他空間で見た光景:慈悲
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文/中国の大法弟子 云端

 【明慧日本2014年8月13日】今日の正午、発正念の時、私は他空間で師父と出会いました。私がしっかり衆生を救い済度する上で、慈悲の更に深い含意を教えてくださいました。ここで書き出して、同修と分かち合いたいと思います。

 発正念を始めた途端、私は女神を見ました。その女神は非常に神聖で、人間の言葉では言い表すことができません。それは天上における私の形象の一種だと分かりました。次に、私は師父の後ろで激しく燃える炎を見ました。師父は泰然自若として、濁った汚水の中に網を張ったり、寄せたりし続けておられました。私は師父が世の人々を救い済度してくださっていることが分かりました。しかし、救い済度できる生命はだんだん少なくなりました。師父の表情は厳しくなり、疲れも知らないように繰り返し網を張ったり、寄せたりしています。私は師父のことを心配して、やめていただけませんか? と言いたいのですが、やはり私は言うことができませんでした。言ってしまえば、衆生を救い済度することを阻むことに等しいのです。そこで、私はあっという間に網の一部になり、自分にできるだけのことを行いました。

 私は自分がこの汚い世の中で師を手伝い、衆生を救い済度することが、非常に難しいと感じているのです。人々はさまざまな観念に縛られていて、私が彼らを掴んだ時、凶暴な犬が私の腕を噛んだり、鬼が彼らを引っ張ったりして、救い済度できる人が少なくなりました。師父は私がこの濁っている世間に長くいたことを見かけ、自分を綺麗に洗い上げてくださいと教えてくださいました。私は師父がおっしゃったことをやろうと思ったとたん、一筋の金色の光が私を覆い、そして私は直ちに綺麗になりました。師父が私を浄化してくださったことがわかりました。

 私はこの網では、あまり人を救い上げることができないように見えました。師父はそろそろ終わりにしますとおっしゃいましたが、その時、私の心に今まで体験したことのない苦しさが湧いてきました。衆生たちを救えないため、涙が流れました。その涙が落ちると、水晶のようにつやつやとした蓮の花に生まれ変わりました。この時、奇跡が起こりました。数人の衆生が蓮の花に上ってきて、救い済度することができたのです。師父は私に聞きました。「どうしてそうなったのかわかりますか? 慈悲の力には何の言語も行動もいりません。慈悲というのは、あなたの状態であり、あなたがいること自体、あれらの良くない物質を消滅し、衆生を救うことができます。これも私がどうしてあなたたちの個人修煉を重視するかの理由です」。

 今回の発正念で見たことで、さらに慈悲の意味を体験しました。私の慈悲心は本当に足りません。ですから、三つのことを行っていても、真相を伝える時、衆生に慈悲の心理状態を抱くことが難しく感じます。師父の慈悲なる教えに感謝いたします。弟子は必ず堅実に修煉します。三つのことをしっかり行い、誓約を果たし、多くの衆生を救い済度します。

 これは私の非常に限られた次元で見たもので、私達の修煉は法を師としています。自分あるいは他人が他空間で見たものに執着してはいけません。それは私たちの修煉を指導することができません。適当でないところがあれば、ご指摘ください。ありがとございます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/26/295196.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/1/2330.html)
 
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