱいになりました。

 私は会社の中間管理職の会議で法輪功を紹介しました。この法輪功はあまりにも素晴らしく、真の佛家修煉大法で、病気を取り除き、体が健康になるだけでなく、道徳を回復して向上させ、心を正します。そして、皆に「私は修煉者で、これからは酒を飲みません。私に酒をすすめないようお願いします。私はお茶で皆さんと乾杯します」と言いました。

 私のこのような変化を見て、多くの人が修煉に入りました。私の周囲の親戚や友達、同僚、従業員などはみな法輪功の修煉で大きく変わりました。当時1800人以上の従業員の中で法輪功の修煉のブームが起こりました。

 名利を放下し、大法の修煉を続ける

 1997年、私は区財政局の株式会社の社長に就任し、財政局のビルを建設し、その仕事に対する姿勢と実績が際立っていて、区の人事局は私をグループ企業の取締役社長と党委員会の書記に任命しようとしました。当時、従業員は皆泣いて私を引き留めようとし、上司は一日に7回も私と話し合い、そして財政局副局長職を与えようとしました。しかし、私は修煉者であり、最も複雑な環境の中で自分を磨くべきだと考えました。

 このグループ企業は国有企業で、生産規模は大きくはありませんが、人員が多く、さらに管理が良くない上に、1995年下半期から大きな負債が生じました。このような状況下での就任後、私はどのようにすべきか、企業の改革、社員の早期退職、取引先への返済を行わなければなりません。私がグループ企業の一つの会社に着くと、従業員と債権者がどっと集まって来て、表門と事務室の出入り口を閉鎖し、私が逃げ出さないように警戒し、私に食事、睡眠、トイレに行くことも許さず、金を返済しなければ、私の手足を切断するとまで威嚇し、本当に私の頭が傷つけられ、出血しました。彼らは金を返せ、給料を払え、食事をさせろなどと要求し、また私を街頭で引き回して見せしめにし、さらに、レストランでの食事を強要するなどしました。

 私は皆に言いました。「落ち着いてください。今の状況は私のせいではありません。私にこのような対応をしないようにお願いします」。彼らが言うには、「和尚か誰かに関係なく、お寺と方丈があればいいので、私たちが探しているのはあなたなのです」。その時、私は考えました。私は修煉者で、師父のおっしゃった「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」[1]に従って、必ず頑張らなければなりません。

 その上、私が帰宅すると、人が家の門の前に立ち、お金を要求しました。時には、債権者を避けるため、家に帰ることができず、毎日落ち着かない状態でした。

 私の妻も修煉者ですが、しかし、この状態をとても心配しました。私は妻に言いました。「心配しないで、これは師父が設けられた関と難であり、あるいは私たちの業力のせいであるかもしれず、必ず乗り越えなければなりません」。その後、私は企業の改革を行い、人員を削減し、債務を整理し、任務を果たしました。区は私を財政局に呼び戻して副局長に就任させようとしました。

 しかし1999年、法輪功に対する迫害が始まり、上司たちは何度も私と話し合い、利害関係を説明し、名利を取るか、修煉を取るかと聞きました。私は師父のおっしゃったことを思い出し、「煉功者としては、どのように失と得に対処すればよいでしょうか? それは常人の場合とは違います。常人が得ようとしているものは 個人の利益で、どうすれば暮しが良くなるか、どうすれば楽に暮せるかということです。煉功者はそれと正反対に、常人の得ようとするものは求めようとしませ ん。そのかわり、常人は修煉しないかぎり、われわれの得るものを得ようとしても得られません」[1]、私は修煉を選択しました。このようにして、私はすべての職務を解任されました。

 多くの人の私に対する意見はまちまちで、ある人が言うには、「自分のせいですよ。こんなに良いポジションがいらないなんて。盲信してとにかく功を練習すればいいのでしょう」。また、良く言う人もいて、「名利を気にせず、汚職もせず、こんなに良い人を共産党はなぜ受け入れられないのでしょうか」。ある財政局の年配の上司は、私のために区のリーダーのところに行って懇請しました。「現在、こんなに正しい幹部は少なく、私たちは今回、彼を許してはいけないのでしょうか」。このようにして私は工業園社長の職務を与えられ、しばらく様子を見ると言われました。私は着任した後、工業園を不動産開発会社に変え、株式会社にしました。通常、会社の株は社長個人が所有し、関係リーダーに少し分配するというのが常人のやり方です。しかし、私は修煉者であり師父の「真・善・忍」の教えに従うべきだと思い、株を全社員一人一人に配り、皆は給料以外に年末には株の配当もありました。しかし、私の株は4人分しかありません。社員たちは皆言います。「法輪功の人が行うことは素晴らしくて、正しいです。共産堂の幹部も皆このようにすれば良いと思います。しかし残念なことに現状は・・・」

 (続く)

 注﹕

 [1]李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/11/17/280244.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/29/143431.html)
 
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