あなたは本当に師父と法を信じていますか?
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年9月12日】師父と法を信じるのは修煉者がすべきことだと同修の誰もが知っています。しかし、具体的なことに直面し、特に試練の中にいる時、自分の心性の位置を察し、真に「師父と法を信じる」ことを実行するのはそう簡単ではありません。

 個人的に思うには、ただ師父への感情や、師と法を信じる願望を頼りに師と法を信じ、自分の観念や人心が何かにぶつかった時に師と法を信じなくなるのは、真の「信」ではないと思います。

 肝心なのは法を深く理解することです。なぜなら「師と法を信じる」のは、実質的に師父と法の要求に従い実行することであり、法に対する深く正確な理解がなければ、どのように正しく実行し、どのように法の神威を体現できますか? それ故に神の助けを得ることができず、大きな難関を中々乗り越えることができず、「師と法を信じる」心も持続できません。

 疑問の余地なく「師と法を信じること」は私達が修煉し、成功に至る根本的な保証で、修煉の過程においてずっと、そして正確に師父と法の要求に従っていく必要があります。絶えず学法し、絶えず自分の一つの考え、一つの念の中で心性を高めて、初めて真に師父と法を信じることになります!

 そうすることができないが故に、迫害の中で多くの大法弟子が極めて大きな損失を受けました。邪悪な中国共産党の労働教養所、刑務所、洗脳班の中で、各階級の苛酷な官吏や警官は、江沢民から「打ち殺しても自殺と見なす」という密命を受け、後ろ盾を得て何の恐れも知らず、狂気に駆られたように大法弟子を迫害しました。多くの同修は法理がよく分からないので、「正しい一念」を持てませんでした。

 正にその難攻不落の「正しい一念」が、私達が巨大な難関を乗り越える根本的保証です。それを持てば、旧勢力は迫害する言い訳がなくなるからです。しかし、正念がなければ、たとえ師父が助けようとしても助けることが出来ず、法に対する正念がなくなれば、常人と同じです。人間はどうして悪魔に勝てますか?

 多くの同修は迫害の残酷さを目にし、マイナスの教訓を取り入れ、恐くて真相を伝えられなくなってしまいました。実質的にそれは事の本質が見えていないからです。私たちが法の中、そして明慧に掲載されている多くの交流文章から分かるように、師父の教えに従い、その「正しい一念」を堅く持ち、終始一貫して周囲の衆生(刑務所の警官らや犯人たち)に慈悲をもって接し、様々な方法で彼らに真相を伝え、彼らを救おうとする同修達は受ける迫害が少なく、わりと早いうちに黒い巣(刑務所など)から出てくることが多いです。しかし正念のない、または正念の少ない同修達は恐れる心に負けて、あるいは闘争心、怨む心、敵視する心によって悲惨な迫害を受けてしまいました。

 もちろん迫害というのは、肉体的苦痛以外に、もう一つより重要な修煉の次元における破壊があります。結局、真に「師と法を信じる」ことが出来なかったが故に迫害を受けることになり、師父が按排して下さった道から逸れることになります。

 未だに多くの同修は迫害の影から抜け出していません。これこそ旧勢力が私たちを迫害することで達成しようとする目的です。私たちを大法から引き離し、向上できないようにしています。しかし、師父は一回たりとも私たちを放棄しようとされたことがなく、それどころか、重い罪を犯した学習者でも救おうとされています。

 師父の無限の慈悲は鉄の心でさえ動かせます。かつて道を間違えた同修たちよ、どうかこの千万年も待ちに待った機縁を逃さず、早く戻って下さい! 師父の慈悲なる済度に再び背いてしまえば、もう再び師父に会う面目がないでしょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/31/295388.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/11/2458.html)
 
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