なぜ私は人に依頼心を向けられるのか?
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月15日】私の妻(同修)は鼻のところに腫れ物が出てきて、少しずつ大きくなりました。彼女は何回も私に発正念をお願いしましたが、私は彼女のことを無視しました。私は「これは彼女自身の問題なので、本人しか解決できません。ですから人に頼ってはいけません。これくらいのことすら人の助けが必要ですか? 病気でもないのに」と思ったこともありました。それで、よく私は彼女を責め、酷い場合には、彼女のことをからかうこともありました。それでも妻は諦めませんでした。私が家から出たばかりの時、職場に着いた時、 妻からのメールが追いかけてきました。「腫れ物がまた大きくなったので、直ちに『行動』(発正念)をしてください」。

 妻はどうしていつもこのような状態なのですか? どうして小さなことで私にしつこくつきまとうのですか? どうして依頼心がこんなに強いのですか? 今日の学法のとき、私は突然分かりました。私はずっと外に向かって探していました、ずっと妻の短所と依頼心を気にしていました、しかし、妻がどうして私に頼ったのかを考えたことがありませんでした。自分の良くない心のせいで、妻に依頼心を起こさせた可能性があることを考えず、一度も内に向けて探したことがありませんでした。私は自分のしたことを恥ずかしく思いました。いつも、「内に向けて探す」と言っていますが、この神聖な法理は、私と同修の間で、話の切り出しとなっています。毎回の交流の時、必ずこう言います。「このような問題を私に見せ、あるいは聞かせるのは、私の修煉を向上させる要素が含まれていると思います。私も内に向けて探すべきです」。言うのは容易ですが、実際には、自己保護、自己欺瞞、自己正当化、言い逃れをします。深く自分の内に向けて探すことはなく、ひいては考えたことさえもありませんでした。また私は、多くの同修が最初の切り出しは一応法理に基づいているように聞こえますが、その後、他の人に激しく打撃を与えていることに気付きました。本人は内に向かって探した問題が一言も聞いていませんでした。

 妻はこんなに私に頼っています(このことだけではありません)。私の認識から言えば、自分は妻より精進し、悟りが高く、悟性も良く、色々な面で妻より良くできていたと思います。もちろん、顕示心もあります。話すとき、人より優れているかのように、まるで教師のような口調で、結論は独断に過ぎます。さらに、皮肉を言ったり、嘲笑したり、脅かしたりもします。自分の法に基づかない行為を振り返ると、真善忍と甚だしく離れていると思います。自分の心性にこのような漏れがあるからこそ、妻との間に二つの対立状態、頼りすぎと軽蔑という状態が現れました。ここまで考えて、自分のしてきたことに、悔しさを感じています。この数年、妻は私をたくさん手伝ってくれました。しかし、自分は堅実に修めていないため、師父が安排してくださった多くの向上の機会を失いました。そして、自分の修煉にたくさんの遺憾を残してしまいました。

 多くの同修は依頼心について交流するとき、たいていは自分が人に頼ることについて交流していますが、依頼心を向けられることについては、あまり交流していませんでした。実は、依頼心はもちろん重視するべきです。取り除くべきですが、人に依頼心を向けられる同修の問題も多いのです。特に「顕示心」「自我を実証する心」「自我を膨張させる心」のせいで、他人に依頼心をもたらすことになりやすいのです。もし自分が人に頼られることが多くなり、それに慣れたら、さらに病み付きになってしまい、まもなく邪な悟りに陥り自ら魔を生じることになってしまうでしょう。

 個人的な体験と浅い認識です、慈悲に指摘でください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/3/23/271243.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/9/6/141855.html)
 
関連文章